俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

Love&Happy

2009-03-04 23:55:17 | ATOP
ときどき。ときどき自分自身がどこから始まって、どこにいて、どんな生き物で、どう朽ち果てるかまじめに考えることがある。いつも通り、それは考える意味もないし、答えだってない。もしかしたら何の価値もないかもしれない。まじめに甲斐なし(解なし)といわけだね(何。

それが言いたかっただけだろ!って?いや、ちゃいますよ。まじめにそう思ってるのよ。


私はそこまで親切でもないからおそらく他人のために生きてるクチじゃない。ときに他人に対して冷めてるといわれるぐらいだし。

ただ、私が他人に対して冷めてるのは他人に対して期待していないからであって、他人に理解を示さないとか、他人になんの施しもしないということではないのよ。

つまりさ。私が人に対して冷たいのというのは、誰かが私に向けてプラスに働くことを期待していないっていうこと。周りは私のためになにかしてくれるわけじゃないって思ってるんですね。

それがときどき悪い方に進むと「周りがなんもしてくれないのは周りがバカだから仕方ない」とかって発展したりもするのだけど、まぁ普段はそこまで至りませんがね…。

周りが私のためになにかしてくれるのを、楽して手にすることはできないって考えてます。何も言わずに、何もせずに誰かが私になにかしてくれるわけがない。自分から何かの形で相手にそう仕向けなきゃなにもしてくれないって。

だから手放しで誰かに頼ることや、期待することは根本的に間違ってるんだと思うのね。それを信頼とか常識とかを理由にして、他人に押し付けるのは違うんだと思うなぁ。それはあまりに利己的すぎる気がします。得てして、自分が思っている以上に周囲は薄情である。

だからこそ自分から他人に・誰かに対して働きかけないと、施さないといけないんだよね。それは自分のためであるのだろし、その人のためでもあるんでしょうけど。

それを愛というなら愛なんだろうし、偽善というなら偽善なんだろうし、狡猾というなら狡猾なんだと思います。

でも、小生はそれが愛なんだと思います。他人を活かすこと、自分を活かすこと…それらに力を注ぐことは愛なんだと思います。直江兼次じゃないですけど。

なんか馬鹿げたこといってますよね(笑。いや、でもね、そういう気持ちでいることは幸せなんだと思うんです。きっと見返りなんてどうでもいいんです、根底では。そりゃ、あるに越したことないのだろうけどさ。

いつからLove&Happy教徒になったんだって感じですね。まぁ、そういう生き方が実は楽で心地よいんじゃないかと思うんですね。あわよくばそういった施した内容や形ではなくて、真心が伝わって理解というか知ってくれればいい気がします。

みんながみんな、そう寛容であるというか、周りに優しくなれたらもっと良い社会になる気がします。みんな、それが限定的に働いてしまうんですよね…人間って邪ですな。


ようやく結論。つまりですね、今どうであろうと今後どうなろうと結果や形だけに拘らず、自分自身がどれだけ周りを愛せたかって大事なんだと思うんですね。愛だぜ、愛。

Half of what I say is meaningless
But I say it just to reach you