今日は東京国立博物館へ「空海と密教美術展」を観に行ってきました。
日本では「お大師さん」と親しまれている、弘法大師 こと、空海。
空海は唐から沢山の仏教の経典を持ち帰り、高野山に金剛峯寺を建て、真言宗を開きました。
特に密教を伝え日本全国の文化、思想、政治に大きな影響を与えた偉人です。
また、日本三筆の一人で優れた書を残しています。
書の名人ということで「弘法も筆の誤り」という諺にも名人の象徴として使われていますね。
そんな弘法大師ゆかりの書や仏像や密教法具などがたくさん展示されていました。
普段はあちこちのお寺に保管されていてなかなかじっくり観ることが出来ない貴重なものばかりでした。
ポスト印象派とは
1880年代半ばのフランスでは、印象派の圧倒的な影響を受けた多くの才能が、
さらに革新的な表現を探究し、多様な絵画芸術が花開きました。
1910年、イギリスの批評家ロジャー・フライは、印象派とは一線を画す傾向を察知し、
「マネとポスト印象派」と題した展覧会を組織します。
ここに出展されたのが、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラといった画家たちでした。
以後、ポスト印象派は、確かな形態描写、堅固な構図、鮮やかな色彩、観念的なものへの志向など、
印象派の関心の外にあった傾向を復権し、
20世紀初頭の前衛美術の登場を促した動向と位置づけられてきました。
しかし、ポスト印象派は、画家によって画風が大きく異なることから分かるように、
何らかのグループでもなく、特定の手法や理論を掲げた運動でもありません。
ポスト印象派に含まれる画家たちは、印象派への対抗という一面的な理解では捉えきれない、
多様な個性を備えているのです。
本展覧会でご紹介するように、その革新的な成果は、
世紀末パリに花開いた芸術的、文化的諸相と複雑に絡み合っています。
ちなみに我が国では、「後期印象派」という呼称が長く使われてきました。
しかしこの用語は、印象派の後半期を示すかのような誤解を招く恐れがあり、
近年では「ポスト印象派」が定着しつつあります。
諏訪旅行の二日目に最初に行ったのは、諏訪大社の上社です。
http://ameblo.jp/audi-80-2l/entry-10535016782.html#main
実は、諏訪大社上社は、中央高速の諏訪インターの近くにあります。
なので、効率よく廻るように、順番からいったら、
一番最後に廻って、その後、高速に乗って帰るのが普通です。
けれども、どうしても朝一に回りたいと、カミサンが言うので、
仕方なく朝一番で諏訪湖畔にあるホテルを出て諏訪インター方面に行き、
また諏訪湖方面に戻って観光し、また諏訪インターに戻って高速に乗ると言う、
何度も行ったり来たりややこしい、無駄のある回り方をしてしまいました。
けれど、朝一で行ったおかげで、大変貴重なものを見ることが出来ました。
まず行ったのは、上社の前宮です。
上の写真は参道の中ほどにある、二番目の鳥居(二の鳥居?)です。
中央の石段には、板が敷かれています。
ここを御柱を人の力だけで引っ張りあげます。
諏訪の御柱は、切り出しから、山を下り、川を渡り、町を引き回し、
神社の四方に建てるまで、全て人力のみで行われます。
↑参道から見た山の風景です。まだ桜がたくさん咲いていました。
↑こちらが拝殿です。
↑前宮、一の御柱です。
↑こちらが、二の御柱です。とても綺麗な小川が流れています。
↑こちらは、三の御柱です。
クレーンがありますが、後片付けのためで、これで柱を立てたわけじゃないですよ。
↑こちらは、四の御柱です。
↑そろそろ上社の本宮のほうへ行こうかなと思ったら、
社務所の前に、こんな大きな木槌が置いてありました。
何かな~っと思って見ていると、
祭りのはっぴを着た親切な地元の方が、
「これから、地固め神事というのがあって、それに使うんです。
良かったら見て行ってください」と、おっしゃいます。
それはぜひとも見て行こうと言うことになりました。
なにしろ、七年に一回の神事ですから、こんな幸運は無いと思いました。
↑一の御柱の前に祭壇が作られています。
↑神主さん(神職さん、宮司さん?)たちが雅楽の演奏の中進んでこられました。
↑地固め神事の始まりです。祝詞が上げられます。
建て御柱は観光客でごった返し、テレビ中継もあるし、ブラスバンドの演奏もあるといった
たいへん賑やかなものですが、こちらの神事は地元の方たちだけで厳かに執り行われます。
↑そして、大きな木槌で柱の四方を固めていきます。
この地固めをを四本の柱で順に行っていきます。
神事はけっこう長い時間がかかりましたが貴重な体験が出来ました。
その後、前宮を後にし、本宮へ移動しました。
↑本宮でも地固め神事の準備がされています。
神主の方たちも前宮から本宮へ来られて、神事が始まりました。
↑前宮と同じように四本の柱のそれぞれの四方を固めていきます。
↑一の御柱を後ろから見た所。
山から町中を引き回したので、後ろ側が削れて平らになっています。
↑この門は普段は閉じていますが、御柱祭の時には開けられます。
「四脚門」といって、徳川家康が寄進した門だそうです。
通ることは出来ないんですけどね。
↓宮司さんたちと地元の方たちが神事を終えて祝詞を上げています。
こうして偶然から七年に一度しかない貴重な神事に立ち会うことが出来ました。
先日、「上野の森美術館」で開催されている、
を見に行ってきました。
この展示は、
『世界的に注目を集めているチベット文化を紹介するわが国初の展覧会です。
ユネスコの世界文化遺産に登録されているポタラ宮や
歴代ダライラマの夏の離宮だったノルブリンカなど、
チベットを語る上で欠かせない各地の寺院や博物館から、
美術・文化の名品が集まりました。
出品全123件(173点)のうち、36件が一級文物(日本の国宝に相当)という
貴重な作品を通して、チベット文化の精華に触れていただけます。』
(ホームページより)
上のチケットとチラシの写真は『十一面千手千眼観音菩薩立像』です。
顔が11、千の手と千の目を持つ菩薩様です。
こんなにたくさんの顔と手と目を持っているのは、
全ての衆生を漏らさず救済するためだそうです。
他にもたくさんの仏像が展示されていたんですが、
どの仏様も日本の仏像や、インド、中国などの、どの仏像よりも
生々しく、リアルな人間の顔をしていたり、
恐ろしい動物の顔をしていたり、
仏像の概念を覆すものばかりでした。
特に驚いたのは、
「父母仏(ぶもぶつ)」と言われる、
男の仏様と、その妃の女の仏様が、
対になった仏像です。
その姿は男女の仏様が向かい合って抱き合っているのですが、
下半身も、しっかりと……
結合されています…。
本来はこういうお姿を在俗信者に見せるべきではないと、
衣をまとっているそうです。
けれど今回の展示では、妃様はそのままの姿(全裸)です。
この父母仏は、方便(慈悲)の象徴の男尊(父)と、
空の智慧(般若)の象徴である女尊が、
抱き合うことで、二人の合一によって到達できる
悟りの世界を象徴しているのだそうです。
いやいや、仏の教えは奥が深いですね。
八月になって間もない日、またまた、行ってきました!
石像など、今から3千年以上前に作られたと思えないほど
トリノ・エジプト展は東京都美術館で10月4日まで、その後仙台、福岡、神戸、静岡と廻ります。
機会がありましたら是非どうぞ!
こないだの月曜日、三連休の最後の日の「海の日」に上野に行ってきました。
最初に行ったのは、 国立科学博物館の
『黄金の都シカン』です。
展示を見終わって外に出ると、
『伊勢神宮と神々の美術』です。
この展示は伊勢神宮の式年遷宮記念の特別展だそうで、
こないだの日曜日のことですが、横浜の「パシフィコ横浜」に『海のエジプト展』 というのを見に行きました。
(写真は会場マップと、朝日新聞の号外です)
現在は海に沈んでしまったエジプトの古代都市「カノープス」「ヘラクレイオン」「アレクサンドリア」の
海底から発掘されたものを展示したものです。
会場に入ると、まず最初に何気なく神殿の柱や礎石の一部らしき巨大な石がいくつか置いてあるんですが、
雰囲気作りのためのダミーだろうと思っていると、実は本物!
説明文が端っこに小さくあるだけなので危うく見落とすところでした。
それにしてもこんなに大きなものをよく運んできたものだと驚きました。
けれど、会場を進んでいくともっと大きな神像やファラオ像なども展示してありました。
全高が5メートル以上、重さは約6トン。
これだけ大きなものを運んでくるんだから、入場料も高いわけだと妙に納得しました。
もちろん、金貨や装飾品など細かな展示物もたくさんありましたけど。
先日、東京国立博物館
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00
で開催されている
を観に行ってきました。