Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

拝啓櫻井よしこ様(日本人の英語は?)「何があっても大丈夫」、感想文に寄せて

2006-06-03 12:05:45 | 趣味の話&本と雑学メモ
<添付画像>:The "Stocks and Stripes flag", the united stockholders of America. A protest flag signifying the alleged corporate influence over the U.S.("Globalization" from Wikipedia)

 拙ブログにて投稿した連載読書感想文「何があっても大丈夫」、読者から多くの有意義なコメントを頂き、不肖エセ男爵と致しましては幸せこの上なく、お寄せいただいたコメンテーターの皆様に感謝!
 上述感想文の続編掲載シリーズ化してしまった今日、お寄せいただいた感想コメントを読み返せば読み返すほど、お寄せいただいたコメントの中、読者の皆様の真剣前向きな「お考え」を繰り返し拝読、、、。お寄せ頂いた皆様全てのコメントから感ずる事、学ぶ事、多々あり。想えばおもうほどに、我が痩身にして全身、幸せ感覚に満ち溢れ、ブログ管理者冥利に尽きる事この上なく、誠に光栄の至りであります。
 かくして、読書感想文「この一冊」に関する最終投稿は理路不整然にして結論無きまま、なぜか「英語学習のあり方」に辿り着いたものの、計らずして読者の皆様からは「目から鱗の落ちる」如きすばらしく力強いコメントを数多く頂きました。
そして、
いよいよ昨晩、最終コメントを頂いた『CFOさん宛コメント』に対するお答えコメントの投稿、終えたところであります。投稿文字数はすでに3000文字を超え、長いコメント文章になったもの。
一夜明け、
我が投稿コメントを読み返せば、CFOさんから頂いたオリジナルコメントのすばらしさにあらためて感動。
 このままコメント欄に仕舞い込んで置く事、如何にも「もったいなく」、本日(CFOさんのご了解無きまま)本記事として公開し、あらためて皆様にご紹介申し上げたくご案内に至る次第であります。

 現在の我国日本における、企業英語現場の実態に対応すべき「お姿、姿勢」、加えて語学習得に関しての「力強いご意思」をご表示頂いた事、感謝いたしますと共に、語学学習に感心をお持ちなる「拙ブログ」読者の皆様には大いなるご参考にして頂きたく、以下全文、是非ご通読下さいますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

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<コメント欄投稿記事>


A)『英語は外国語?いや、自分達の言語です。 (CFO)』
(先日掲載済み)最終編感想文『何があっても大丈夫』のコメントより引用>

2006-06-01 00:00:38

男爵さん、
英語の需要という点において大人の場合「できて当たり前」、全く同じ認識です。専門スキルが同レベルの場合、英語ができるのとできないのとで年収が20%~50%、金額にして200万円~500万円も違いますし、リストラに際しては英語のできない社員から解雇される会社もごく当たり前です。あくまでコミュニケーションツールに過ぎない英語で給与に差が出るのは本来であればおかしな話ですが、これは社会でそれほど多くの需要があるのにもかかわらず供給がそれに追いついていないと解釈できましょう。ゆえに、大人・子供を問わず国民全体の英語力急上昇が緊急課題であると考えます。
男爵さんは第2外国語の重要性までを認識されておりますが、これは私に警笛を鳴らしていただいたと言っても過言ではありません。現状は英語だけで精一杯、専門分野は何とかこなせるものの日常英語は四苦八苦、後者ができないことによるハンディを身にしみて体験しており、汎用性の高い日常英語力を緊急に増強中です。しかしながら、第2外国語を視野に入れるべく、ここで音を上げていてはいけないのでしょうね。第2外国語は中国語・韓国語などのアジア言語がよろしいのでしょうか?
tonoさんの言葉を借りますと、英語はれっきとした世界標準語(グローバル標準語)、これに対して日本語はローカル標準語(即ち方言でしょうか?)であると認識しております。ゆえに、日本人にとって英語は外国語などではなく、自分達のもう一つの標準語であると考えます。また、適用範囲という点では、日本語はドメスティックな日本というエリアのみ、翻って英語は全世界で通用しますので、ある意味こちらの方がプライオリティーが高いとも言えます。それほど英語は日本人にとって重要な言語であると考えます。ゆえに、小学校での英語必修化、英語教育の早期化を議論するに際しては、日本語とどちらが重要か、どちらを先に学習すべきかという問題は甲乙をつけられないと考えます。どちらも自分達の共通語なのですから、小学校、幼稚園、いや生後可及的速やかに両方を学習すべきであると言っても過言ではないと考えます。英語を人様の言語ではなく自分達の言語であるという認識を持つことが出発点であると考えます。
(以上、CFOさんからのコメント転載)

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<以下、不肖エセ男爵による「返信コメント」>

B)『CFOさん・・ (エセ男爵)』

2006-06-03 02:05:09

初めてのコメントを頂き、たいへんありがとうございます。にもかかわらず、CFOさんへのご返事遅くなり、たいへん恐縮です。
日本における英語の需要と供給、簡潔且つ完結した論評、お見事です。

あらためて勉強になりますこと、御礼申し上げます。

たいへんありがとうございます。

未だ拙き未熟者エセ男爵にして、すでに何も申し上げるべき事柄はありません。が、しかし、このままご返事をコメント欄に記さねば、如何にも失礼にあたるのではないか!
等と、おおいに悩み、考えあぐねた上、
あらためてキーボードを叩き始めました。
さて、どこからどのようにお答えしたら宜しいか?
などなど、支離滅裂になること覚悟にてのご返事、あらためてお許し下さい。

>英語の需要という点において大人の場合「できて当たり前」、全く同じ認識です。・・・

・認識を同じくしていただき、たいへんありがとうございます。

>専門スキルが同レベルの場合、英語ができるのとできないのとで年収が20%~50%、金額にして200万円~500万円も違いますし、・・・・
(・中略・)
・・・・あくまでコミュニケーションツールに過ぎない英語で給与に差が出るのは本来であればおかしな話ですが、これは社会でそれほど多くの需要があるのにもかかわらず供給がそれに追いついていないと解釈できましょう・・・・

・私自身、いわゆる「企業現場」から遠ざかって久しい今日、現場実態にして、ここまでの「需要」有りという現実、よく理解できました。ならびに「語学需要に対する」認識から発生する「報酬格差」が生じている現実、あらためて認識いたしました。正直申し上げ、たいへん驚いています。


さて、
第二外国語の問題について、

これは人それぞれの現場によって、おおきな相違が生じてくると思っています。しかし、21世紀の「日本人の素養」という捉え方からすると、今の英語程度まで第二外国語のレベルを向上しないとまずいのでは?と、実感しています。
くわえて、
英語日常会話の重要性云々について、私はあまり重点を置いて考えないようにしています。
人により、差こそあれ、英語会話こそ、一番安易で簡単であるという認識です。
企業内あるいは実務現場での専門分野英語から派生する業務処理は最重要事項であり、日常会話レベルコミュニケーションは、あくまでも付随的であると位置付けています。もちろん、これとて仕事のフィールドの相違によって、大きくウエイトの違いが生じてくる。とも思われます。最重要事項は文章の解読、次に文章の作成能力であると信じてやみません。

押しなべて、ツールとしての語学(英語)は、
1)自分から(能動的に)話す事、即ち自らが発する会話を組み立てる事こそが、一番易しい「英語道具」の使用運用方法です。
2)次に難しいのが、専門分野の如何を問わず、文章が「読める」かどうか?(05’11月18日投稿、読書感想文「渡部昇一先生著・英文法を撫でる」ご参照下さい・・)
3)次に、「他人の喋る言葉」が、聞き取れるかどうか?相手様の話が聞き取れれば、如何様にでも自らの会話は成立可能です。相手のくだけた会話に対して、こちらは文語調の応答でも、完全に通じますし、決して失礼ではありません。
4)一番最高位に位置するのは、書けるかどうか?
以上、4点セットで成り立っていると思ってやみません。
ですから、(例え話をすれば)
私は電車に乗っているとき、女子高校生の話している日本語は聞き取れますが、会話の内容は分かりません。また、彼女達の会話内容を理解しようとも思いません。さらには、彼女達の話し言葉(未知の単語+文法運用など)は、時に、聞き取れない事もあります。別例を挙げれば、米軍の召集兵(特に黒人の兵隊)の言葉は、ほとんど聞き取れません。そして、上記の言葉など聞き取れなくても一向に気になりません。
さらに、
初めてお会いした人との会話を進める場合、ほとんど聞き取れないので何度も聞き返します。失礼を承知で、、、。ならば相手の方は私に対して気を使って下さり、「私がわかるような話し方」にして頂くこと可能。これでようやく話が聞こえてきます。相互の調整可能なるのは「会話の世界」ですから、会話は簡易にして楽なのです。恥ずかしながら、久しぶりに米大陸を旅行すると、到着して約1週間程度は、現地の人たちの会話は聞き取れませんが、10日間くらい経つと、なんとなく会話が聞き取れ始め、理解可能になります。要するにこちらの耳が慣れてきます。しかしイザ、相手に対して「私が話す」場合、ほとんど全員の人に対し、私の会話内容は分かるようです。「これで問題はない」と、腹を括っています。

時は、「グローバル時代」です。(ウイキペディア百科事典によるによる「グローバリズム語彙」の定義?は、こちらからご参照いただけます・・
まして、IT時代(今や、ICT時代か?)、その共通語は、どうも「英語」のようです。
これが現実です。
現実からは、けっして目を離せません。
ならば逃避せず、英語は「学んだ方が得」する事、これも現実のようです。
しかし、「グローバルの語彙」を間違って解釈したり、勘違いしている人もあります。
経済学の解釈と、社会学者(この学問フィード、理解しかねるのですが)とは異なるようです。社会学者の多くは、グローバリゼーションなるもの「強者・勝者アメリカ合衆国とその配下の横暴」と、誤解しているようで、勝者の言葉即ち英語世界と米国の経済的軍事的な圧力に屈したくなく、アメリカ的大国に属したくない。という、マイノリティーへの弱者救済のために、グローバリゼーションを否定している「愚者」も多く存在するようです。非現実的且つ非理論的なので、このあたりの議論はしないことにします。
私自身が(勝手に)解釈しているのは、経済学経営学で云う「グローバリゼーション」です。
その意に従って解釈すると、このグローバリゼーションは何も20世紀の末に始まったものではなく、遠く紀元前から始まり、今日に至ったという解釈(経済学的解釈)です。古代文明が開化した時代からギリシャローマ時代を経て、(当時の)オリエントという特定地域の情報はヨーロッパ全土に広がり、インドに広がり、ユーラシア大陸を経て東西交流からシナ大陸へ、さらに飛鳥奈良の時代に日本にも伝わってきた。これをして「グローバリゼーション」と云う。等と、経済史学説上(ヒックス教授「経済史の理論」参照引用:拙ブログにて記事掲載済み)、定義付けています。
そして、
すでに聖徳太子の時代には、完全にチャイニーズ(言語)を日本に輸入?、仏教等の諸文化もすべからく「漢字」を駆使して伝来したもの。
江戸期(270年程度か?)の鎖国時代前後(尚、鎖国中は清国及びオランダ等と交易の中)、日本人は外国語に慣れ親しみ「外国語を駆使」しつつ、(外国文化科学などを)日本古来本来の自国文化に消化吸収しながら明治維新をむかえ、一気に国際化(グローバリゼーション)開花したものと解釈しています。
いま、21世紀を向かえ、経済的には世界の国境がなくなった現状、過去にもまして情報が飛び交う現状、外国語習得の重要性を直視せずして、日本人の得意な本来的個性は発揮できないとも思えます。
今尚、外国語習得不得意な日本人の難点は、
日本語の文法的構造と、英語のそれとは隔たりが大きい。
しかし、明治の文明開化を経験した日本人(リ-ダークラスの日本人も含め)と比較すれば、今の日本人はあまりにも恵まれているのではないかとも思われます。
しかし現在、思いのほか外国語駆使に難渋する日本人の多き現実を省みるに、片寄った情報により、どうも世界が見えているようで見えていないのが我国の現状か、とも思えてなりません。片寄った情報はすべからく「片寄った教育」と「片寄ったマスコミ情報」。加えて、平和ボケした我国の一般大衆、究めつけは片寄った政治家と政府に基因するか。と、考えます。

そして、英語教育について、
まず、
そんなに不可分過不足を感じなかった戦後の英語教育を、今の英語教育とごった混ぜにはできないと思います。
なぜか?
この四半世紀の間、学校教育現場の根本が変わった、という事実があります。日教組のせいにするか?それは枝葉末端です。むしろ、文部科学省全体の責任でしょう。
英語教育だけを取り上げず、初等教育全体を見直す必要があると思います。
よみ、かき、そろばん、加えて正しき歴史認識、これこそ大切です。
教育基本法の云々が叫ばれる中、法律を正しく制定し、日本国のあり方を日本人全員で考え直す時はとっくに来ています。
国の存亡に関わるたいへんな出来事です。
そして、日本人の大人の中、比較すれば外国語にさほど関わらなくても生活できる範疇にある国民とそうでない国民がいます。いつの時代でも、この相違は存在したはず、、、。
しかし、
話は根本の根本に戻り、ジャーナリスト櫻井女史に戻すと、
日本のジャーナリズム世界には、今最も外国語の必要な時代に突入しているにもかかわらず、ジャーナリストの道具としての外国語に不足している人材があまりにも目立つ。あるいは、報道統制しているのではないか?と、勘違いするほどに、ジャーナリズム世界には断片的かつ狭視的偏見的報道の目立つ昨今、櫻井さんのジャーナリスト基盤は、女史自身の語学力と情報収集能力にあり、且つ、健全な日本人的感性に基因する判断力である。と、思います。

第二外国語の選択、
その人それぞれの仕事のフィールドで選択する、それで宜しいのではないかと思います。

そして、初等教育における英語教育実施の是非について、
私論は、「必要!」
と、断言します。
しかし、その前に「万全なる準備」が必要です。これには多々しなければならぬことあります。このコメント欄での論議は控えます。

ついつい熱が入り、長くなりました。

たいへん失礼しました。

また、これを機会に「不肖エセ男爵ブログ」とのご交友、今後とも宜しくお願いします。


 < 完 >

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