松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅9 シベリア

2012年07月27日 | 赤道直下と陸路国境148か所
ガススタンドこの窓口でガソリン(ペトロール)の支払いをする。

たどり着いたこの駅からチタまで列車で送る。構内にはレーニン像が建っていた。

めずらしいオートバイみなさん興味がありそう・・。


2003年7月1日
貨物事務所で仮眠したあと2時30分発まで駅の待合室で座って待っていた。この駅にホームはない。昼間は目の前にいつも停まっている列車のところに機関車だけが停まっている。今まで待合室で待っていた人が消えていなくなった。おかしいな??。駅員がチケットを見ながら「こっちこっち」といくつもの線路をまたいで案内してくれる。「お―」どうなっているかびっくりだ。列車は到着していたのだ。

あわてて列車に上がった。もう少しで乗り遅れるところだった。ひとまず安心だ。心をなでおろす。3号車3番の寝台車、すでに眠りについている「ごつい」顔だけがみえる。静かに横になる。4人部屋に二人だけのようだ。朝方になり毛布一枚で肌寒いなー。8時頃目が覚める。ごつい顔の男の人も起きてコーヒーを飲んでいる。「オハヨウ」「モーニング」英語を話せる人のようだ。

男の人は船乗りで日本の港はほとんど知っていると次から次と「港の地名」を並べる。男の出身国は「モルドバ・・・」と話す。男の人に相づちは打つがわたしはモルドバってどこにあるのか知らない。針葉樹の森の中、高原のなだらかな丘陵地帯を列車は走り続ける。窓から朱色の小さ花が目立って見える、山ゆりの花だ。雪の中で育った「山ゆり」はスッキリ透き通った朱色になっている。

白い花?もある。途中で停車した時雪みたいな綿ぼこりみたいな白いものが飛んでいて地面には白く積もっていた。その停車中に列車から降りて線路をまたいで屋台の売店まで行き「揚げパン」を乗客の人たちといっしょに買っていた。まわりに人がいなくなった。急いで列車に戻る・・おおっとっと、列車が動き出している・・前に走って行くがドアーが閉まっている。

そのうしろの車両には女性車掌がいてその車両ステップに飛び乗った。おおーっ「危なかったなー」もう少しで乗り遅れるところだった。女性車掌に放送で「10分」と「言ってたでしょう」とカンカンに怒られてしまった。しかし私には放送がわからないんだよ。まぁこれから注意しなくては・・すみませんでした。同室の人が「心配していたわよ」って感じで心配してうしろまで車掌が探しに来てくれた。

この列車にはひとつの車両に一人の車掌が乗っている。その車掌さんが探しに来てくれたのだ。車両ごとにお湯を沸かしてお客にサービスしている。「わたしも」「ジャパン」で「車掌」だったんだと話したが言葉が通じなくてあまり関心を示さないような感じを受けた。列車は同じような高原を走り続けている。小さい村の駅を通り過ぎる。その小さい駅のほとんどは女性駅員である。

それに二重丸◎のついた「標識の板」を列車に向けて立っている。「進め」「OK」「安全」の意味なのだろう。一定の距離で村が出てきて寒いところでも住んでいるんだなと感心する。わたしは窓から道路がどうなっているのが興味がある。づーっと列車の窓から道の状態がどうなっているのか観察を続けていた。おそらく日本からの輸入車なのだろうか。

ウラジオストックからどこまで運ぶのか泥をかぶって真っ黒くなったままかなりのスピードで突っ走っているのがときどき見える。ここら辺の道はじゃりみちではないように見えるがぬかるみの道もいたるとこで見ることが出来る。「ぬかるみで苦戦した」と永原さん夫婦がシベリアを横断した情報をネットで書いていた。走るのにはかなりむずかしいような気がする。わたしのようなオンロードオートバイではまず無理だろう。

車内にはロシア人がほとんどで夏休みにはいったのか子供連れも乗っている。わたしがめずらしいのか先生同士のロシアのカップルもわたしの部屋にもやってきた。両親はドイツ人と言う若いドイツ人もやってきてひとしきり二人で話を沸かせる。もちろん同室のモルドバの人の了解を得ながら部屋に来てもらっている。わたしの日本語英語で通じるものなんだなーと不思議に思う。あさ9時にチタについた。