俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

今だけ

2009-03-09 15:06:55 | ATOP
先日、親父と話していたことをば。

先週、親父の学校は卒業式を終えたそうだ。なんでも成績優秀な学年だったらしく、親父もかなり思い入れのある学年だったそうな。

まぁ、教師が生徒に差をつけてはいけないだろって思う清廉潔白な左よりな方もいるかもしれませんが、教師も人間ですので当然好き嫌いが存在するわけです。もちろん、表立って示す人はいないらしいですが、先生という生き物は皆が感じているほど立派な人間じゃないです。うちの親父が良い例で、所詮そこらにいる大人と大して変わりないです。

あー、今日はそういうことが言いたいんじゃないです。今日言いたいのは、毎年同じような卒業式でもその年その年によってたしかに違うってことです。私たちは卒業式っていうのを小学校で一回、中学校で一回、高校で一回しか経験しません。だから、前年に比べてどう違う卒業式かを考えることなんてほとんどありませんよね。昨年は雨だったか、晴れだったか、寒かったか…とか、天候1つとっても卒業式は年によって大きく違います。

親父によればそういう違いを感じ取って話をする先生がいるそうです。今年の卒業式でしか話せないことを話す先生。例えば、「君たちの入学式は雨でしたが、今日の卒業式は晴れて、君たちの卒業を自然も祝ってくれているようです」みたいな。もちろん、同じことを毎年繰り返し話す先生もいるみたいですけど…まぁそれは一貫して伝えたいことがあるんだとポジティブにとらえておきましょう(汗。

まぁともかくとして、今しか話せないことを話すというか、その人にしか話せないことを話すという行為はセンスあることだと思います。人を喜ばす・楽しますセンスね。

手を抜けば、楽をすれば毎年同じ形、形式でやったって問題ないわけです。正直、行う側からしてみれば同じことを同じように繰り返したほうが無難だしね。教育上でいえば差をつけないっていう体裁を保てるし、教育上でなくても一般的にそういうことを繰り返して行っていたほうが角がたたないで安全だってことがありますよね。

そういうことをしなければいけないときもあるので一概に否定はできませんが、いつも通りのことしか言えないのはナンセンスだとは思います。つまり、このブログも同じこと繰り返してるから、ナンセンスだと(汗。まぁそりゃ私はセンスがありませんよ…。

それはともかくとして、今しかできないことをやると同様に、今しか言えないことを言う、もっというなら今様の言い方をすることはセンスあることなんだなと。伝える意味は一緒だけれども、伝え方が非常に試されてるんだろうね。

つまりです。毎年同じことやってないで、新しいことやりましょうよって話です。誰に対していってるかって?あーまぁ、みんなです、みんな。

前例は当てになりません。前例を繰り返すことは凡人のすることで、誰にだってできること。受け入れるにしたって意味を再考しないといけないだろうし、今しかできないことを提供していかないといけないよなぁなんて思う。飽きられちまうからなぁ。

アンチ・メジャー。