多吉とは東京都五反田駅東にある小さな居酒屋のことだ。30代独身日本式サラリーマンの一時帰国休暇の最終日の夜は帰便の空港近くに宿をとる。2019年。いくらグローバル社会になったとはいえニンゲンが“生活”する範囲は別段広がった訳ではなく、そこを離れたり再訪したりする際には昔と変わらない感慨があるのではなかろうか。数少ない会いたい人々にはほとんど会ったし、数多い会いたくない人には会わずに済んだ。それに食いたいものもあらかた食ったので、いつ米国に戻ってもよいと思える気分であっても、最終日となると感傷的になり、思い出さなくてもよいことを思い出したりするので酒場へ行くことにした。それが多吉だ。
この居酒屋の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①アクセス
こんなときは鄙びた酒場に限るので、五反田駅から歓楽街とは逆方向へ向かう。山手線と目黒川に挟まれた小さな界隈もそれなりに酒場やラーメン屋などが並んだエリアになっていて、そこをふらふらと歩いていたときに多吉を見つけた。茶色のワンルームマンションの1階には多吉の他にも焼肉屋や中華料理屋などが並んでいる。多吉は“粋人 居酒屋 多吉”と書かれたたいへんシンプルな看板でいかにも小ぢんまりした風貌が漂うのですぐに入ることにしたのだ。
②多吉の中
引き戸をガラガラと開けてのれんをくぐると木製の卓が定食屋のように狭苦しく並んでいて、その向こうに厨房がある。厨房と客席の境に3,4席程度のカウンターがあって、そのカウンター席に初老の男が一人いた。筆者は彼の居るカウンターへ行くか、それともテーブル席にするか迷ったが、これまた初老の主人が厨房から穏やかな顔を覗かせたのでカウンターにすることにした。多吉は夫婦で経営しているようで、さらにまた感じの良い初老の婦人が注文をとりにきてくれた。
③メニュー
筆者はアジの叩き、タコ酢、目抜け焼き、そしてハムカツをいただいた。旨い。昔ながらの粋な居酒屋の雰囲気が尚いっそう味を引き立てるのか、酒もすすむ。瓶ビール、チューハイ、名前を忘れたが山口県の冷酒、そして熱燗へと手が伸びる。主人によれば訪れる客は馴染みばかりだそうだ。この日にやってきたもう一人の白髪の客は慣れた風に手前の狭い卓につき、その後来店した若いサラリーマン2人組も勝手知ったる風に厨房の奥の席へと入って行った。カウンター席の男と白髪の男は知り合いではあるものの、かつて何かあったのか妙な余所余所しさを保っており、居酒屋ならではのニンゲンドラマを垣間見ることができた。客数が5人になって小さな酒場の厨房はやや慌ただしくなった。
筆者はカウンター席の男と他愛もない話をすることで、孤独を紛らわしていた。『アメリカに住んでいる』ということをできるだけ控えめに、恥ずかしそうに言えば話は勝手に盛り上がっていく。店内の壁には直木賞作家の下田景樹先生が煙草を片手に主人と婦人と楽しそうに写っている写真、それにサイン色紙が飾られていた。30代独身日本式サラリーマンにとって生まれて初めて見た“奇人”は、小児の頃に“笑っていいとも”に出ていた下田景樹先生ではなかろうか。色紙には見覚えのある字で“ゆっくりと かしこく 生きる”と書かれていた。それを見て筆者は、下田先生のサイン入り本をとある人から拝借したままであることを思い出し、店を出て五反田の夜に消えた。
この居酒屋の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。
①アクセス
こんなときは鄙びた酒場に限るので、五反田駅から歓楽街とは逆方向へ向かう。山手線と目黒川に挟まれた小さな界隈もそれなりに酒場やラーメン屋などが並んだエリアになっていて、そこをふらふらと歩いていたときに多吉を見つけた。茶色のワンルームマンションの1階には多吉の他にも焼肉屋や中華料理屋などが並んでいる。多吉は“粋人 居酒屋 多吉”と書かれたたいへんシンプルな看板でいかにも小ぢんまりした風貌が漂うのですぐに入ることにしたのだ。
②多吉の中
引き戸をガラガラと開けてのれんをくぐると木製の卓が定食屋のように狭苦しく並んでいて、その向こうに厨房がある。厨房と客席の境に3,4席程度のカウンターがあって、そのカウンター席に初老の男が一人いた。筆者は彼の居るカウンターへ行くか、それともテーブル席にするか迷ったが、これまた初老の主人が厨房から穏やかな顔を覗かせたのでカウンターにすることにした。多吉は夫婦で経営しているようで、さらにまた感じの良い初老の婦人が注文をとりにきてくれた。
③メニュー
筆者はアジの叩き、タコ酢、目抜け焼き、そしてハムカツをいただいた。旨い。昔ながらの粋な居酒屋の雰囲気が尚いっそう味を引き立てるのか、酒もすすむ。瓶ビール、チューハイ、名前を忘れたが山口県の冷酒、そして熱燗へと手が伸びる。主人によれば訪れる客は馴染みばかりだそうだ。この日にやってきたもう一人の白髪の客は慣れた風に手前の狭い卓につき、その後来店した若いサラリーマン2人組も勝手知ったる風に厨房の奥の席へと入って行った。カウンター席の男と白髪の男は知り合いではあるものの、かつて何かあったのか妙な余所余所しさを保っており、居酒屋ならではのニンゲンドラマを垣間見ることができた。客数が5人になって小さな酒場の厨房はやや慌ただしくなった。
筆者はカウンター席の男と他愛もない話をすることで、孤独を紛らわしていた。『アメリカに住んでいる』ということをできるだけ控えめに、恥ずかしそうに言えば話は勝手に盛り上がっていく。店内の壁には直木賞作家の下田景樹先生が煙草を片手に主人と婦人と楽しそうに写っている写真、それにサイン色紙が飾られていた。30代独身日本式サラリーマンにとって生まれて初めて見た“奇人”は、小児の頃に“笑っていいとも”に出ていた下田景樹先生ではなかろうか。色紙には見覚えのある字で“ゆっくりと かしこく 生きる”と書かれていた。それを見て筆者は、下田先生のサイン入り本をとある人から拝借したままであることを思い出し、店を出て五反田の夜に消えた。