大学の授業で「紛争の解決」
を学んだ際のことだ
人間のエゴとエゴがぶつかり
それを“暴力によって解決”するため
紛争や戦争が起こる
自らのエゴを克服し
異文化に対する寛容と
話し合いからなる
相互理解がなされれば
紛争は起こらない
突き詰めれば
一人ひとりの人間の心の変革が
紛争の起こらない社会への変革に
つながるというのだ
確かにその通りかもしれない
それを踏まえて僕は思った
「けど先生…暴力でなく
話し合いで解決する社会になったら
映画が面白くなくなってしいます…」
「人間の本能には暴力の発散がありまして
主人公がバッタバッタと悪人を殺すのを見て
そこに自分を投影し、カタルシスといいますか
スカッとして観客は満足するのでして…」
「“燃えよドラゴン”でブルース・リーが
妹を殺されたけど、話し合いで仲良くしよう…
となってしまうと、観客は納得しませんし
“ランボー”が銃を捨てて
敵軍と対話を始めたら
観客はブーイングをする訳で…」
しかし、そんなことは授業で言えない
僕はそんなことを思いながら
「平和」について話す先生の顔を見ていたのだった…
こんな屁理屈をいう子供っぽい自分に
我ながら呆れる昨今なのであった