アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

ナタリー先生、虹になったよ

2015-10-20 01:53:02 | 日記
甥っ子とその友達3人を交えた、バーベキューを楽しんだお天気の日曜日、夜にフェイスブックを見たら、パーソン・センタード表現アートセラピー研究所の創立者、心理学者カール・ロジャーズの娘で、ご本人も心理学者であるナタリー・ロジャーズ博士の訃報を知りました。


4歳ひとり、6歳二人、20代4人、40代4人、50代3人、70代ふたり、80代ひとり、といつもより平均年齢が
若い(!)集まり


振り返ってみると、大学で、カール・ロジャーズの考案したエンカウンターグループを応用したグループワークを教えていた教授のゼミにいた頃から、ナタリー・ロジャーズ先生とのご縁は、密かに始まっていたのかもしれません。特に心理学を職業にしようとはおもわず、コンピューターの会社にちょっと在籍して、すぐにレコード会社に転職し、結婚し、離婚し、
5年弱勤めたその会社をやめる頃に、アメリカ西海岸でのサイコドラマのワークショップをうけ、たまたまそこにゲストに来ていたナタリー先生の短いワークショップの通訳をしたのが初めての出会いでした。


光がきれいでしょ?

絵とか動きとか音とか、いろんなやり方でその時の内面を表現していくワークショップは新鮮で、またナタリー先生の人柄にも惹かれて、パーソン・センタード表現アートセラピーのトレーニングコースを受けたのが20年ほど前のこと。初めてのトレーニングコースでは、わけわからずに呆然としてる私に、ナタリー先生は優しく、忍耐強く働きかけてくださり、いっしょに組んでムーブメントやシェアリングをし、彼女の洞察力や直感の鋭さ、そして許容量の広さに驚いたものでした。直接先生に教わることができたのは、今から思うととても幸運なことでしたが、その当時はなんとも思わなかったのが、もったいなかった(笑)。


燻製セットを使ってみる。チーズ美味しかったです!

ニューヨーク州のキャッツキルでのワークショップ会場まで車で送ってくれた、マンハッタン在住の知り合いのご夫婦が、ヒッピーみたいな雰囲気の会場を見て「怖くなったらすぐに連絡してね、迎えにくるから」と心配そうに言ってくれたこと。何をやってるんだか理解できなくて、夜、月を眺めながら呆然としたこと。同じ参加者だったカソリックの修道女の人とのペアワークで、妙な安心感を覚えて、そのあと深い瞑想に入ったこと。カリフォルニアのエジプト好きの女主人が経営している会場でのワークショップの直前に嵐が来て、道が洪水で遮断されたこと。張り裂けるような叫び声が腹の底からでてきたこと。何メートルもの長い紙にたっぷりの絵の具で巨大な絵を描いたこと。そのあとジャグジーにはいってイギリスから来た参加者に抱きついたこと・・・。


焼き係に徹する夫。

何度も反発して、何度も泣いて、何度も感動して、何年かかかって450時間のトレーニングを終え、論文を書いて修了書をとったのに、自分では数回しかワークショップを日本で開催しただけで、何もしなかったけれど、本を書いて、そのあとナタリー先生に本を見せたら、喜んでくれたこと。そのあとから、通訳の立場で表現アートセラピーに関わり、ハワイやサンフランシスコでナタリー先生の通訳をしたこと。会うたびに、嬉しくて、でもちょっと疑問もあって、そのあとすごいなあと感心していたこと。


お絵かき大好き。

3.11の時、香港にいてそのまま滞在を延ばし、ナタリー先生が教える香港ではじめてのパーソン・センタード表現アートセラピーワークショップに参加して、ひょんなことからまた通訳をする羽目になったこと。妊娠していた私を祝福してくれたこと。震災で日本に帰れず不安に思う私がそこで表現したものは、でも、不安ではなくて自然への畏怖だったことを見届けてくれた先生。そのあと生まれた娘の写真を送ったら、とても喜んでくださって、似たような時期に生まれたお孫さんの写真を送ってくれたこと・・・。


絵の説明をする。

いろんな思い出が一挙に押し寄せて、圧倒されました。尊敬してはいたけれど、大ファンというほどでもなかったのに、思い出しながら、私が大人になってからのナタリー先生の影響力の大きさに改めて驚き、そして先生に巡り合えた幸運、もうお会いできない寂しさなどがぐるぐると混ざって押し寄せてきて、涙がつるつると出てくるのでした。ろうそくを灯して、ベランダにおいて、三日月を眺めながらろうそくの揺れる炎を見つめていたら、娘が「ママ、何してるの?」。

「ママの大事な先生が亡くなったの。ナタリー先生っていうんだけど、もう会えないんだ」というと「かわいそう・・・」となぜか娘も泣きそうな様子を見せます。私の真似をしただけかもしれないですが(笑)。いっしょにベッドに入ったあとも涙がぽろぽろでてくる私を見て、「先生にあえないの、かわいそう」とまた娘は泣いたふりをしながら「涙でないで泣いてるの」だそうで(笑)。


ナタリー・ロジャーズの本の和訳

次の朝、起きた娘の第一声は「ナタリー先生いなくなって、悲しいの」。泣いたふりなのか、本当なのか?「あのね、夢を見たの。先生が通り過ぎて、でもまた戻ってきて、私に「ごめんね、もう死んじゃうの」って言ってから死んじゃうの。でもそのあと虹になったんだ」。へえ〜。あったこともないのに。いや、香港でナタリー先生に会った時は、もうお腹の中にいたから、もしかしたら・・・??


ナタリー先生

ナタリー先生、本当にどうもありがとうございました。もうお会いできないのはとても寂しいですが、先生にお目にかかれた幸運に感謝します。先生のなさった大きなお仕事、大きな愛情に想いを馳せたら、なぜか私はこれからどう生きるのか、を考えさせられました。ご冥福をお祈りいたします。