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川越の続きです。
川越は小江戸といわれ、古い建物や町並みが残っています。
↑この教会もレンガ造りでとても古そうでした。
日本聖公会川越キリスト教会
↑古い和菓子屋さんです。
そして、川越大師 喜多院 です。
(↑クリックするとHPへ)
天長7年(830)慈覚大師円仁により創建された勅願所であって、
本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り、無量寿寺と名づけました。
↓山門です。(国指定重要文化財)
山門は、4本の柱の上に屋根が乗る四脚門(しきゃくもん)の形式で、
屋根は切妻造り、本瓦葺。
もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていたといいます。
棟札を見ると寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かり、
寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物です。
昭和30年度に部分修理が行われ、現在に至ります。
↓慈恵堂 (県指定有形文化財)
比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇です。
喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りし、
毎日不動護摩供を厳修しています。
↓徳川家光公お手植えの枝垂桜
↓五百羅漢
日本三大羅漢の一つに数えられます。
この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、
天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。
十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、
中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、
左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、
全部で538体が鎮座しています。
↓慈眼堂 (国指定重要文化財)
慈眼大師天海をまつる御堂です。
天海僧正は、寛永20年(1643)10月2日寛永寺において入寂されました。
正保2年(1645)に徳川家光公の命によりこの御堂が建てられ、
厨子に入った天海僧正の木像が安置されました。
↓仙波東照宮 (国指定重要文化財)
元和2年(1616)駿府城で徳川家康が亡くなると一旦久能山に葬りましたが、
元和3年(1617)日光山に改葬の途中、3月23日から26日までの4日間、
遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営みました。
そのことから境内に東照宮が祀られ、寛永10年(1633)には立派な社殿が造営されました。
ところが寛永15年(1638)の川越大火により類焼したため、
徳川家光公の命により川越藩主堀田正盛が奉行となって直ちに再建に着手しました。
寛永17年(1640)に完成したものが現在の社殿です。