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ジュ・テーム……マッスルメン:『The Ten Gladiators』『ヘラクレスの怒り』

2016-04-11 | その他


 Viva! peplum! ~古代史劇映画礼讃~ No.32

 ジャンフランコ・パロリーニ『I dieci gladiatori (The Ten Gladiators)』(1963年)、『ヘラクレスの怒り』(1962年)

 マカロニ・ウェスタン末期の名匠として知られるパロリーニは、コッタファーヴィ『剣闘士の反逆』の脚本に参加したり、「マカベア書」を題材とする数少ない作品(『Il vecchio testamento ; The Old Testament』)を残していたりと、古代史劇映画の歴史にも大いなる貢献を果たしている。そのパロリーニによるマッスルメン・ムーヴィー二本立て。「The Ten Gladiators」は脚本に三大セルジオの一角ソリーマが参加している。ネロの側近が実は反乱軍の首謀者で、十人の剣闘士を率い、こまわりくんふうのデカイ顔を白塗りにしたネロを血祭りにする。

 ネロによるキリスト教徒迫害といったモチーフを絡めてはいるが、パロリーニの本領は代表作のひとつ『西部悪人伝』(フランク・クレイマー名義)に典型的な悪ノリ気味のお祭り騒ぎにある。本作にもパロリーニらしいサービス精神が横溢していて、曲芸とガジェット満載の『西部悪人伝』がジェームズ・ボンドものだとすれば、ひたすら物量戦に訴えた本作は『オーシャンズ11』とでも言えようか。一人でも暑苦しい半裸のむくつけき巨体が十人も(+小さい人)束になって画面狭しと躍動するさまは、パロリーニ一流の華麗なキャメラワークと相俟ってとにかく壮観である。マッスルメン好きにはたまらないだろう(そのぶん、きれいどころは十字架上で火刑に処されかかるバービー人形ふうのずべ公一人だけ)。

 十人が闇の中を忍者よろしく敵陣に切り込む場面ではじまる緊張感に満ちたオープニングに期待が高まる。アクションシーンとコミカルなシーンを織り交ぜるさじ加減も絶妙。口先より筋肉にものを言わせるマッスルメンの常として、口が立たない(うち一人は聴覚障害者)のを補うためか、もしくはストーリーの単調さをごまかすためか、仲良しの十人、とにかく始終じゃれあってはつまらぬ冗談を飛ばし、地をも揺るがす豪快な洪笑をあたりに響きわたらせている(“無意味な笑い”の法則はマカロニ・ウェスタンに引き継がれる)。

 主役にフィーチャーされているのはマッチョ俳優ダン・ヴァディス。なお本作はシリーズ化され、ほぼ同じキャストで二本の続編が製作されている。

 さて、マカロニ・ウェスタンにはピエロ・パオロ・パゾリーニやオーソン・ウェルズやジャン=ルイ・トランティニャンといった大物がけっこう出演しているのに対し、同じイタリアの古代史劇映画にはこれといったカルチャー・ヒーローが出演していない。そんな中で気を吐いているのが(というほどでもないが)あのセルジュ・ゲンズブールであり、三本ほどの出演作がある。そのうちの二本をパロリーニが監督していて、『ヘラクレスの怒り』はその一本。




 ヘラクレス役は斯界の大御所ブラッド・ハリス。反乱の民を導いて独裁者のゲンズブールと張り合う。ゲンズブールは典型的なタイプキャスティングで、その悪役ぶりに期待するとあてがはずれる。あのギョロ目と鷲鼻と巨大な耳はじゅうぶんに倒錯的な独裁者の貫禄をそなえているものの、基本的にそれだけ。悪役らしい演技と言えば、木箱の蓋を開けて裏切り者の死体(短刀を腹に突き立て目を見開いたまま)を側近に示し、サディスティックにニカッと笑ってみせたり、女に一発びんたを食らわせるくらいで、基本、棒立ちで事務的に台詞を言っているだけ(とうぜん吹き替え)。憎々しげな顔とむきだしの貧弱な太もものコントラストがかえってギャグとして笑えてしまう。女性のキャラが無駄に多いので艶福家のゲンスブールとしてはご満悦だったかも。

 本作においてもやけくそ気味の物量作戦は顕在。ヘラクレスは象やライオンやゴリラと続けざまに格闘する。なお本作は専制君主が敗れ去り民衆が勝利する唯一の古代史劇映画である(?)とする資料あり。


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