俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

言い訳ストーリー

2009-03-25 11:47:03 | ATOP
これは言い訳になるのかな。

というより、言い訳ばっかいってきたんだろうね。

後輩と話をする姿勢が私にどれだけあったんだろう。都合よく聞いて都合よく聞き流してきただけなのかもしれない…。

いっつももっともらしいことばっかいって、相手のことを考えてなかったんじゃないかって今になって思う。

相手のことを考えて助けを出していたつもりだったけど、現実向こうからしてみればそうじゃなかったのかもしれないね。

そしたら、きっと私は脈絡なく、無意味に叱ったり、注意したり、教えた気になってたんだろうなぁ。そうすると後輩には申し訳ない気持ちがわく…今さらかもしれないけど。

でもまぁここは敢えて言い訳しようと思う(何。トンだ勘違い野郎だと思ってください。

後輩、とくに一個下に対してはかなり力を注いだつもりでね。嫌われてもよかったっていったら嘘になるけど、別にそんなん気にしたって仕方のないことだから最低限嘘は言わないように努めた。

正直、私は人付き合いが苦手で、どう人と接していいのかはっきりいってわかりません。先輩に対しても後輩に対しても。まぁ先輩に対しては合わせることを優先すれば問題ないという真理もあるのでなんのことはないということがあるけど、後輩に合わせるというのは難しいものがありますよね。

だから一個下が入部してきたときも『どうしたものか』と思って、四苦八苦。しかもその後輩がとんでもない連中で(笑)いつも怒ってばっかりいました。新歓隊長だったし。だから一個下の後輩は『恐い人だ』って思った人は少なくないはず。

そんときは全然後輩の目なんて見てなかったんだよなぁ(何。勝手に全体を見渡して、わかった気になって、私が思う正しいことを言っていただけだったように思う。だから、その時、彼らがどう考え、どんな顔をしていたかさっぱり思い出せない。ただ私だけがやってることに満足してて、充実していただけなんだと今振り返ると思う。

そんな私が話をするようになったのは、おそらく私が2年生の夏合宿かな。事件が起きるわけです…でも、今よくよく考えてみると起きるべくして起きたようなもんだったかな。だって、単純に思い出せないだけかもしれないけど、当時の私は彼らを何もしらなかったんだと思うから…もちろん今でも。

それからかなぁ、意味もなく…っていうわけじゃないけど怒るのをやめた。まぁ単純に役割が副務に移ったこともあるし、自分自身が補佐の仕事をやるようになったからってこともあるんだろうけど。

そういうわけで私の記憶の中に夏以降1月までまったくといっていいほど後輩に対するイメージはなにも残ってない。もちろん、担当の下の子となにをしてたかは覚えてるけど…というよりその時期は後輩のことより同期内がごたついていた印象が強いですね。

そして1月号が終わり、下の子の新歓隊長が決まり再び私が下の子と関係してくることになりました。当初からうまくいかないだろうなぁ…と思ってました。

理由はあるんですよ。1つは下の子たちの気持ちが新歓活動に向かってなかったこと。1つは幹部先輩たちの新歓もしくは下の子に対する高慢さ。どちらにしても私がもう少し介入すべきだったのにそうしなかったことが最大の原因だったのだと思います。当時のブログを読み返してみても、それを伺えます。

まぁそれはともかくとして彼らは失敗の道を歩むべくして歩んでいきました。今でも覚えています。春合宿の荒唐無稽さ。それを見ていた私は後輩の形式すぎる決心への疑心と、そう決着をみせた幹部先輩に対する不信を感じていました。

あー、さっきから先輩に対して言いたい放題ですが、実際当時はそれぐらい思ってました。もちろん、幹部になるとそうせざるを得ない事情もあるのを私自身経験しましたし、それに私は偉そうに言える身分じゃないです。ただ1つ言えることがあって、幹部だからそうせざるを得ないって話は実に頑固で怠慢なことだと思うから、それは本来正しくない行いなんだと思います。私自身、そこを反省しないといけません。

ともかくとして、春合宿を終えた段階で、私のブログを見直してもそうですが、失敗するのが目に見えてました。当時の私はどう思ってたかというと、幹部が下の子をそそのかしてできもしないことを、失敗するのを知っててやらせた、みたいに思ってました。どうみたって失敗する空気が流れていた気がします。

でもまぁ、それでも条件をクリアできない、必死になってやんなかった後輩は真性のバカなんじゃないかとも思いましたけどね(笑。そっから謝罪のメールやらなんやらがきてうんざりしてました。ある程度、同情もしていたんですが、このときはあきれていました。

そこから鬱蒼とした新歓期間が去り、あまり感謝もされず…まぁ感謝されても困る部分ですがね。気づいたら夏合宿になるわけです。私も幹部になるにあたって補佐を決めて挑んだ合宿でした。

この頃、後輩たちに変化があったというより、私に心境の変化がありました。自分自身が幹部になるに際して特別な目的を見いだせなかったからという理由で、自分の力を後輩へ託すことを考え始めていました。きっとそれは合宿行く前から、補佐を決めるときからそうだった気がします。

それでも夏合宿は下の子は相変わらず破綻してて自滅してた。あれは幹部と下の子の相性の問題なのかな…ビックリするぐらい上手くいかないですよね。

まぁそこから自分も幹部になって下の子とよく話すようになった気がします。ただ最初にいったとおり、好き勝手話していただけかもしれません。まぁでも、自分の時間より後輩に使った時間の方が多いと思うんですよね。彼らのためっていったら恩着せがましいけど、それぐらいは思ってたんだよなぁ。

結果としてね、私は彼らのことがよくわかりませんでした。わかることといえば嫌々ながらも「NO」といわずついてきてくれたことかな。根本的に私たちの代は彼らに冷たかったとこがあったと思うから、余計にそう思う。そこは大変感謝しています。ありがとう。

なんてことを昨日部室いって思ったかはわかりません(何。いやでもね、一個下の後輩がちゃんと今の幹部に指導しているところを見て、安心した。嬉しいとは違うんだけど、安心したんだな。全員が全員そうではないけど、まだこの部活も捨てたもんじゃないなと思いました。