猫好きエンジニアの呟き

車好き、猫好きのエンジニア『シン・レオ(元あうでぃ猫)』の日記です
食べ歩記、ドライブ写真、神社仏閣、植物写真など

諏訪旅行、一日目。仏法紹隆寺

2010年05月21日 23時14分14秒 | 神社・仏閣
 
(↑アメブロの記事です。)
 
今年のゴールデンウイーク、諏訪への旅行は、

たいした計画も無く、行き当たりばったりの旅行でしたが、

偶然なのか、神様のお導きなのか、

見たかったもの、滅多に見ることの出来ない貴重なものが

全て見ることが出来たと言う

奇跡のような旅行でした。

その諏訪旅行、第一日目は、

『仏法紹隆寺』(ぶっぽうしょうりゅうじ) です。

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(↑クリックすると写真へ移動します。)
 
こちらの山門は、諏訪大社の神宮寺から移築されたものです。

大きな銀杏の木がありました。

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門の前の桜の木はまだ花が咲いていました。

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諏訪藩の藩主高島家の祈願寺であり

坂乃上田村麿の開基、弘法大師空海の草創と伝えられる

由緒のあるお寺です。

明治時代の神仏分離令が発布されるまで、

日本の宗教は神仏混交(または神仏習合) と言う独特なものでした。

お寺と神社は一体化し、元々神社だった所には、神宮寺というお寺が置かれました。

また、もともとのお寺には鎮守という神社が置かれました。

日本の神様は、仏様が人間の姿になってこの世の現れたもの、

「権現」といわれるようになり、

神の本当の姿である仏様を本地仏といいました。

明治維新後、薩長政府は天皇を中心とする国家を作るために

国家神道として神道を国の宗教としました。

そして神仏分離令 が発布されると、

廃仏毀釈
という仏教弾圧が行われました。

各地のお寺でお堂や仏像が破壊され、経文などは焼かれ、

多くの寺院が廃寺に追い込まれました。

諏訪大社にも神宮寺がありましたが廃寺となってしまいました。

こちらのお寺には、

廃寺となった諏訪大社上社の神宮寺のご本尊、

諏訪大明神の本地仏の普賢菩薩が破壊を逃れて安置されています。

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本堂と手水舎と夫婦銀杏の樹です。

観光客は諏訪大社の御柱際へ行っているのか

とても静かでした。


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↑こちらが諏訪大明神の本地仏、普賢菩薩が納められている普賢堂です。

この日は(いつもかもしれませんが)中へ入ることが出来ず、

普賢菩薩は拝見することが出来ませんでした。

けれども、偶然、奇跡的に次の日に

別の場所で、その普賢菩薩像を拝見することが出来ました。

しかしこの日はそんなことも知らず、

がっかりして、裏手の庭園に行きました。


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普賢堂の裏側の庭園です。

そして、さらに裏の小川には、

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見事な二輪草の群生が、花を咲かせていました。

普賢菩薩が見れなかった残念さも吹き飛ぶ綺麗さでした。

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一つの茎から二厘の花が咲くことから

二輪草と名前が付きました。

種類としては一輪草の仲間です。

キンポウゲ科イチリンソウ属です。

花びらが五枚から七枚。

色は白からうっすらとしたピンク色。

花言葉は、仲良し、友情。



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↑門の外から見えた大銀杏の樹。

夫婦銀杏でした。


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↑こちらもご神木の大欅です。

とても古い、太くて大きな樹でした。

では、まだ続きます。


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