清里ドライブの最後は、今回のドライブのハイライトとなった『海岸寺』です。
中央高速の須玉ICから清里へ向かう佐久甲州街道(R141)を津金というところに差し掛かり、『安達原玄仏画美術館』(ここも一度入ったことがありますがとても良い美術館です)を過ぎたあたりに、「石仏の寺『海岸寺』→」という看板がありました。
「石仏」という言葉に引かれて行ってみる事にしました。
コスモスなどの咲いている山道を下ってはまた登ってどんどん進んでいくと、「海岸寺」の門が道路わきに立っていて、さらにどんどん山道を登っていくとやっと海岸寺の駐車場がありました。
正式名は「臨済宗妙心寺派 津金山・海岸寺」です。
HP→「津金山・海岸寺」
駐車場脇には「海岸寺は観光としての開放はしておりません。ここは静かに人の生きる道を考える場所です」という掲示が・・・
身が引き締まる思いで、古びた石段を登っていきます。
海抜1000mを超えているそうで、とても神秘的な雰囲気です。
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ここが山門(仁王門)です。
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こちらが阿形像
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こちらが「吽形像」です。
どちらも行基菩薩様の作と伝えられています。
つまりここも今から1300年くらい前(飛鳥~平安時代?)に行基様の開基なんですね。
行基様は全国を回り、土木技術や農業技術を伝え、仏教を広められました。
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これは鐘楼です。
1661年に山火事にあい、1666年に再建されたそうです。
ここには約150体ほどの石仏があります。
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ここの石仏のほとんどが江戸時代の名工、守屋貞治の作だそうです。
幕末から明治にかけては、一刀正伝無刀流を開き、山岡鉄舟、高橋是清、井上円了(東洋大学の創設者)など多くの文人墨客が訪れたそうです。
こんな山奥の山寺でたくさんの素晴らしい仏像を見ることができるなんて幸運でした
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/dd/be83cb23becfd4a28b19e9d92507c969.jpg)
この石段を登った所に建っている建物は「観音堂」です。
この建築物も木彫りの装飾物もとても素晴らしいもので感動しました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_hat.gif)
さらに感動したのが、このお寺のHPで見つけた下記の「宣言」です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
「臨済宗 妙心寺派 『平和』宣言文」
「今や世界の各地で発生している紛争、内乱、テロ、それによる報復戦争等によって、人間の尊厳性が奪い去られていることに対して
深い悲しみを覚えます。
私たち妙心寺派においては、いろいろな問題について
武力行使によってではなく、ありとあらゆる平和的手段に訴えて
解決をはかる事を強く望んでやみません。
お釈迦様は私たちに
怨みに報ゆるに、怨みを以ってしてはならないと諭されています。
そうしたお釈迦様の寛容と
慈悲の教えに立ち返る事の尊さを 世間に訴え
永久平和の為の啓発運動を 展開することに勤めます。」
この宣言に激しく同意・共感します。
臨済宗 妙心寺派 宗議会宣言文(抜粋)
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宣 言
先の米国同時多発テロにより行方不明者を含み五千余名の死傷者を出すという未曾有の惨事を目のあたりにして テロ行為者に対する強い怒りと犠牲者に対して深い悲しみを表明するものであります。衲等 ここに犠牲となられた方々のご冥福と 身心に深い傷を負われた方々の快復の一日も早からんことを 願うのみであります。
いかなる事由があろうとも 人間の生命の尊厳を無慈悲に踏みにじる行為は許さるべくもなく 被害者(国)の怒りと悲しみは察して余りあるものがあります。しかしながら正義の名のもとに報復することは 自らをおとしめる結果になりかねません。テロというこの人類の卑劣な犯罪と悲劇を終焉させるためには 二十一世紀を共に生きる人間としての道義と釈尊の悟られた叡智を以って 根本的な解決を図らねば 憎悪や恐怖の連鎖を断ち切ることは望むべくもありません。米国は今日のテロをニューウォー(新しいかたちの戦争)と表現し また 報復の目標とされている国は これをジハード(聖戦)と称し 受けて立つことを表明しています。この様な状況の中で宗門人として 対話と相互理解を深めることを内外にアピールし 生命の大切さを守り抜く決意をすべきであります。
かえりみますと かつて我が国も聖戦の名のもとに戦争を遂行し 彼我各国に多大の苦痛と損害を与え たとえ国策とはいえ結果として 戦時の高揚した国民感情の中で 我が宗門が砥柱のごとく反戦を貫くことが出来得ず協力して来たことに対し誠に遺憾に思うものであります。まずこの過去の過ちに対する懺悔と反省の上に立って 諸民族の多様な生活や価値感 信条 宗教を尊重しつつ 日々の教化活動において我が禅門の宗旨を宣揚し 世界の平和のために一層努力しなければなりません。 |