「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

世界を結ぶアイデンティティー

2012年08月18日 16時47分02秒 | Weblog

世界の人々の心を分けているのは、国や地域だったり
民族だったり、宗教だったりと様々だ。反対からみれ
ば、同じアイデンティティーが心を繋げているという図式だ

問題なのは、その世界のアイデンティティーの殆どが
仲間内の結束が強まる度合いに比例して、他のアイデ
ンティティーを認めない傾向が強まる。互いに競り合
うことに熱中し、非寛容になり他を排除し始め、時に
は敵対心から争いに発展するという特徴もある

かつては宗教が、民族融和のための重要なアイデンテ
ィテイーになるのではと期待された時期もあった。し
かし、世界の大半を占めているユダヤ系宗教などの信
者は、その教えの基本「絶対神がいて、その僕べとし
て信者」がいるという関係上、「神」から何かを与えて
貰うのを「待つ」ことに関しては、驚くべき忍耐を発揮
するのだが(実際に、彼らは2千年以上も「神の復活
降臨」を待っている。そして今後何千年も、待ち続ける
のだろう)自らが運命を切り開くことや、他のアイデ
ンティティーを理解し融和に努める、という能動的行
為に関しては、全くの無気力なのだ
故に、そのアイデンティティーの主体者として、互いに
連携ができず、単に「同じ宗教の信者」としての枠を
出ないで終わっている。だから、摩擦を生むようなこ
とこそあっても、アイデンティティーの異なる人々を
結びつけるモノにはならなかった
既成の仏教にそれを求める人もあったが、禅などにみ
られるように、ただ一人で「瞑想」し自らの解脱や悟
りのみを求める「内向き」「引きこもり」「究極のエゴ」
思想では、とうてい世界宗教足りえなかったのだ


仮に、その宗教が「神からのご褒美」を待ち望むもので
はなく、そして「山に引きこもる」のではなく、“社会で
の実生活に奮闘しながら”「自らの人間性の開拓・深化」
と「他者の幸福」「生命と人権尊重」を目的とするもので
教義が荒唐無稽ではなく理論的に立ち、文献的にも証明
され、更に実践の結果が教義どおりの良いものとして出
るものならば、そしてその宗教が、民族や思想の違いを
乗り越え、寛容を持った「世界市民」を志向していれば
世界を結ぶ素晴らしい絆を築くに違いない

そんな宗教の信者たちが世界に広がり、“同じ志の者”が
手をとりあったなら、世界は劇的に変わるに違いない
そんな夢物語を、暑い夏の夜に見たのだった…
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