館内に入ると俺を含めて3人とか、2人とか(笑)。午後3時過ぎなんで、こんなもんかと思った。
紫電改が来てから結構立ってるから、俺みたいに初見で来る人で、かつ拘りを持ってる人なんて、あんまり居ないだろうからな。
入った途端、紫電改がずんぐりデカいヤツと強烈に感じましたね。
米軍のヘルとちょっとばかり似通っている感も分からなくない。
1階と2階からアプローチして、貸し切り状態で見られるのは嬉しい―と感じましたね。
車で後方からのスタイルは、結構好きなので紫電改君もやはり、後方から見てしまいますね。
あ、先日行った各務原の飛燕やT-2もそうでしたが。
最初は、修復した機体の方がいいのに・・と浅はかな考えで見てました。
が、大戦末期を経験した先人の気持ちも見学していく内に分かりました。
ペラも曲がってはいますが、海底から引き揚げられた訳ですから当然ですよね。
コクピットが見たくなるわけで、2階へ上がります。
口径は20㎜ですが、精度は?の武装アップ。
MSのコンバットシュミレータ―を持って遊んでますが、紫電改君の20㎜は直ぐに弾薬が切れてしまいますね。
弾詰まりしてそう・・。
故障率とか、気になってしまうな。
1階にまた下りて、展示物を見学。
燃料タンクとか。
コンバットシュミの紫電改操縦時には、さっぱり分からなかった計器盤デス。
手前、一瞬、雷電ちゃんかと思ってしまい、反省デス。
これら ↑ の画像は 痛ましいですが、最近亡くなったウチのはむちゃんも亡くなった時に だらん となっていたのを思い出しました。
動画も撮り尽くしたので、記念品を買って帰りました。プラモとか買いたかったけど、製作に精神が耐えられそうもないので断念。
Tシャツ、キャップでお茶を濁しました。
16時半ごろ、至福の時を過ごした充実感と少しばかり立ち去る寂しさを感じながら退館しました。
結構、薄暗くなっており、今日はどこで休むかなぁーと思いつつ、絶体淡路島は渡りきる(笑)と決意し京都付近まで移動。
そして、ラパンでの車中泊となりました。
ここで、大ポカしましたね。寝るときに暇なんで、スマホでアベマ見ちゃったんです。
俺の当時のスマホのギガ無料は2G程度だったかと。帰路のグーグルマップのナビ通信が制限を受けて酷い目に遭いましたよ。
海老名以降、7000円ナビ(懐かしいデスねぇ、もう捨てましたが)はマップ古すぎるし、何時まで経っても衛星確認できんとか表示される始末でしたので。
↑ 2012年当時、静岡に行った際はナカナカ役だったが、2018年には衛星検索中を繰り返し”主張”するだけで案内放棄(笑)。
でも、京都で寒い早朝に目覚めて車外を伺うと、動き出しているクルマ、クルマ。
活気があって今思い出してもいい感じです。
25日は、ひたすら東名経由で帰路となりましたが、上述したとおり、ギガ制限を受けたスマホによりグーグルマップが使えないという恐ろしい帰路でした(汗)。
浜名湖に着くころには、夕方になってました。
地鶏おばさん、いや、自撮り。中国の方々だったと思いますね。
ここから、埼玉まで行くのに数時間かかり、クリスマスに帰宅した俺は嫁な人とチビ(今はノッポ)にびっくりされてしまったのデシタ。
23から25の3日間で埼玉~四国周回~京都経由~浜松~自宅の約1800km位の走破でした。
ラパン、スタッドレス履いてましたけど、高知で小雪が降りかねないという天気になった際はびっくり。雪降るの?って。
暖かい所という思い込みでしたが。
ラパンの唯一の楽しい思い出となりましたが、その2か月後にR2に買い替えられてしまうという悲劇(笑)が訪れたのデシタ。
やっぱ、ブラックへの通勤に使っていたっていう、上書きできない記憶が染みついてそうで躊躇なく手放しちゃったんですね。
ラパン君には複雑な思いが今も残っています。
※紫電改展示館:数日前にネットニュースに出ており、一瞬廃館?って冷や汗書きましたが、1.8倍の展示場とか新施設建設案が決まったとのこと。
地元ではないですが、物凄く嬉しいニュースでしたね。