猫好きエンジニアの呟き

車好き、猫好きのエンジニア『シン・レオ(元あうでぃ猫)』の日記です
食べ歩記、ドライブ写真、神社仏閣、植物写真など

箱根仙石原~箱根湿生花園

2009年09月26日 08時28分27秒 | 植物・花・ガーデニング
ちょっと前の話ですが、9月13日の日曜日、
箱根にドライブに行ってきました。
このドライブの帰りに龍之介を保護することになるんですけど…
 
それはさておき、、
まず、箱根仙石原へ。
ススキの原を散策します。



秋の七草を詠んだ歌で有名な

「萩の花 尾花(おばな) 葛花(くずばな) なでしこが花 をみなへし(女郎花)

 また藤袴(ふじばかま) 朝貌(あさがお)が花」

   山上憶良(万葉集 巻八)

で、尾花(おばな)というのが薄(すすき)のことですね。

ちなみに、朝貌の花は桔梗(ききょう)の花というのが一般的です。

 


散策の後、近くの釜飯屋さんでお昼を食べ、その後、



ここにはいつもたくさんの山野草が咲いています。



釣船草(つりふねそう) ツリフネソウ科

船のような形の花が釣り下がるように咲いています。
見たまんまの名前ですね。

 



桜蓼(さくらたで) タデ科


とても小さな花なんですが、よく見ると花の形が桜の花に似ています。

 



曼珠沙華(まんじゅしゃげ) ユリ目ヒガンバナ科

彼岸花という名前のほうが一般的かもしれませんね。
曼珠沙華は、サンスクリット語のマンジュシャカの音写で、
赤い花という意味だとか、また仏教では天上に咲く花といわれています。
 
 

 
浅間風露(あさまふうろ) フウロソウ科

フウロソウの仲間は種類が多いそうですが、
この花は浅間山麓に多く咲いているのでこの名前が付いているそうです。



曙草(あけぼのそう) リンドウ科

白い花びらに黒い点々と、黄色い星が二つ付いています。
花びらは基本が五枚なんですが、
たまに四枚だったり、六枚だったりします。
写真の花は四枚の花と五枚の花が一つの茎に咲いています。
明け方の星空のようだというのでこの名前が付いたのだとか。

龍之介、伝染性腹膜炎の結果は

2009年09月22日 22時07分12秒 | ペット・ネコ・動物
陰性でした。

昨日、動物病院から電話がありました。
伝染性腹膜炎はシロでした。

これでホッと一安心です。

これであと心配は、先住猫のシンノスケとレオナルドと仲良くなれるかだけです。

あ、それと、食い意地がはっていてゴミ箱をひっくり返したり、食卓の上の食べ物に手を出したり、それから、遊んで欲しくて引っ掻いたり噛み付いたりすることだけです。

だけ…かな?(-o-;)





龍之介、動物病院へ行く

2009年09月19日 22時20分05秒 | ペット・ネコ・動物
猫の龍之介を動物病院へ健康診断に連れて行きました。

 

 何をされるのかと、不安そうな龍之介。

  

診察台の上で記念撮影。
「怖いニャ~!」
まず、歯や、骨格を診断。
「歯は綺麗だね~。でもちょっと痩せているし、お腹が出っ張っているね、
急にたくさん食べたことによる、一時的なものならいいですが、
感染性の腹膜炎の可能性もあるのでそれも調べてみましょう。」
ということで、採血して血液検査へ。それから、持参したうんちの検便も。

しばらく待合室で待つことになりました。

そして検査の結果…
猫エイズ、猫白血病などはシロ。
その他の血液検査の結果も異常無し!
猫伝染性腹膜炎は、外注に出さないと解らないと言うことで、結果は後日に。
検便の結果は…、見事に、回虫卵を発見!
まあ、外にいる猫ならたいていは持っているはずなので仕方ないです…。
それから、体毛を良く調べたら、小さなダニのような物を発見!
ということで、首の後ろの皮膚に蚤・ダニ用の薬を垂らしてもらい、
虫下しの薬を処方してもらって帰りました。

 

「フニャ~、疲れたニャ~!」

 

最近お気に入りの、お風呂のふたの上で、お昼寝!
とりあえず、猫エイズと白血病はシロだったのでホッとしました!

捨て猫の龍之介、その後

2009年09月17日 08時58分31秒 | ペット・ネコ・動物

捨て猫の龍之介のその後です。 

 蚤取り用シャンプーをしてあげました。

でも蚤はいなかったです。

 リンスインシャンプーなので少しふんわりしました。

 でも、まだ毛玉が残っています。

ひどい毛玉ははさみでカットしました。

赤い首輪も買ってあげました。 

 目の下の毛が一部抜けて、禿げになってしまいました!

体重は、最初3.8キログラムだったのが、
4.2キログラムになりました。

食欲旺盛で、元気いっぱいに遊んでます。

捨て猫の龍之介(りゅうのすけ)です

2009年09月15日 21時39分39秒 | ペット・ネコ・動物
ボクは捨て猫です。
名前は「龍之介」と付けてもらいました。
ボクの毛はフサフサなので、長毛種というそうです。
ボクは道の駅富士吉田という所に捨てられていました。
お家から車に乗せて連れてこられたみたいです。
気がついたら独りぼっちでした。
寂しくて、お腹が空いて、いっぱい泣きました。
道の駅に来る人たちは、撫でてくれたりしました。
けど、たまにお菓子をくれたけどお腹はいっぱいにはなりませんでした。
夜になって、真っ暗になって、誰もいなくなりました。
寒くて怖くて、お腹が空いて、たくさん泣きました。
でも、お母さんも誰も帰って来ませんでした。
また朝が来て、また夜が来て、お腹がペコペコでした。
何日か過ぎ、たくさん人が来たけど、ご飯はくれませんでした。
そこに、この家のお父さんがトイレに行くために通りがかりました。
お父さんとお母さんは箱根にドライブに行った帰りだったそうです。
お父さんはなでなでしてくれた後、お母さんを呼んで来ました。
お母さんは売店で、チーズかまぼこという美味しいモノを買ってきました。
ボクはバクバク食べました。
その後、ボクはお父さんに抱きかかえられました。
ボクは怖くて暴れて、お父さんを引っかきましたが、がっしり捕まえられて、クルマに乗せられました。
ボクは怖くて、泣きました。
でも、お母さんのお膝の上でなでなでしてもらってたら、だんだん気持ち良くなりました。
お父さんの家に着いたら、ご飯を食べさせてもらいました。
お水も飲んでお腹がいっぱいになって、眠たくなりました。
この家は気持ちいいので、ここに住みたいです。
でも、この家には、シンノスケとレオナルドというお兄さんがいるので、仲良く出来るか心配です…

松島~瑞巌寺

2009年09月13日 09時23分10秒 | 神社・仏閣
仙台旅行の二日目の後半です。
塩竈神社へお参りした後、
松島へ行く前に立ち寄ったところがあります。

銘菓「志ほがま」謹製元→ 丹六園 です。
 
 

丹六園(たんろくえん) は、塩竈の老舗和菓子店。
創業は、仙台藩第4代目藩主・伊達吉村の治世の
1720年(享保5年)にさかのぼる、現当主で11代目という老舗中の老舗。
丹六園の銘菓「志ほがま(しおがま)」は、塩竈市および宮城県を代表する和菓子。
現在のお店は、大正3年(1914)建築。塩竈の町屋建築の代表例。
軒下に出桁があるのが、塩竈の町屋の特徴。

お土産を買った後は、遊覧船に乗って松島へ。
「マリンゲート塩釜」から丸文松島汽船 、の

「芭蕉コース」 で松島へ!

 
遊覧船が走り出すと、直ぐにカモメが船を追いかけてきます!
餌を貰えるのが解っているんですね。
観光客が投げるかっぱえびせんや、サキイカなどを上手にキャッチします。

 
小さな島の一つ一つに名前が付いています。

この日は曇っていて、風が寒いくらいでした。

 
「仁王島」


 
「鐘島」

50分ほどで松島に到着です。
 
上陸してまず行ったのが、松島の象徴、
 

五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が、毘沙門堂を建立し,
天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、
「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の
五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。
現在の建物は、 伊達政宗が慶長9年(1604)に創建したもので、
桃山式建築手法の粋をつくして完工したものです。

東北地方最古の桃山建築で、国の重要文化財です。
そしていよいよ


開創は平安の初めにさかのぼります。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後、伊達政宗は、
仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行いました。
用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、大工は当時の名工130名を招き寄せ、
丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609年に)完成。

伊達政宗はここを第二の城としての機能を持たせるため、
戸板や床板を、矢や槍が突き抜けないよう分厚い板を使用したり、
藩主の部屋や、殿様の御典医の部屋を作ったりしました。

 
瑞巌寺本堂(国宝)
しばらくの間改修のため見ることが出来なくなります。


 
御成玄関(おなりげんかん)
藩主など、特別な人だけが入るための玄関です。
現在修理中です。

彫刻がとても素晴らしいです。


 
御成り玄関の彫刻

瑞巌寺の次に、
臨済宗妙心寺派 円通院 へお参りしました。

伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)光宗の霊廟として、
正保4年(1647)瑞巌寺第100世洞水和尚により
三慧殿(さんけいでん)が建立され開山されました。
 

庭園がとても綺麗でした。



 
本堂の「大悲亭」
ここにご本尊がいらっしゃいます。
現在ここで「数珠作り体験」 を行っています。

塩釜、『塩竈神社』

2009年09月12日 08時05分31秒 | 神社・仏閣
仙台旅行の二日目は、まず
陸奥国一ノ宮『鹽竈神社』(しおがまじんじゃ) からです。

塩竈神社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めてきました。
創建の年代は、平安時代初期に編纂された「弘仁式」に記載があることから、
奈良時代には既に信仰されていたと考えられます。

武家社会となってからは平泉の藤原氏・鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、
歴代藩主は大神主として務めてまいりました。

現在の社殿は伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り9年の歳月をかけ宝永元年(1704)竣工されたものです。

幕府から日光東照宮の改修を命ぜられた綱村は自らも現地に赴くなどして力を注ぎ、
その事業が済むとその職人を呼び寄せ鹽竈神社の社殿以下の造営を行いました。
建物の様式や彫刻は東照宮のそれと大変よく似ているのはそのためです。

平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が、
国の重要文化財の指定を受けました。


 
「猿田彦大神」の碑
ここから昔の参道が始まります。
天保六年と書かれています。
↓境内マップ
「七曲坂」
ここが昔からの参道です。

 
「表参道(表坂)」
随神門の前から見下ろしたところです。
ここが現在の表参道になります。



 

 
「随神門」

随神門をくぐると四足門(唐門)・廻廊があります。

 
左右宮拝殿
唐門をはいって正面の社殿。
・左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)(茨城県鹿島神宮主祭神)
・右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)(千葉県香取神宮主祭神)を守る。

左右宮の右手に主祭神である鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)を別宮で祀(まつ)る。
別宮は塩の神・安産の神として庶民の信仰を集めてきた。

通常の神社は鳥居ないし門を入った正面に主祭神を祀っておりますが、
鹽竈神社は正面に左右宮(鹿島・香取の神)が南向きに、
門を入って右手に主祭神たる塩土老翁神を祀る別宮が松島湾を背に西向きに立っております。
これは伊達家の守護神たる鹿島・香取の神を仙台城の方角に向けて建て、
大神主たる藩主が城から遙拝出来る様に配し、
海上守護の塩土老翁神には海難を背負って頂くよう海に背を向けていると言われております。



 

 
「文化燈篭」(銅製灯篭)
周りの竜や動物の彫刻がとても精密で素晴らしいです!
 
「日時計」
林子平の設計によるものと言われています



 

 
松尾芭蕉も眺めたという「文治の燈篭」


 
小池曲江筆「芭蕉翁見文治燈図」
『塩竈・松島-その景観と信仰-』(瑞巌寺発行)より

実物の灯篭とは形が違うようですが、
この絵の作者は実物を見ずに描いたのかな?



 

 
開運・商売繁盛の「撫で牛」
とてもひょうきんな表情をしています!

 
「巨杉」



 

 
志波彦神社より見た松島の風景

・ 見し人の けふりとなりし ゆうべより
                        名もむつまじき 塩がまの浦 (新古今集・紫式部)

と、紫式部にも歌われた塩釜~松島の風景。
古今集などの多くの和歌集に、松島・塩釜の風景を詠んだ歌が多くあるそうです。

政宗公の墓所、瑞宝殿

2009年09月06日 15時28分18秒 | 神社・仏閣
仙台旅行の続きです。

大崎八幡宮の後、『瑞宝殿』 へ。

参道途中に「正宗山 瑞鳳寺」があります。
 

政宗公の菩提を弔うお寺で、お位牌はこちらにあります。
なのでまず先にこちらへお参りしました。

そして瑞宝殿へお参りするのですが、
かなり長い石段を登っていかなければいけません。

 
長い石段を登って、汗だくになってかなり疲れて、やっと着いたのがここ
伊達政宗公の墓所である御霊屋(おたまや)「瑞鳳殿」です。

 
桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、
1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。
現在の建物は1979(昭和54)年に再建されたものです。

 
こちらが、二代目藩主忠宗公の御霊屋「感仙殿」です。

感仙殿は二代藩主伊達忠宗公(1599~1658)のお霊屋であり、瑞鳳殿と同等の華麗なものでしたが、
明治初年に本殿を除いて取り壊され、残った本殿も昭和20年の戦災で焼失しました。
現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年に完成したものです。
 

そしてこちらが三代目綱宗公の御霊屋「善応殿」です。

応殿は感仙殿と同様に造営されましたが、
昭和20年の戦災で焼失し、昭和60年感仙殿とともに再建されました。
善応殿には焼失以前の資料が乏しかったため、
種々の検討の結果、綱宗公が好んで描かれた「鳳凰」と「牡丹」を装飾に採用されました。

善応殿をでて、御子様御廟へお参りしました。
五代藩主吉村公以後の歴代藩主公子公女の墓所です。
昔のことですから、まだ幼くして亡くなったお子様も多かったようです。
一つ一つのお墓に手を合わせお参りしました。

その後、そろそろお昼を食べようかと参道を出ようとしたら、
『穴蔵稲荷神社→』の看板が!
行ってみると、そこにもまた石段!
かなりぐったりしながらも、せっかくだからとお参りしました。

穴蔵という名前はもともと洞窟にあったものが
広瀬川の氾濫で流され、この地に移したからとか。
伊達家は代々稲荷大明神を深く信仰していて、政宗公も戦のたびに祈願をされていたそうです。
また正室の愛姫もこの稲荷大明神を篤く信仰していたそうです。

穴蔵稲荷を出て、やっとお昼を食べました。
参道入り口にある「おたま茶屋」 です。
↓以前に書いた記事を参照
 

お昼を食べた後、仙台市博物館
仙台城跡 を見物して、
塩釜のホテルへ向かいました。

仙台、資福寺~大崎八幡宮

2009年09月05日 21時34分10秒 | 神社・仏閣
仙台旅行の続きです。
 
今回の旅行は伊達政宗公のゆかりの地を中心に廻ってきました。
この旅行の途中で、政宗公の墓所である
「瑞宝殿」へも行ったんですが、
ここの資料館には政宗公の頭蓋骨から政宗公の複顔された像が展示してあります。
その像をみたカミサンが、僕に似ていると言うんです。
自分ではそんなには似てないと思うんですが、
実はその後、政宗公と自分の思いがけない共通点を発見してしまいました。
その話はまた後でするとして、その前に、次に行った所です。
 
輪王寺の後は、そのすぐお隣の、『資福寺』へ。
 
資福寺は、北山五山の一つです。

 
北山五山とは、
仙台藩初代藩主伊達政宗公が仙台開府の際、京都、鎌倉の五山に習い
「資福寺」「覚範寺」「東昌寺」「光明寺」「満勝寺」(柏木に移転)を
奥州街道、根白石街道の関門として、また城下防衛のため北山に配置したことから
「北山五山」と呼ばれるようになりました。


資福寺は、伊達政宗公の師である虎哉和尚が中興開山されたお寺です。
 
資福寺は、別名「花寺」または「アジサイ寺」として親しまれ、
四季を通じて、ツバキ、ウメ、サクラ、マンサク、ショウブ、タイサンボク、
アジサイ、ナツツバキ、サルスベリ、ムクゲ、ヒガンバナ、ハギ
など数多くの花が楽しめる。
次に行ったのは、『国宝 大崎八幡宮』です。



平安の昔、東夷征伐に際し坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく
宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。
室町時代に奥州管領大崎氏は、これを現遠田郡田尻町に遷祀し
守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。
 
大崎氏の滅亡後、伊達家の守護神社として、
政宗公が慶長9年(1604)より、12年かけて建立されました。
 



社殿の造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招聘され、
豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が発揮されており、
仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息吹とを今に伝えています。



写真、手前の建物は『長床』で国の重要文化財。
その向こうの本殿は国宝に指定されています。
 
厄除け、招福、必勝、安産の神様として篤く信仰されています。