(↑アメブロの記事です。)
今年のゴールデンウイーク、諏訪への旅行は、
たいした計画も無く、行き当たりばったりの旅行でしたが、
偶然なのか、神様のお導きなのか、
見たかったもの、滅多に見ることの出来ない貴重なものが
全て見ることが出来たと言う
奇跡のような旅行でした。
その諏訪旅行、第一日目は、
『仏法紹隆寺』(ぶっぽうしょうりゅうじ) です。
門の前の桜の木はまだ花が咲いていました。
諏訪藩の藩主高島家の祈願寺であり
坂乃上田村麿の開基、弘法大師空海の草創と伝えられる
由緒のあるお寺です。
明治時代の神仏分離令が発布されるまで、
日本の宗教は神仏混交(または神仏習合) と言う独特なものでした。
お寺と神社は一体化し、元々神社だった所には、神宮寺というお寺が置かれました。
また、もともとのお寺には鎮守という神社が置かれました。
日本の神様は、仏様が人間の姿になってこの世の現れたもの、
「権現」といわれるようになり、
神の本当の姿である仏様を本地仏といいました。
明治維新後、薩長政府は天皇を中心とする国家を作るために
国家神道として神道を国の宗教としました。
そして神仏分離令 が発布されると、
廃仏毀釈 という仏教弾圧が行われました。
各地のお寺でお堂や仏像が破壊され、経文などは焼かれ、
多くの寺院が廃寺に追い込まれました。
諏訪大社にも神宮寺がありましたが廃寺となってしまいました。
こちらのお寺には、
廃寺となった諏訪大社上社の神宮寺のご本尊、
諏訪大明神の本地仏の普賢菩薩が破壊を逃れて安置されています。
本堂と手水舎と夫婦銀杏の樹です。
観光客は諏訪大社の御柱際へ行っているのか
とても静かでした。
↑こちらが諏訪大明神の本地仏、普賢菩薩が納められている普賢堂です。
この日は(いつもかもしれませんが)中へ入ることが出来ず、
普賢菩薩は拝見することが出来ませんでした。
けれども、偶然、奇跡的に次の日に
別の場所で、その普賢菩薩像を拝見することが出来ました。
しかしこの日はそんなことも知らず、
がっかりして、裏手の庭園に行きました。
普賢堂の裏側の庭園です。
そして、さらに裏の小川には、
見事な二輪草の群生が、花を咲かせていました。
普賢菩薩が見れなかった残念さも吹き飛ぶ綺麗さでした。
一つの茎から二厘の花が咲くことから
二輪草と名前が付きました。
種類としては一輪草の仲間です。
キンポウゲ科イチリンソウ属です。
花びらが五枚から七枚。
色は白からうっすらとしたピンク色。
花言葉は、仲良し、友情。
↑門の外から見えた大銀杏の樹。
夫婦銀杏でした。
↑こちらもご神木の大欅です。
とても古い、太くて大きな樹でした。
では、まだ続きます。
たいした計画も無く、行き当たりばったりの旅行でしたが、
偶然なのか、神様のお導きなのか、
見たかったもの、滅多に見ることの出来ない貴重なものが
全て見ることが出来たと言う
奇跡のような旅行でした。
その諏訪旅行、第一日目は、
『仏法紹隆寺』(ぶっぽうしょうりゅうじ) です。
こちらの山門は、諏訪大社の神宮寺から移築されたものです。
大きな銀杏の木がありました。
大きな銀杏の木がありました。
門の前の桜の木はまだ花が咲いていました。
諏訪藩の藩主高島家の祈願寺であり
坂乃上田村麿の開基、弘法大師空海の草創と伝えられる
由緒のあるお寺です。
明治時代の神仏分離令が発布されるまで、
日本の宗教は神仏混交(または神仏習合) と言う独特なものでした。
お寺と神社は一体化し、元々神社だった所には、神宮寺というお寺が置かれました。
また、もともとのお寺には鎮守という神社が置かれました。
日本の神様は、仏様が人間の姿になってこの世の現れたもの、
「権現」といわれるようになり、
神の本当の姿である仏様を本地仏といいました。
明治維新後、薩長政府は天皇を中心とする国家を作るために
国家神道として神道を国の宗教としました。
そして神仏分離令 が発布されると、
廃仏毀釈 という仏教弾圧が行われました。
各地のお寺でお堂や仏像が破壊され、経文などは焼かれ、
多くの寺院が廃寺に追い込まれました。
諏訪大社にも神宮寺がありましたが廃寺となってしまいました。
こちらのお寺には、
廃寺となった諏訪大社上社の神宮寺のご本尊、
諏訪大明神の本地仏の普賢菩薩が破壊を逃れて安置されています。
本堂と手水舎と夫婦銀杏の樹です。
観光客は諏訪大社の御柱際へ行っているのか
とても静かでした。
↑こちらが諏訪大明神の本地仏、普賢菩薩が納められている普賢堂です。
この日は(いつもかもしれませんが)中へ入ることが出来ず、
普賢菩薩は拝見することが出来ませんでした。
けれども、偶然、奇跡的に次の日に
別の場所で、その普賢菩薩像を拝見することが出来ました。
しかしこの日はそんなことも知らず、
がっかりして、裏手の庭園に行きました。
普賢堂の裏側の庭園です。
そして、さらに裏の小川には、
見事な二輪草の群生が、花を咲かせていました。
普賢菩薩が見れなかった残念さも吹き飛ぶ綺麗さでした。
一つの茎から二厘の花が咲くことから
二輪草と名前が付きました。
種類としては一輪草の仲間です。
キンポウゲ科イチリンソウ属です。
花びらが五枚から七枚。
色は白からうっすらとしたピンク色。
花言葉は、仲良し、友情。
↑門の外から見えた大銀杏の樹。
夫婦銀杏でした。
↑こちらもご神木の大欅です。
とても古い、太くて大きな樹でした。
では、まだ続きます。