
「美女と闘牛士」(リパブリック、1951年)
「ロデオ・カントリー」(ユニヴァーサル、1952年)
ベティカーの(ほぼ)自伝的作品にして伝統競技の(ほぼ)ドキュメンタリー。二重のいみでいわば(ほぼ)“真実の瞬間”をとらえた(?)双子の二篇。
名マタドールたちに挽歌を捧げた「美女と闘牛士」。都会の利己的で目立ちたがりやの若者が伝統競技のマイスターにじぶんを売り込み、競技者としても人間としても成長する。ホレス・マッコイ(『鉄腕ジム』『ひとりぼっちの青春』)が脚本を手がける「ロデオ・カントリー」でも、舞台をメキシコの闘牛場からフェニックスのロデオスタジアムに移して、ほぼ同一の無骨でシンプルきわまりない話が物語られる。
“デューク”・ウェイン製作の「美女と闘牛士」。タイトルがしめすごとく徹頭徹尾類型的な物語。馬鹿面の若きロバート・スタックとギルバート・ロランの周囲に薄っぺらで雰囲気だけは香り高い業界人キャラを飾り物として配し、型通りの行動をとらせる。スタックと恋に落ちる“美女”ジョイ・ペイジはおぼこ。掩護役にローカルカラー豊かな糟糠の妻ケイティ・ジュランドーときれいどころヴァージニア・グレイを配すも、どこまでも汗臭くマッチョなドラマ。メキシコの陽光で彫り上げられたハリウッドらしくない埃っぽい画調がほのかにシュール。
対して素朴な原色が際立つテクニカラーの「ロデオ・カントリー」はノーマン・ロックウェルの挿し絵ふう。人物はやはり類型だが、チル・ウィルス演じる道化師のキャラにそれなりの厚みがあり、唯一の女性キャラ(ジョイス・ホールデン)をめぐってほのかな三角関係が演じられる。「美女と闘牛士」ではスタックを救おうとしたロランが命を落とし、「ロデオ・カントリー」では似たような状況でウィルスがスコット・ブラディの身替わりになる。主人公が病室を見舞う同じような場面が続く。「大声を出すと傷が痛む。そばに寄れ」。道化師の気恥ずかしいほど臭い説教はあくまで小声で囁かれることで心に沁みる。
ロングで捉えられたドキュメンタリーふうの競技シーンと執拗にインサートされる見物人のアップ。ロランとウィルスが痛手を追う場面では、獣の餌食になる犠牲者と妻(娘)のアップが素早いカットバックで交錯してエモーションを煽る。「美女と闘牛士」ではクライマックスでの布さばきに無駄なスローモーションがかけられる。「ロデオ・カントリー」では大鏡が小道具に使われるがさして効果を上げていない。
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