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(続編)日本!永遠に開催不可能か?「第32回アメリカズカップ」によせて・・

2006-06-26 22:08:45 | 研究:「ダンディズム」
(A photo from the Official Website of Swiss Team)

 第32回アメリカズカップ・バレンシア会場に於ける参加国の中、なんとシナ共産国ティームが、その末端に位置する。(下記、32回大会参加国を参照下さい)もちろん日本ティームは参加していない。今尚莫大なODA援助資金を我国の血税からむしり取っているシナ共産国をして、アメリカズカップに参加可能となる資金力技術力を持ちえていることに、驚嘆、驚愕する。 

先日投稿の記事(6月10日投稿分)『日本で開催しましょうよ!「第32回アメリカズカップ」によせて』に関し、大変重要な訂正をしたく、本日あらためて第2回記事掲載する。

 サッカー世界大会「FIFAワールドカップ」の日本代表ティームは、先日のブラジル戦敗退で、惜しくも予選落ちしてしまった。多くの課題を抱え次の大会までに日本代表ティームの再構築は可能なるか?次期日本代表ティームの監督は誰が適任か?一体だれが、日本代表ティームの監督を引き受けてくれるか?課題難題満載である。

 さて、先日投稿した「第32回アメリカズカップ」関連記事は、サッカーの世界大会同様、日本のヨットレースティームも「アメリカズカップ」に挑戦参加したらどうか!日本国民を挙げて応援したらどうか!今や、1兆円ともいえる経済波及効果を生じさせる「世界規模の海洋イヴェント=アメリカズカップ」の開催を、若し可能ならば、開催国を日本に誘致したらどうか!
 ・・等々、という趣旨の記事投稿であった。
 
 しかしながら、このアメリカズカップ開催地に関し、誘致するのではなく「前回優勝獲得ティーム」の「意思と意向」により、開催地が決定されるルールあること、判明した。したがって、かのオリンピックゲームの世界各国による誘致競争の如き獲得競争は行なわれないものであり、あらためて「訂正とお詫び」の為の記事投稿をする。

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* <前回掲載記事(6月10日投稿分)『日本で開催しましょうよ!「第32回アメリカズカップ」によせて』は、こちらからはいれます>

ニュージーランドの読者のアドヴァイスにより、アメリカズカップ開催国決定システムを知りうる事ができましたこと感謝します。あらためて敬意を表し、以下、コメントを抜粋掲載させていただきます。(以下、コメント欄より、抜粋・・・)

(抜粋コメント-A)
『アメリカズカップの開催地について』 (NZ永住者) 2006-06-15 05:19:34

前回のアメリカズカップが行われたオークランド(NZ)に住んでいるものです。

アメリカズカップはオリンピックやワールドカップのように誘致できるものではありません。
レースの勝者が次回の開催地を決定する権利があるのです。
例えば、1995年のアメリカズカップでは挑戦者のNZが勝ったため、2000年のアメリカズカップはNZで開催されました。
そして、NZは2000年のアメリカズカップを防衛し、2003年のアメリカズカップもNZで開催されました。
しかし、挑戦者のアリンギ(スイス)が勝ったため、次回のアメリカズカップはアリンギが決めた開催地ヴァレンシアで行われるのです。
というわけで、アメリカズカップを日本で行うためには、日本のチームがアメリカズカップの勝者にならなければならないのです。
ちなみに、日本のチームは2000年のアメリカズカップに挑戦しています。正確に言えば、アメリカズカップの挑戦者を決めるルイヴィトンカップ(いわばアメリカズカップの予選)に出場しましたが、残念ながら敗退しました。私も日本チームを応援していたんですが。。。。
そして日本は2003年のアメリカズカップには参戦しませんでした。


(抜粋コメント-2)
『NZ永住者さま・・』 (エセ男爵)2006-06-15 20:18:56

コメントありがとうございます。
「アメリアズカップ」の開催地決定システム!
お教え下さり、たいへんありがとうございます。
自分自身の「無知を恥じる」以前に、お教え下さったNZ永住者さまに、「たいへん感謝」しております。
その実、
大急ぎで書いた当記事、実は致命的な「場面」は、開催地決定の手段方法でした。
たぶん、
英文Wikipediaには、あるいは第32回大会公式ホームページの何処か?には、記載されているはず。よく記事に目を通さずに掲載した自分自身の安直さ、恥じてやみません。
また、
このように「マチガイ」をご指摘下さる方がいらっしゃること、幸せです。
あらためて御礼申し上げます。
たいへんありがとうございます。
ブログを開き、おおよそ一年半になります。
同じ経験、二度あります。
昨年のこの頃、
フラメンコダンスとスパニッシュダンスは、ほぼ同じカテゴリーであろう。と、独断で記事を連載していましたところ、その違いをお教え下さった読者の方に恵まれました。
まずは御礼申し上げ、「いきさつ」を、記事に取り上げさせていただきました。
その次は今年の4月下旬、、、。
我家の庭に育った「すずらん」の品種について、ご指摘下さった・・・。
あわせて今回で、3度目です。
この歳になっても、なおかつ、
ひと様(他人様)から教わる事、間違いを正して下さる事、光栄の至りです。
ありがたいことです。
心より感謝いたしております。
尚、あらためて、ますます、アメリカズカップに興味を持ち、もっともっと基礎知識を得たい、学んでいこう、という気持ちが膨らみます。
たいへんありがとうございます。
今度とも、どうぞ宜しく、ご指摘、ご指導、ご鞭撻、頂けますよう、あらためてお願い申し上げます。

 (以上、コメント欄抜粋引用、終り・・)


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「参考資料」

『アメリカスカップ出典』: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アメリカスカップ(America's Cup)は、1870年より現在まで続く国際ヨットレース。また、その優勝杯の名。

目次
1 沿革
2 主なルール
3 ニッポン・チャレンジ
3.1 主なプロフィール
4 32nd America's Cup
4.1 防衛艇
4.2 挑戦艇
4.3 Louis Vuitton Act
4.4 外部リンク


<沿革>
1851年、英国で開催された第一回万国博覧会の記念行事としてロイヤル・ヨット・スコードロン(Royal Yacht Squadron)が主催したワイト島一周レースに端を発する。このレースに米国からただ1艇参加した「アメリカ」号が優勝し、ビクトリア女王から下賜された銀製の水差し状のカップを自国に持ち帰った。その後「アメリカ」号オーナーは、「カップの保持者は、いかなる国の挑戦も受けねばならない」という贈与証書(Deed of Gift)とともに、このカップをニューヨーク・ヨットクラブ(New York Yacht Club)に寄贈した。これに基づき1870年、第1回「アメリカス・カップ」が開催され、現在に至る。

オーナーの莫大な投資、デザイナーの卓越した設計技術、スキッパーの神業的操舵は最高峰のヨットレースと呼ぶにふさわしい。その名の如くアメリカの威信を賭けたスポーツという名の戦争である。1983年9月26日、最終7戦目にオーストラリアの「オーストラリア2世」が右ジャイブにより風をつかんだことでカップ保持者の「リバティー」を破るその日まで132年間の連続勝利年月をニューヨーク・ヨットクラブが築いたのは世界スポーツ史における偉業の一つである。また、そのリベンジを果たしたアメリカの苦闘は映画にもなった。

なお2006年現在、カップはスイスのチーム・アリンギ(ソシエテ・ノーティーク・デ・ジュネーブ:Société Nautique de Genève)が保持している(2003年大会(第31回)でそれまでの王者、チーム・ニュージーランド(ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロン:Royal New Zealand Yacht Squadron)を破りカップを奪取した)。


<主なルール>
1992年(第28回)大会以降、レースはIACC(International America's Cup Class)規格に準拠したヨットを用いてマッチレースと呼ばれる一騎打形式で戦われる。挑戦者およびカップ保持者はシンジケートと呼ばれる巨大な運営団体を組織し、資金の獲得・艇体の開発からセーリング・チームの育成まで、あらゆる業務を一貫して行う。挑戦者シリーズ(ルイ・ヴィトンカップ)を勝ち抜いた1シンジケートのみがカップを防衛するシンジケート(カップ保持者自身、もしくは同じ国のヨットクラブに属するシンジケート。もし複数のシンジケートがエントリーした場合は防衛艇シリーズを行い1シンジケートを選ぶ)に挑む権利を得る。

第28回大会では各シンジケートは無制限にヨットを建造することができたが、コストの高騰を防止する目的から1995年(第29回)大会以降、1シンジケートが新規に建造できるヨットの数は最大2艇に制限されている。また1995年大会において、当時のニッポン・チャレンジがJPN-30を当初の建造時と大きく異なる形に大改造したことに対し「実質的に新規建造と同じではないか」と他のシンジケートからクレームが出たことがきっかけとなり、2000年(第30回)大会以降「進水後の船体(ハル部分)の改造は新造艇については表面積の50%以下、旧艇(前回大会以前に建造されたもの)については同じく60%以下までに制限する」というルールが追加されている。

ヨットに乗り組むクルーの数は1艇につき最大17人、クルーの合計体重は1570kg以下に制限されている。またウェイト調整目的で18番目のクルーを乗せることも認められている(同クルーに限り体重制限はない)が、このクルーはそれ以外のヨットの操作や指揮に関与してはならないこととなっている。このため、通常は「18番目のクルー」としてスポンサー関係者や有名人などのVIPゲストを乗せレースを体験してもらい、新規スポンサー獲得やパブリシティ等に利用することが多い。


<ニッポン・チャレンジ>
日本からはこれまで、1992年・1995年・2000年の3回に渡り「ニッポン・チャレンジ」がアメリカスカップに挑んだが、いずれもルイ・ヴィトンカップの準決勝にて敗退(3回とも4位)している。

<主なプロフィール>
会長:山崎達光(ヱスビー食品元会長)
キャンプ地:愛知県蒲郡市
スキッパー:クリス・ディクソン(1992年)、南波誠(1995年)、ピーター・ギルモア(2000年)
ヨットクラブ:ニッポン・ヨットクラブ
建造艇:JPN-3/6/26(1992年)、JPN-30/41(1995年)、JPN-44/52(2000年)

<32nd America's Cup>
次回(第32回)大会は2007年にバレンシア(スペイン)で開催されることが決定されている。2005年4月29日にエントリーが締め切られ、次の12シンジケートがエントリーを受理された。

<防衛艇>
Team Alinghi(スイス)

<挑戦艇>
BMW Oracle Racing(米国)
+39 Challenge(イタリア)
Team Shosholoza(南アフリカ)
Emirates Team New Zealand(ニュージーランド)
Luna Rossa Challenge(イタリア)
K-Challenge(フランス)
Victory Challenge(スウェーデン)
Desafio Espanol(スペイン)
Team Capitalia(イタリア)
United Internet Team Germany(ドイツ)
China Team(中国)

<Louis Vuitton Act>
これまでアメリカスカップの大会間隔は通常3~5年おきとなっていたのに対し、参加者から「大会の間隔が空きすぎて、一般からの関心が薄れる」「シンジケートのモチベーションを保つのが難しい」などといった意見が多く挙がったことから、今回のアメリカスカップでは前哨戦として「Louis Vuitton Act」と呼ばれるシリーズ戦を2007年まで定期的に開催し、各年度ごとにシリーズチャンピオンを決定することとなっている。

2006年6月現在、Louis Vuitton Actは11戦開催され、2004年度はEmirates Team New Zealandが、2005年度はTeam Alinghiがそれぞれシリーズチャンピオンに輝いている。

なお各年度のシリーズランキングとは別に、防衛艇のTeam Alinghiを除く11チームによって争われる「Louis Vuitton Ranking Points」と呼ばれるポイントランキングが用意されており、2007年の第13戦終了時点のランキングに基づき

1位 - 4ポイント
2~4位 - 3ポイント
5~7位 - 2ポイント
8位以下 - 1ポイント
が「ボーナスポイント」として、ルイ・ヴィトンカップの予選に持ち越される。

("America's Cup" from wikipedia)日本語翻訳文の続きは、こちらから入れます。


<添付画像>:Peter Holmberg, Alinghi helmsman(Photo credit: Ivo Rovira/Alinghi)
Winning and watching, just two of the goals for Louis Vuitton Act 12, and the man on the helm for the job, is Peter Holmberg in the tried and tested SUI75. This will be the last time the Defender will meet the challengers in a match race until the start of the first race of the America’s Cup Match in 2007. Holmberg gives his take on the importance of LV Act 12: “It’s important because it’s one year away to the start of the America’s Cup, so the weather patterns are critical for us. Also it’s our last real chance to see our competitors. After this the challengers form a group and the Defender gets excluded from that. So it’s our last chance to measure the opponents themselves, their boats, their speeds. It’s an important week for us.” Team skipper and tactician, Brad Butterworth, is confident in the Alinghi crew rotation policy, vital to keep the in-house racing of the highest standard. He says: “Pete’s strength is match racing and he can sail the boat fast too, so you get the best of both worlds. The guys are hired for their skills in starting and he’s one of the best starters around.”
With two America’s Cup campaigns behind him, numerous Congressional Cup wins and a Silver Olympic medal, among other wins, Holmberg lives up to his crew mates appraisals. Jochen Schuemann, sports director and fellow helmsman, comments on Holmberg’s match racing style: “He is very much structured for match racing tactics. He is aggressive, with a clear plan and comes with a clear approach to everything, which he is able to execute with good boys around him.” Born and raised on the Caribbean island of St Thomas, Holmberg was sailing by five, now as one of three helmsman on the team, the other being Ed Baird, he takes nothing for granted: “We are placed well to win the Cup, not Defend it. The easiest way to lose something is by trying to hold onto it and the best way to keep something is to earn it back. So that is our goal and hopefully that mindset goes throughout the team. We've got a great group of people. I think our chances are excellent”. What can fans expect of the America’s Cup Defender in this Act? “You are going to see our standard package. Our squad will go out there in rotation,” says Holmberg, adding: “We are still a year away. We have a different challenge to the other teams. We are the Defender, so all that matters for us is one year from now to be perfectly race ready, so our focus now is on boat development and little by little ticking away at the crew development. So, during this Act, we will rotate the crew, still going for a winning result of course, but trying to give everybody equal time to develop our whole team.”