猫好きエンジニアの呟き

車好き、猫好きのエンジニア『シン・レオ(元あうでぃ猫)』の日記です
食べ歩記、ドライブ写真、神社仏閣、植物写真など

群馬県、榛名神社(はるなじんじゃ)

2011年11月20日 23時28分58秒 | 神社・仏閣

昨日の土曜日はあいにくの雨の中、水澤観音(水澤寺)へお参りしました。

 

予定では、その後、榛名神社へお参りするはずだったんですが、

雨のせいもあり、薄暗くなってきたので、今日の朝、榛名神社へお参りしました。

午後から用事があったのでかなり慌ただしかったんですけどね。

 


 

昨日はひどい雨だったんですが、一夜明けたら良いお天気になりました。

 

上の写真は、随神門です。

明治維新前は神仏習合のお寺だったので、仁王門であったと思われます。

江戸時代までは上野の寛永寺に所属するお寺だったそうです。

明治になって、神仏分離令が出され、神社になったので、

お寺の痕跡はかなり失われました。

お堂や、仏像など貴重な文化遺産が破壊やされたりして失われました。

 


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紅葉が綺麗でした。

榛名山は、本殿の後ろにある「御姿岩」にご神体が納められているそうです。

 


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↑本殿です。彫刻と天井画が見事です。

 


 

↑本殿の後ろに、大きな「御姿岩」

 


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↑榛名湖と榛名富士です。

榛名湖は火山の噴火口に出来た湖なんですね。


群馬県、水澤観音(水澤寺)

2011年11月19日 19時03分57秒 | 神社・仏閣

今日は群馬県の水澤寺、通称「水澤観音」へ、お参り兼紅葉狩りに行きました。
途中でお昼に水沢うどんと舞茸の天ぷらを食べ、2時くらいに着きました。
あいにくのお天気でしたが、紅葉は綺麗でした。


お参りした後、榛名山へ車で上り、榛名神社へお参りする予定でしたが、雨のせいもあり、薄暗くなってきたので、明日の朝早くに改めてお参りすることにしました。
今は高崎市のビジネスホテルに早めにチェックインして寛いでいます。
本当は伊香保温泉に泊まりたいですが、貧乏旅行なので仕方ないですね。
一応このホテルには人工ラジウム温泉の大浴場がありますf^_^;


「ニコライ堂」(東京復活大聖堂)

2011年07月20日 18時33分53秒 | 神社・仏閣

うちの職場は、「輪番操業」で日曜まで仕事で、今週は月火水の三連休です。
昨日は、カミさんの肩痛の治療で東京の神楽坂のカイロプラクティックへ付き合って、その後ちょっとあちこちぶらぶらしてました。
まず行ったのが、通称「ニコライ堂」、正式名は「東京復活大聖堂」です。
懐メロの「東京ラプソディ」の歌詞で、「ニコライの~、か~ねが鳴る~」と唄っている所ですね。
中が300円で見学出来るようになっています。
ニコライ堂は1884年(明治17年)から7年かけて建てられた、日本有数のビザンチン様式建築だそうです。
ニコライ堂の名前の由来は、1861年来日した修道司祭ニコライ・カサートキンからつけられました。
宗派はハリストス(キリストのギリシャ語)から始まる初代教会を継承する正教会です。
カトリックやプロテスタントが出来る前からのキリスト教で、日本正教会 または日本ハリストス正教会というそうです。
明治後半には信徒数3万人にのぼったそうですよ。


横須賀、走水神社

2011年02月11日 23時15分20秒 | 神社・仏閣
こないだの日曜日、

いつものようにドライブに出掛けました。

目的地は、最近パワースポットとして人気の
横須賀市走水(はしりみず)の、

「走水神社」。

 
走水(はしりみず)の地名は、古事記(712年)や日本書紀(720年)にも表れています。
大和朝廷時代より、東海道から東北地方へ通じる経路になっていたそうです。

走水神社(はしりみずじんじゃ)は、伝説では、
景行天皇の即位40年(110年)、東夷征討、
つまり東北地方の蝦夷制圧の命を受けた
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がこの地の村民に冠を賜り、
それを石櫃(いしびつ)に納め社殿を建てて尊を祭ったそうです。
 
日本武尊が海を渡る際に海が荒れて船が沈みそうになったときに、
弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が海に身を投じ
海神の怒りを鎮めたと云われています。
上の写真は海上の安全を祈願して奉納された
舟の舵(かじ)と、弟橘媛命のレリーフ。



 

↑ロシア軍の機雷だそうです。
この神社の裏手の高台には、弟橘媛命が詠まれた歌の
竹田宮昌子内親王の筆による歌碑が明治43年(1910年)が建てられ、
除幕式には、東郷平八郎、乃木希典も列席したそうです。
昔から漁業や海軍など、海と船に関係する人たちに信仰されていたようです。




 

手書きの解説の看板が建っていました。
地元の人に愛されている神社なんだなと思いました。

 
この石段の上に社殿があります。
神主さんはいないそうですが、地元の方たちが
お掃除や手入れをされています。
 
社殿横の見晴台からは走水の漁港が見えます。
天気が良ければ房総半島も直ぐそこに見えるはずですが、
この日は残念ながら見えませんでした。

お参りの後に観音崎の灯台の下の公園に行きました。
公園には野良猫が四匹もいました。
一匹の猫に近づいて撫でていたら、
他の猫たちも次々と集まってきました。


 

地元のおじさんが名前を付けたそうです。
上の写真の猫は、「クマゴロウ」。

 
↑この子は、「チャチャ」

 
↑この子は、左が、「ミケ」、右が、「トラ」。
名前を付けたおじさんは、
「良かったら貰って帰ってよ。」
って言ってましたが、
もう既に里親募集や捨て猫拾ったりで
うちには3匹も猫がいるのでそれは無理です…。
広い家があったらそうしたいのはやまやまなんですけどね。

川越、喜多院

2011年01月30日 19時27分01秒 | 神社・仏閣

アメブロの記事のコピーです。

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川越の続きです。
川越は小江戸といわれ、古い建物や町並みが残っています。
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↑この教会もレンガ造りでとても古そうでした。
日本聖公会川越キリスト教会
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↑古い和菓子屋さんです。

株式会社 芋十
そして、川越大師 喜多院 です。
(↑クリックするとHPへ)
天長7年(830)慈覚大師円仁により創建された勅願所であって、
本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り、無量寿寺と名づけました。
↓山門です。(国指定重要文化財)

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山門は、4本の柱の上に屋根が乗る四脚門(しきゃくもん)の形式で、

屋根は切妻造り、本瓦葺。

もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていたといいます。

棟札を見ると寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かり、

寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物です。

昭和30年度に部分修理が行われ、現在に至ります。

↓慈恵堂 (県指定有形文化財)
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比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇です。

喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りし、

毎日不動護摩供を厳修しています。

↓徳川家光公お手植えの枝垂桜
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↓五百羅漢
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日本三大羅漢の一つに数えられます。
この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、
天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。
十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、
中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、
左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、
全部で538体が鎮座しています。
↓慈眼堂 (国指定重要文化財)
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慈眼大師天海をまつる御堂です。
天海僧正は、寛永20年(1643)10月2日寛永寺において入寂されました。
正保2年(1645)に徳川家光公の命によりこの御堂が建てられ、
厨子に入った天海僧正の木像が安置されました。
↓仙波東照宮  (国指定重要文化財)
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元和2年(1616)駿府城で徳川家康が亡くなると一旦久能山に葬りましたが、
元和3年(1617)日光山に改葬の途中、3月23日から26日までの4日間、
遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営みました。
そのことから境内に東照宮が祀られ、寛永10年(1633)には立派な社殿が造営されました。
ところが寛永15年(1638)の川越大火により類焼したため、
徳川家光公の命により川越藩主堀田正盛が奉行となって直ちに再建に着手しました。
寛永17年(1640)に完成したものが現在の社殿です。

川越氷川神社、その2

2011年01月29日 22時30分15秒 | 神社・仏閣

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の続きです。
下の写真は、釣りをしているようですが…、
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実は、鯛の形をしている御神籤(おみくじ)です!



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↑これが釣ってきた御神籤!
ピンクの鯛が、縁結びの「合い鯛」(あいたい)。
赤い鯛が、家内安全の「一年安鯛」(いちねんあんたい)。
尻尾の中に御神籤が入っています。



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↑こちらは、江戸城と川越城を作った大田道灌の手植えの矢竹です。



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↑こちらは、招き猫の形をした御神籤です。
可愛いので、こちらの御神籤もひいてみました!
結果は、「末吉」でしたが、
書いてある内容は良いことばかりだったので、
有り難く持ち帰りました。


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↑こちらは本殿の周りの彫刻です。
「江戸彫り」というものだそうです。
とても細かい彫刻で、川越氷川祭りの際に引き回される
山車(だし)の形を題材にしているそうです。
そのお祭りも一度見てみたいですね。

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江戸時代の天保十三年に起工し、嘉永二年に竣工したそうです。


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↑こちらは、「祓いの川(人形流し)」です。
人の形の水に溶ける和紙を
息を三回吹きかけて体を撫でて、流します。

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人の穢れや災いを御神水に流して祓い清めます。
この後、川越の小江戸と呼ばれる古い建物を眺めながら、
徳川家ゆかりのお寺、「喜多院」へお参りに行きました。
その話はまた後日に。

川越氷川神社

2011年01月29日 22時27分27秒 | 神社・仏閣

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こないだの日曜日(1月23日)、
埼玉県の川越氷川神社 (←クリックするとHPへ)へ

お参りに行きました。
川越氷川神社は縁結びの神様として有名だそうで、
この日も拝殿では結婚式が行われていました。
御祭神は、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟神の素盞鳴尊(すさのおのみこと)、
その妃の奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、
奇稲田姫命のご両親である、
脚摩乳命・手摩乳命(あしなづちのみこと・てなづちのみこと)
素盞鳴尊の子孫と言われている、
大己貴命(おおなむちのみこと)の五柱の神様です。
大己貴命(おおなむちのみこと)は、別名、「大国主命」(おおくにぬしのみこと)です。
↓この鳥居は、高さ15メートルで、木造のものとしては日本随一の大きさだそうです。
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この鳥居は神社の横の方にあり、平成二年に建立されたものです。
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扁額の社号の文字は勝海舟の直筆によるものだそうです。

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↑こちらが神社の正面の鳥居です。


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↑「戌岩」(いぬいわ)
顔を神社に向けた犬に似ていることから戌岩とよばれています。
片耳が垂れ下がった犬だそうですが、解りますでしょうか?
妊婦の方が撫でると安産になるそうです。


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↑「御神水」
境内の地下水脈から汲み上げている御神水です。

続きます。

招き猫のお寺、世田谷、豪徳寺

2011年01月10日 00時17分08秒 | 神社・仏閣

今日は(正確には昨日)、世田谷区にある招き猫の発祥のお寺として有名な豪徳寺(ごうとくじ)にお参りに行きました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%AA%E5%BE%B3%E5%AF%BA


豪徳寺は、彦根藩の藩主の井伊家の菩提寺で、桜田門外の変で命を奪われた井伊直弼ほか、井伊家の代々のお墓があります。
井伊家は世田谷領の領主でもあったそうです。
招き猫の発祥の地と言われているのは、井伊直孝が猫に門内に招き入れられ、雷雨を避け、説法を聞き、それにより井伊家の菩提寺となった(1633年)ことによります。
豪徳寺では、招き猫を「招福猫児」(まねぎねこ)と呼び、招福観世音菩薩(通称=招き猫観音)と、そのけん属(仏様の使い)である招福猫児(まねぎねこ)をお祀りしています。
写真はその「招猫殿」です。
お堂の横には、願いが叶ったお礼の招き猫がたくさん奉納されていました。
こちらの(お寺で売っている)招き猫は、真っ白で、鈴を付けた赤い首輪をしているだけのシンプルな昔ながらの招き猫です。
たぶん、江戸時代からその姿と表情は変わっていないものだと思います。
また、井伊家が彦根藩主だったことから、彦根市のマスコット、ゆるキャラの「ひこにゃん」もこのお寺を訪れています。

↑お寺で購入した招き猫、6号サイズ(中くらい、1800円だったかな)。高さは16センチメートルくらい。

300円のミニサイズから5000円の大サイズまで、7種類あります。

この招き猫が、彦根市のマスコット、ゆるキャラの元祖、「ひこにゃん」のモデルになったそうです。

 

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↑山門です。

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↑仏殿。1677年の完成です。
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↑本堂

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↑鐘楼
1679年製作の梵鐘だそうです。


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↑門の前にいた野良?猫です。
とても人懐っこい猫ちゃんでした。



北口本宮 富士浅間神社へ初詣

2011年01月07日 22時50分52秒 | 神社・仏閣

アメブロの記事です。

http://ameblo.jp/audi-80-2l/entry-10758621492.html

 

先日、1月4日の火曜日、遅ればせながら初詣に行ってまいりました。


場所は山梨県富士吉田市の北口本宮富士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)です。

 

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さすがに三が日を過ぎたので空いていました。


それにしても寒いです!(>_<)


今回は義母の手術成功のお礼と、病気平癒それに家内安全のご祈祷をお願いするため、

 

一般参拝客の列には並ばず、拝殿の祈祷受付所に行きます。

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ここが列の最後尾。
比較的空いています。

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こちらが拝殿です。


左側の祈祷受付所から中へ入り、ご祈祷をしていただきました。

その後、回りにあるお社や大黒天、恵比寿様などをお参りして、

 

お守りやうさぎの土鈴を買い、最後におみくじを引きました。

結果は「大吉」!\(^0^)/

今年はさい先がよいです!いいことがあるといいな~(=^▽^=)


戸隠旅行その5.戸隠神社・中社(ちゅうしゃ)

2010年12月05日 21時48分20秒 | 神社・仏閣

アメブロのコピーです。

戸隠神社の中社(ちゅうしゃ) (←クリック)は、
一日目の夕方に行ったんですが、
暗くなって少ししか廻れなかったので、
二日目の午後にもう一度お参りしました。
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↑中社拝殿です。
祭神 ; 天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)


素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、

岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという神です。

学業成就・商売繁盛・開運・家内安全に御神徳があります。

社殿天井には平成15年に復元された

狩野派の天才絵師、河鍋暁斎によって描かれた

「龍の天井絵」(最後の方に写真があります)があります。

また、境内には樹齢700年を超えるご神木、樹齢800年を超える三本杉があり、

戸隠神社の社務所が置かれています。)

 

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↑御神木の三本杉のうちの一本です。
三本に分かれているから三本杉なのではなく、
石段の下にあと二本あります。

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↑石段の横にある小さな祠。


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古い石仏がたくさん有ります。
こちらの石仏も神仏混交の名残です。


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↑雪が降っているのが判りますか?
11月の23日の画像ですが、この後かなり雪が降りました。
すぐにまた晴れましたが。
さて、今回の戸隠旅行の写真はこのへんで。
実は、2007年の5月に戸隠に行った時の画像があったので紹介します。

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↑2007年5月の鏡池です。
向こうに見えるのが戸隠連山です。


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↑戸隠神社の奥社と、戸隠山です。


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↑戸隠森林公園の水芭蕉。


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↑戸隠神社中社の三本杉のうちの一本。
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↑戸隠神社中社の龍の天井絵です。