猫好きエンジニアの呟き

車好き、猫好きのエンジニア『シン・レオ(元あうでぃ猫)』の日記です
食べ歩記、ドライブ写真、神社仏閣、植物写真など

日向薬師

2007年09月27日 12時39分06秒 | 神社・仏閣

 伊勢原市の日向薬師です。

 

 参道に入るとすぐ右に石仏があります。

これは不動明王様ですね。

 

↓鎌倉時代の仏師、後藤雲久作の金剛力士像(市指定文化財)

 石段を上ると仁王門があります。

仁王様こと、金剛力士像が悪者を見張っています。

 こちらが阿形像。

 こちらが吽形(うんぎょう)像。

 どちらも鎌倉時代の作だそうです。

 仁王様は、院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神なんだそうです。

 

阿吽(あうん、Skt:A - hum)は仏教呪文真言)の1つ。

悉曇文字(梵字)に於いて、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、

そこから、それぞれを宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。

また、宇宙の他にも、前者を真実や求道心に、後者を智慧涅槃に喩える場合もある。

次いで、対となる物を表す用語としても使用された。

特に狛犬仁王沖縄シーサーなど、一対で存在する宗教的な像のモチーフとされた。

口が開いている方を阿形、閉じている方を吽形と言う。

転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを阿吽の呼吸阿吽の仲などと呼ぶ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%90%BD

 

ちなみに、オウム真理教の「オウム」とはこの「阿吽」のことです。

 

 しばらく登山道のような参道を上って行くと、

また石の仏様が…

 

 さらに進むと前方にまた石段が見えてきました。

 

 石段を上りきると、やっと本堂です。

珍しく茅葺き屋根です。

 鐘楼も茅葺きでした。

脇には杉の大木があります。

 

 

 日向薬師は、明治以前は12の子院を持つ大寺院だったそうですが、

明治政府、というか薩長政権の野蛮な「廃仏毀釈」によって、

多くの建物などが打ち壊されて、宝城坊と薬師堂のみが残ったんだそうです。

本当に明治政府はとんでもないことをしてくれたものです。

もし廃仏毀釈が無かったら、国宝は現在の3~4倍はあるだろうと言われます。

たくさんの貴重な文化財が失われました。

でも、本当に失われたのはもっともっと大切なものだと思います。

それは日本人から宗教心(信心)を失わせたこと。

今の日本は本当に道徳心やマナーが無くなり

 「悪いことをしても見つからなければかまわない」、

「見つかっても、運が悪かっただけ」、

などと言う風潮がまかり通っています。

昔であれば、「悪いことをすれば罰が当たる」、

「誰が見ていなくても神様、仏様、閻魔様はお見通し。」

と言う風に教えられたものです。

日本人から宗教心を奪った明治の廃仏毀釈、それに続く国家神道の押し付け、

そして昭和になってからも、宗教を国家が戦争に利用したことの反省から

戦後、宗教を教育から排除してしまった。

それとともに道徳心までが無くなってしまったのではないか…

そう思うのは私だけでしょうか…

 

 http://joy.poosan.net/kawagoka/isehara/hinatayakushi/hinatyak.htm より

県下随一の仏像の宝庫

 「吾妻鏡」に記載される、奈良期・霊亀2(716)年2月行基(ぎょうき)の開創による、

十二坊の子院を有した大寺院・日向山霊山寺(りょうせんじ)が前身。 

霊山寺は歴代天皇の帰依を得、元正天皇の時代には勅願寺として栄えた格式の高い寺院。

 明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で衰退し、宝城坊と薬師堂のみが残ったもの。

 日本三大薬師(他は、土佐の柴折薬師、越後の米山薬師)の一つ。

 平安から鎌倉期の仏像が二十数体もあり、神奈川県下随一の仏像の宝庫。
 鎌倉期には将軍頼朝・室政子が数回参詣している。

 本尊は行基作といわれる薬師瑠璃光如来(116.6cm)で脇待・日光菩薩(123.3cm)、

脇待・月光菩薩(123.9cm)(以上の薬師三尊像は重要文化財の厨子に収蔵)、

阿弥陀如来、四天王、薬師如来の守護神で十二支を頭にいだいく十二神将(以上、国指定重要文化財)など、

23体もの仏像が宝物殿に納められている。


 薬師三尊像は、県央地区でもっとも古く、鉈彫(なたぼり)像の代表格として有名。 三体とも桂材を用いた一木作りで、表面には鉈彫独特の丸ノミの痕を残している。 鉈彫は、他には横浜・弘明寺十一面観音立像や岩手・天台寺聖観音などがあるが、これらより先行したと見られ、十世紀~十二世紀の間の作。
 はほぼ完全な形で残っている十二神将も素晴らしい。

 日本中のお寺のうちでも十二神将はそう多くは見られず、興福寺、新薬師寺のものが有名。

 現在の堂宇は1660年に徳川氏の助力を得て再建された。

 屋根の茅は1998年早春の葺き替え。

 国指定重要文化財。


彼岸花、伊勢原市日向薬師

2007年09月24日 12時25分05秒 | 植物・花・ガーデニング

こないだの土曜日、伊勢原市の日向薬師へ行きました。 

でも目的は彼岸花です。

 伊勢原市の日向地区は、昔ながらの農村の里山の風景が残っています。

田んぼや畑の畦にはたくさんの彼岸花が咲いています。

 伊勢原市日向地区の田園風景です。

ちょうど稲刈りが真っ盛りでした。

この地区ではまだ稲を自然乾燥しています。

稲の香りで田舎を思い出し、懐かしく感じました。

 ピンク色の品種も混ざっているようです。

彼岸花は別名、曼珠沙華まんじゅしゃげ)とも呼ばれます。

「蔓珠沙華・マンジュシャゲ」は梵語で赤い花の意味をもっています。

また、一方で彼岸花を「死人花・シビトバナ」・「墓花」・幽霊花」と

陰気な名前で呼ばれるのは、

彼岸花にはアルカロイドのリコリンを中心とする有毒成分が含まれているので、

墓地などに土葬した死体を獣などが荒らさないように植えられた時代もあった為です。

 

 

 また、同様に田や畑の畦に植えてモグラやネズミの侵入を防止したなど伝えられています。

 ピンク色の彼岸花も可愛いですね。

 

彼岸花は、花が咲いているときは葉が無く、

葉が出るときは花が無いので、

花と葉が出会うことが無いと言うことで、

男女の悲恋物語に例えられたこともあったようです。

 

 果樹園の下にもたくさん咲いていました。

これは柿の木でしょうか。

このあたりでは栗や柿、みかんなどの栽培も盛んなようです。

山間地なのでこのような棚田もまだたくさんあります。

大きな機械の入れない棚田は、人手もかかって大変そうです。

耕作していない田んぼもちらほら見られました。

効率を優先するとこういう場所で稲作をするのは適さないのかもしれませんが、

効率優先の考え方はもう見直さないといけないと思います。

こういった昔ながらの農村はお金をかけてでも守っていかないと、

日本の文化と国土、そして国民生活を守れないと思います。

「ばら撒き」などと言わないで、こういう地方の農業・漁業・林業などには

十分な予算を割り振ってほしいです。


彼岸

2007年09月20日 21時54分36秒 | 日記・他
もうお彼岸だっていうのに、いつまでも暑いです。
(いつからがお彼岸なのかは正確には知らないんですけどね。)
けど日没の時間は確実に早くなっているようで、6時半には暗くなっていました。
写真はこないだの江ノ島のなんで、今日ではないですが…。
江ノ島に彼岸花が咲いていたのを写真に撮ったんですが、うっかり削除してしまいました(/_;)
なので仕方ないので海の写真になってしまいました。
せっかく秋らしい写真が撮れたと思ったんですが、まだ夏の名残りの写真です(^^;)


注、
彼岸;お彼岸は、春三月の春分の日、秋九月の秋分の日をそれぞれ中心として、その前後三日間を合わせた一週間を、春のお彼岸、秋のお彼岸と呼んでいます。最初の日を、彼岸の入り、まん中の春分の日・秋分の日を、中日、そして、最後の日を、彼岸明けといいます。
http://www.miyagawa.com/syuha/2101-1.html

江ノ島のニャンコ

2007年09月19日 20時38分01秒 | 日記・他
江ノ島の上の方まで上っていくと灯台があります。
その近くにフードコートと言うか、軽食が食べれるオープンスペースがあるんですが、そこの椅子の上にニャンコが気持ち良さそうに昼寝していました。
江ノ島には猫がたくさんいて、人慣れした猫も多いですが、ここまで堂々としているのは珍しいですね!
すっかり馴染んでいます。
江ノ島へ来るといつも猫と遊ぶんですが、この猫は気持ち良く寝ているのでそっとしておきました。
江ノ島神社の参道には野良猫の避妊去勢手術のための募金箱が置いてあるので、少しですが募金してきました。
江ノ島って野良猫が多いので有名ですが、捨てに来るのだけは止めてほしいですね。


日曜日の湘南

2007年09月18日 20時41分14秒 | 日記・他
日曜日の湘南です。
車のクーラーが効かないくらいめちゃめちゃ暑かったです。
車が古いだけっていう話もありますが…
でも、涼しい時はガンガンに冷えるんですけどね…(^^;)
意味無いじゃん!

えー、江ノ島へ行きました。
めっちゃ混んでました。
こんな暑い日はみんな家にいろよ!ってオレもか。

街灯の上にカモメがとまっていました。
ただそれだけなんですけどね。


高尾山、琵琶滝

2007年09月15日 22時07分08秒 | 日記・他

高尾山の続きです。

 ここは琵琶滝です。

ここで滝行をすることもできます。

高尾山は古来から修行のお山なんですね。

役の行者(役小角)も修行されたそうです。

 

 

琵琶滝を過ぎると道はこのような険しいものとなります。

途中に四国八十八ヶ所巡りの石仏があったりもして退屈はしません。

休み休み、一歩一歩登っていきます。

 

 

やっと開けた場所に出ました。

台風一過で空気が澄んでいるのか、

遠くに新宿の高層ビル群も見えます!

 

 

 ここは薬王院の四天王門です。

四隅には四天王像が配されています。

 

 

 ここはさらに石段を上った上にある奥院です。

建物の彫刻が見事です!

さて、そろそろ夕方なので、お土産買って帰ります。

 


電車の中にアゲハが!

2007年09月13日 22時47分53秒 | 日記・他
昨日の帰りのこと。
電車に乗って、ふと前をみると、なんとアゲハ蝶が!
なんで?
どっから来たんだろう?
どうも羽が傷んで上手く飛べないようだ。
乗客も踏まないようによけて歩いているけれど、このままではいつ踏まれるかもわからないし、踏まれないにしてもここで生きていられるわけがない。
こんな所で死んでしまったら可哀想なので、外へ連れ出すことにした。
しかし羽をこれ以上傷めないようにしなければ。
アゲハ蝶の前に手を差し出すとうまいこと手に乗ってきた。
そっと持ち上げて、両手で包み込む。
ここまでは上手くいったが、改札口を通るには定期を出さなくてはいけない。
けっこう暴れるので苦労したが、なんとか通過。
直ぐにまた両手で包んで外へ。
なるべく緑が多くて、花が咲いているような所で放したい。
駅を出て一番近くの公園まで、急ぎ足。
やっと着いて放してあげたけど、やっぱり上手く飛べないようだ。
ここまでが限界だ。
あとは自然にまかすしか仕方ない。
さて、今頃どうしてるかな、あのアゲハ。


高尾山へ軽登山

2007年09月12日 19時42分19秒 | 日記・他
9日の日曜日、日頃の運動不足をちょっとだけ解消しに、高尾山に登ることに。
いつもなら写真の駅から、リフトか、ケーブルカーで安直に上っちゃうんだけど、今回は横にある自然観察路から登っていくことにする。
しかし、歩いて登るのは何年ぶりだろ?
ちゃんと最後まで登れるんだろうか…(自分じゃなくてカミサンが!)

9月に入って少しは涼しくなったとはいえ、台風が通り過ぎた後なせいか、ひどく蒸し暑い!

先行き不安ではある…


支那そばや(相模原)塩味ラーメン

2007年09月11日 19時59分49秒 | 日記・他
こないだの土曜日、カミサンが
「たまに美味しいラーメンが食べたいな」
と言う。
しかも
「豚骨や豚骨醤油のコッテリ系はちょっと…」
と言うので、「ラーメンの鬼」佐野実氏のお弟子さんの店、『支那そばや(相模原店)』へ行きました。
他にもお薦めの店はあるけど、まあ無難なところと、車の停めやすさで。
前に来たときは醤油だったので、今回は『塩味ラーメン』(750円)にしました。
塩と言ってもスープは無色透明ではなくて、薄く色が着いています。
味はエビなどの魚介類の出汁が出ている感じでなかなか旨いです!
麺は自家製で、醤油ラーメンよりさらに細い超極細麺で、スープがよくからんでいいですね~。
醤油ラーメンには京都の九条ネギ(青ネギ)が乗っていますが、塩味には白いネギです。
多分スープとの相性を考えているんでしょうね。
チャーシューは厚みがあって、柔らかくて美味しいです。
あと、トッピングの味付け玉子(100円)は名古屋コーチンの卵を使っているんですよね。
頼めば良かったと後悔しました(/_;)
因みに、カミサンは醤油ラーメンの小盛り(650円)に味付け玉子を付けました。
かなり満足したようです。