読書感想「何があっても大丈夫」に寄せて(第二回)
すでに「読書感想文」として数回のBlog記事投稿した「櫻井よしこ著・何があっても大丈夫」を読了して後、早くも3ヶ月(たぶん?)経過する。そして今この一冊は、我輩の手元にない。さる友人に貸出して数週間、いまだ手元に帰ってこない。電話にて友人曰く、「一度通読したが、もう一度読み直しているからもう暫く貸して欲しい」等と、あつかましいことを云ってきた。ならば「自分で本屋に出向き、自分自身の一冊を自分の経費で購入したまえ。その後、落ち着いて2度目を読み始めよ!」と、電話で怒鳴りたい気分である。が、ここは忍の一字、なぜか我慢している。我慢しつつ、今直ぐにでも読み返したい「何があっても大丈夫」のページが浮んで来てしまったのである。そのページとは、論客としての櫻井女史の強力な武器の一つとして、ジャーナリスト桜井女史の「情報収集基盤」として、櫻井女史の懐に秘められた強力な語学力の底知れぬ実力について、あらためて想像し始めてしまったのである。<注>(「第一回掲載「何があっても大丈夫」の読書感想文掲載記事は、こちらから入れます)
女史の半生を綴った自伝ともいえる「何があっても大丈夫」の一節を、あらためて読み返したくなったから、今友人に貸し出し中の「この一冊」、手元にないことに苛立った次第である。
(その-1)
当書の中、女史の英語現場(すなわち生きた英語、コミュニケーションツールとして英語を使用する、という意味)の出会い、明確に記されている。今、そのくだりを読み返したい。しかし残念かな「その一冊」は現在手元にないのであるから、数ヶ月前の読書時点に立ち戻り、回想してみる。
(!櫻井さんの半生を知りたく、今からこの一冊を読んでみたい。と、思っておられる方、すでに読了された方、櫻井さんの半生に感銘受ける方に、同感・同意!<人気度ランキング>お開き下さい!)
話題は「何が会っても大丈夫」に戻る。
「生きた英語」との出会いは、当時、櫻井女史の父上の要請により、ハワイで父上の経営されるレストランのウエイトレス兼秘書的事務員として渡米された時点であった。渡米時期は(逆算して)、昭和41~42年だったはず。現在のハワイと比較して、想像を絶する「ハワイらしき状態」のハワイであったはず。すなわち、日本国はハワイ県ともいえる、現在のハワイ。盆正月ゴールデンウイークともなれば、安物TV番組を賑す小者タレントの遊園地に成り変わるか、はたまた一億2千万人総日本国民挙って疲れる為の休暇を楽しむ「親しき米国リゾート地」となったハワイ州ホノルル街。公立高校大学受験用英語のみを引っさげて、父上経営のレストランの「お手伝いさん」として、櫻井女史は渡米されたのである。そしてその時点から、女史の「生きる為の仕事の道具」としての「語学習得」はスタートしたはず。高校を卒業してまもなく、すでに日本の大学入試に受かり、東京へ上京される予定を立てておられた女史は、仕送り及び学費の算段が途絶え(詳細、この一冊に書かれているから省略する)、当時すでにハワイに進出されレストラン経営で成功されていた父上の「家事手伝い」とも云える「役目」を(仕方なく)引き受けられた「高卒のうら若き女性、櫻井よしこ」。レストラン業という家事手伝いをしながら、(日本の一流私立大学進学を断念された、その替わりに)ハワイ大学に進学された。ハワイ大学に於ける学生生活の始まってまもなく、父上はレストラン業を閉鎖され、娘の櫻井さんを一人残して帰国。桜井女史の経済的貧窮はさらに深まり、学費生活費の捻出は女史自身で執り行われつつ無事卒業。卒業後、何故か日本に帰国され、女史を育て上げた大学教授の紹介で、新たに東京に進出した外国人ジャーナリストの秘書兼通訳兼翻訳者を主たる業務とした国際派ジャーナリストの卵として、社会人になられた。数年間、東京在住の外国人女性のもとで、日本の情報を世界に発信するための「ジャーナリズム世界」の修行をされた。しかし、しばらくの後(2~3年間か?詳細は「かの一冊」を参照されたし)、その外国人女性は(彼女の勤務先の転勤要請により)、本国に帰国される。したがって東京事務所は、閉鎖。当然ながらその瞬間、櫻井女史は職を失われた。大学との関連で、また当時の櫻井女史の語学の実力を発揮可能な職種は存在した。すなわち(一流の)通訳翻訳者になる道は開かれていたものの、その時点で、櫻井女史は一大決心をされ、フリーのジャーナリストとして「ひとり立ち(一匹女狼なのだ!)」される道を選択され、現在に至っておられるのである。
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<Intermission(少し休憩)>
<添付画像>:(櫻井よしこ著「何があっても大丈夫」、著書の裏面。本書裏面、右上の写真は、櫻井女史の母上。台湾にて撮影とあるから、第二次世界大戦終戦を迎える以前、もちろん櫻井女史誕生以前、母上の独身時代か。したがって撮影当時、すでに母上は海外にて職業を持ちご活躍されている、その時代としては超モダンな女性・・・)
「この一冊」の裏面を飾る「櫻井母上のお写真」、なんと、モダンにしてステキな女性であると思われる方、是非下記人気ランキングの応援をお願いしたい!
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(その2)
今、私自身の脳裏に、よぎるものあり。だから、もう一度繰り返す。
櫻井女史をして、
1) 堅固な意志を持ち、国際的バランス感覚は正確無比、日本という「国を愛する」心の基軸に立脚された上で、堂々と「櫻井的論拠」を持たれた上でのジャーナリズム活動を継続されているのが「櫻井女史」の魅力。
2) 上述の、「堅固な意思」、国際バランス感覚から湧き出でる「国を愛する」心の持ち方、歴史認識の正常さ、
3) 締め括れば、桜井女史の「猛烈にして強力な語学力」にして、女史の類い稀なる「情報収集能力」は成り立たち、鳥瞰図的高所高見に立脚した広く深い知識あり。もって、櫻井的常識なる「意志と意識」を背骨とした数十年間も決してブレない「論点・論旨」の存在は、櫻井よしこ的『現実正視正義』なる如何にも日常的常識的主張。と、(私的見解にて)評価する。
上述のアイテムを基礎に、いかなる場面と状況に於いてしても、女史との「意見を異にする論客」相手との、いかなるディヴェートに於いてしても、一歩の引けもとらず縷々凛々と「櫻井的意見」を述べられるのか。
と、我輩は想像する・・・・
日本のTV局を始めとするマスメディア世界には、語学力を振りかざす「コメンテーター」や「ゲスト出演者」はゴマンといる中、私自身、未だに櫻井よしこ女史から、女史の生の声で流暢に優雅に自慢ったらしく「英語をおしゃべり遊ばす」お姿をお見受けしたことは、無い・・・・
今、義務教育の一環として、「英語教育」を取り上げようとする動きあること、聞く。如何なるものか?
是か、否か?
私自身、いささか、日本教育世界から立案発想されている英語教育への「力の入れ方と手順」に、大いなる疑問を抱いている。
櫻井女史の「半生の記録」と照らし合わせ、「日本の語学(英語)義務教育の若年化」について、いま少し、もの申してみたい・・・・
<・・続く(掲載予定:5月26日金曜日)こちらから入れます・・>
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女史の半生を綴った自伝ともいえる「何があっても大丈夫」の一節を、あらためて読み返したくなったから、今友人に貸し出し中の「この一冊」、手元にないことに苛立った次第である。
(その-1)
当書の中、女史の英語現場(すなわち生きた英語、コミュニケーションツールとして英語を使用する、という意味)の出会い、明確に記されている。今、そのくだりを読み返したい。しかし残念かな「その一冊」は現在手元にないのであるから、数ヶ月前の読書時点に立ち戻り、回想してみる。
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(その2)
今、私自身の脳裏に、よぎるものあり。だから、もう一度繰り返す。
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2) 上述の、「堅固な意思」、国際バランス感覚から湧き出でる「国を愛する」心の持ち方、歴史認識の正常さ、
3) 締め括れば、桜井女史の「猛烈にして強力な語学力」にして、女史の類い稀なる「情報収集能力」は成り立たち、鳥瞰図的高所高見に立脚した広く深い知識あり。もって、櫻井的常識なる「意志と意識」を背骨とした数十年間も決してブレない「論点・論旨」の存在は、櫻井よしこ的『現実正視正義』なる如何にも日常的常識的主張。と、(私的見解にて)評価する。
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是か、否か?
私自身、いささか、日本教育世界から立案発想されている英語教育への「力の入れ方と手順」に、大いなる疑問を抱いている。
櫻井女史の「半生の記録」と照らし合わせ、「日本の語学(英語)義務教育の若年化」について、いま少し、もの申してみたい・・・・
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拙筆、読み返せば読み返すほどに至らぬことばかり、恥ずかしきこと、この上ありません。
櫻井先生の事、現在に至るまで辿られた「航路」、多難多事にて、辿れば辿るほど、時に「面舵」ある時は「取り舵」、回顧すれば、すべからく「ヨーソロ」にて、想像は膨らんでゆきます。
博士も、ハワイ大学には「ご縁」、おありとか・・・
不肖・エセ男爵め、
恐れ多くも本日、当記事の続編を投稿いたしました。
是非ご通読くださいますよう、お願い申し上げます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
素晴らしいご原稿のお知らせをただき感謝、感激の至りです。御礼の遅くなりましたことお詫びします。
なお、櫻井よしこ先生の母校・ハワイ大学に、私めも学部2年の時に半年間でしたが学ばせていただきました。これが拙き身の留学の一歩となりました。
周囲に太平洋の銀海を従え、その空には紺碧の夢広がる志高き学び舎でありました。
櫻井先生の御心のどこかに、時としてその風景が懐かしく去来する時もありましょう。
はるかな先輩の益々のご活躍をお祈りすると同時に、櫻井先生の足跡をご紹介くださる男爵殿の光るセンスに心より敬意を表したく思います。
大切な「行事」、おおいに参加され、日本の伝統文化の継承、TSさんの全身全知で受け止めてください。
さて、状況承知の上、
後ほど、TSさんはじめ、お仲間の皆様をお伺いし、(予定通り)見回りします。
外国生活なさるご家族の子弟の「日本語教育」の問題点、以前からよく耳にしています。
ご承知のとおり、
外国赴任(英語母国圏内限定か?)した若き子を持つ「若き両親」のほとんどは、このよきチャンス?に、自分たちの子供には「英語」を教え込みたい。自宅でも両親揃って下手な英語で自分たちの子供とコミュニケーションしている!八茶器(はちゃめちゃ?)になって我が子の外国語習得に、全力投球している姿がある。と、米国旅行中によく聞きます。
しかしここで、
華僑の人間はどうか?
日本人海外滞在者とは比較にならぬほど何世代にも亘って外国で生活する。そんなシナ人家族は、必ず自分たちの子弟には「マンダリン(北京語)」を叩き込むとの事、聞き及んでいます。理由は、自分たちのルーツを子孫に伝える。同じシナ人の血統のソサイァティーにて、シナ人同士の結束強く、且つ、彼らの伝統を重んじるからこそ「北京語」を教え、「漢字(シナ共産国家発明品の省略漢字ではない)」を教え込むとの事、ヨーロッパ滞在中に度々聞きました。
そして今回、
はからずもmilestaさんとご子息の実体験のお話、たいへん参考になります。
こういう実態、こういうご意見、こういうお考え、こういうご子息からの苦情悩み、milestaさんのご家庭以外にも、多々存在するのではないかと思います。
そして、
公立小学校の英語教育開始云々、いろいろ問題点を含みまくっている、日本人の本質を左右する、日本文化と伝統の存続如何、我国の将来に関わる、大きな教育問題且つ社会問題です。
コメント内にて、刀舟さんご意見にもみられるとおり、同じ懸念を持つmilestaさん、私も同じ観点から、日本における初等教育のあり方に、大いに疑問と不安を感じます。
明日、後編を投稿します。
再度milestaさんからのコメント下さるよう、宜しくお願いします。
刀舟流「櫻井よしこ」観!
さすがです。
同感、賛同、不肖・エセ男爵の混迷的表現不足を、よくぞ此処まで纏めて下さった!
ありがとうございます。
さて、
ところで、
ジャーナリストとしての櫻井よしこ女子の場合、絶対に必要なのが語学。仕事の道具として必要なのです。
一般教養レベルの英語では、女史の場合通用しない!
しかし、お飾りの英語ではないからして、一般大衆の目前で「お披露目」などなさらないのです。
では、
日本人全員に日本語と同レベルに近い英語の力が必要か?
全く必要なし。
このあたり、後編のくだりで「蘊蓄」云ってみたいと思います。
しかし前もって、刀舟さんがおっしゃっておられる、、、。
以下、
>私は必要ないと思うし、不可能だと思います。
>理由は・・・
>自分が興味を持たなければ身につくはずもなく、
>との思いが強いからです。
>学びたい人間は自力で学びます。
以上、私も全く同感。刀舟さんにより、全て語りつくされておられます。
そして、私の使命は、
なぜ、上記刀舟流「論旨」に至ったか、実例を掲げながら屁理屈を云ってみたいと思っているのです。
さて、後編、
宜しく継読のほど、お願います。
気が着かれましたか?
エセ男爵ブログ、やたら投稿記事長く、開くのに時間が掛かるから、開きやすいよう、セッティングを変更したのです。
大意はありません。
さりとて、
本文記事をしっかり読んでくださるよう、引き続き、どううぞ宜しくお願いします。
いいわけになるかもしれないけれど、私の(本来の)仕事柄、あまりにも外国滞在のパーセンテージ多く、読むべき時に、読んでおくべき年代に、それなりの日本語の書籍からあえて目をそらしていた時代がありました。
それが長すぎた・・・
今頃になって、「文学」を紐解いている次第です。
TSさん、
これからあらためて、どうか不肖・エセ男爵と共に、一緒に読書に励みませんか。
すでに「この一冊」、読了しておられるtonoさんからのコメント、なぜか、重みがあります。
>私は英語に限らず外国語が得意ではありません。・・・
上記、殿下よりの「第一声」!
外国語は「得意である!」と、それとなく吹聴し自称する輩殻、たいした実力はない。と、断言します。
日本語ですらママならない日本人は、ゴマンと居るのですから・・・
でも、
いまだ学習者の身、英語は、やってもやっても際限なく難しく、フランス語の方が「カタチが出来上がっている言語」として、一旦仏語に取り掛かった(私の周囲の人間は)口をそろえて英語の難しさを語ります。しかし英語はとっつきやすく入りやすい。とも聞きます。
仏語のさっぱり出来ない私には、その違いなどは解りません。
ハングル?
ドンでもない音記表文字にて、第一、形が美しくない。
不肖「私メ」が、一番最初に渡韓したのは、確か昭和45年の冬。当時戒厳令下のソウル市内。ほとんどの観光団参加者は、好むと好まざるに関わらず、99%の団員全員、キーセンを伴ってホテルへ直行。当時の韓国、お米が取れなくて「団体客食事中のご飯」の中身には、稗粟を始めとした雑穀がたっぷり混入。
ま~、今更前時代の日本軍による売春婦強制連行の保証云々等々よくもまあのたまうもので、ケセラ可笑しな話です。
ソウルで見た当時の新聞、かなり漢字混入されていた記憶あり。現在は何故か「粋がって?」不恰好なハングルの羅列にて「マンセー的朝鮮半島風愛国精神」を盛り上げているようで、滑稽そのもの・・・
半島人のやっていること観ていれば、
可哀そうで、
哀れで、
滑稽で、
卑劣で、
下品で、
夢なく、
「・・・?」
いまだ16世紀風朝鮮半島的王朝政治の延長線上にあると思えてなりません。
言語?
類似しているもの?
モンゴル語~フィンランド語~ハンガリー語
|
モンゴル語~朝鮮語~日本語
専門家でないから良く解りませんが、これら皆、親戚言語なり!
しかし、日本人の賢いところ、漢字を巧く取り入れ、言語学的には、日本独特の漢字運用をしていると聞く。以って、日本語の形而上的表現力と日本古来の感性豊かな風情を、今尚表現可能な立派な言語であると聞き及びます。
メディアよ!もっと漢字を使おう、書こう。
小学校の先生よ。子供にもっと漢字を教えろ!
「・・・!」
この先、もっと書きたいことあり!!!
でも、もう一度同じテーマによる投稿を、草稿中です。
もう暫くお待ち下さい。
日本語の乱れは日に日に増して、「て、に、を、は」が使えなかったり、「いぬごや」を「いぬご」と読み「犬の喋る言葉」だと勘違いしていました。(苦笑)
つまり、どちらの言語も中途半端です。
「このままでは、自分の伝えたい気持ちを世界中の誰にも伝えられないよ。」と言って、家では泣きながら日本語の勉強をしています。(伝えられないことが悔しくて泣いている。)
日本人なら、ある程度の年齢までは日本語をきちんと教えるべきです。小さいうちに両方やっても混乱するだけ。逆にもし混乱しないような勉強量なら、やっても意味がないと思います。
ただ発音やリズムについては、小さいうちに慣れておくと楽な面もあるので、歌や詩の朗読などを聞かせるのはいいかもしれません。小学校でやるのは、時間の無駄。その分国語をしっかり学んで欲しいです。
刀舟さんが書かれていたこと、真理ですね。さすが先生!
>自分が興味を持たなければ身につくはずもなく、
→学生時代の私
>学びたい人間は自力で学びます。
→海外赴任が決まってからの私
全く意見がブレないことです。
では何故意見がブレないのか?
私が思う理由は2つです。
1つ目は知識量。
正確に歴史認識をされています。
2つ目は・・・
現地取材による自信の裏付けです。
現地の方とコミュニケーションを図り、
生の意見を聞き、
ご自身の知識の裏付けをしっかり確立されている。
だからこそ、ブレない!
そこで、今回の主題の語学力。
絶対に必要です。
だからといって、日本人皆が英会話が出来るようになるべきか?
また可能なのか?
私は必要ないと思うし、不可能だと思います。
理由は・・・
自分が興味を持たなければ身につくはずもなく、
との思いが強いからです。
学びたい人間は自力で学びます。
そんな気がしました。
まとまりのない文章ですみません。
心境の変化でしょうか(。・・。)
では、また明日
ぽちっ♪
実は私、最近本の選び方が変わりました。
今までは何かに興味を持ちその事に対し更に知りたいため本を購入してました。
Blogを始めてからは様々な年齢、職業の方のBlogにお邪魔するようになりました。
男爵さんのようにBlogで本を紹介してる方は多いです。
その中で興味を持った本を結構読んでおります。
他人のふんどしに思われるかもしれませんが、今まででしたら縁のなかった本を読め読むジャンルの幅が広がり中々いいです^^
男爵様が羨ましいです。
しかし、
早くから授業を始めれば良いのでしょうか?
日本語の基本がしっかりしていない内に、
中途半端に外国語を習うと、脳内思考が、より簡単(と思う)な外国語パターンになりはしないでしょうか?
日本語は、非常に語意の多い言語だと思います。
姦酷が漢字を止めてからは、恐らく世界でも希有な「表音」「表意」両文字を使う言語でもあります。
これが、理論的で且つ情緒的な日本人の感性を築いていると思うのです。
・庭には二羽鶏がいる。
・貴社の記者は汽車で帰社した。
・す桃も桃桃も桃桃にも色々ある。
ハングルだけだとこんな感じ?、
・ニワニワニワニワトリガイル。
・キシャノキシャハキシャデキシャシタ。
・スモモモモモモモモモモモモニモイロイロアル。
これでは、深い思考が出来るとは思えません。(極論ですが)
小学校で、きっちりと日本語を教えた後に、外国語を教えるべきかと思います。
そうしないと、的確な翻訳というか語意は伝わらないと思います。
只、授業を始めてからは、文法も大事ですが、もっと会話できる教育をする方が良いと思います。
まとまりませんが、常々思っている事です。