ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

ロス・ガドス・メモリアルパーク

2021-08-23 01:12:30 | 生活
ロス・ガドス・メモリアルパーク


 ロス・ガトス・メモリアルパークとは、ロス・ガトス市にある公共霊園のことである。ニンゲンは他の地球生物とは違い、同胞(あるいはペット)の死体を放っておくことができないために、世界中の町には必ずといっていいほど墓地がある。さらにニンゲンは、その墓には死者の『魂』みたいなものが残っていると考えるために、墓を訪れ花を手向けたりするのだ。“知らない町へ来たならば、まずは市場か墓を訪ねるのがよい”と言った高名な文化人類学者がいるように、町のことを知るには墓を訪ねるのは有効である。筆者がときどき墓を訪ねるのも同じ理由があるが、その他には①暇である、②たいていの墓地は散歩に適する、というのがある。日本は引き続き謝罪ブームが続いており、最近ではメンタリストのダイゴさん、『喝』の張本さん、そして『おみゃー』の河村たかしさんらが謝っている。



この公共霊園の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①ロス・ガドス
ロス・ガドスはサンノゼ南の低い山の中腹にある町で、町並みは割と富裕層の雰囲気を持つ。サンタ・クルス通りに並ぶレストランは何となく白人が好みそうな高級っぽい店が多いし、30代独身日本式サラリーマンの筆者が住むエリアに見られる乞食たちを見かけることもなさそうだ。ウィキペディアには2010年の国勢調査結果が載っている。それによればロス・ガトス市の人口構成の80%が白人と、サンノゼ市とはほぼ真逆の構成であるとことからもそういった事実が見て取れる。“ロス・ガトス・メモリアルパークにも町の経済状況や人種構成が表れているに違いない”そんなことを思いながら現地へ向かってみた。



②ロス・ガドス・メモリアルパーク
アラメダ通りに面したゲートから公園内へ入るときれいに整備された庭園風景に目を奪われる。正面には葬儀などを執り行う建屋があって、その前に数台分の駐車スペースがあった。まだ葬儀には朝早いため駐車場はガラガラで、そこに車を停めて建屋の周りに広がる霊園を反時計回りに散策してみた。芝生が敷かれた園内はところどころ彫刻やドーム型のオブジェなどで飾られており美しく明るい雰囲気で、幽霊などは出そうにない。そして公共の霊園といえどもベトナム系や韓国系といった人種で墓石エリアで分かれていたり、同じ西洋名の故人でも墓石の形状がエリアによって異なっていたりするので、人種や宗教によってある程度の区分がなされているようだ。また、最近の墓石には故人の顔写真を張り付けてあるタイプが多く見られるのも面白い。

③ユダヤ教の人々の墓
霊園の右奥のエリアは六芒星をかたどった門構えがあることから、ユダヤ教徒の人々のエリアだということがわかる。シンプルな墓石にも六芒星や蝋燭立て(メノーラー)といったユダヤを象徴する模様が施されている。さらに面白いことに、自転車や楽器・ゴルフクラブなど、故人の生前の趣味と思われる絵がシンプルに墓石に描かれているのも特徴的だ。偶像崇拝を行わない宗教からか、顔写真入りの墓石が見られないのも興味深い。このユダヤタイプの墓石は園内でもけっこう多くの面積が確保されているので、ロス・ガドスにはユダヤ人が多いのかもしれない。



④幼くして亡くなった人の墓
幼くしてなくなった方の墓石は日本と同様に小さく、そして白い石が使われている。



⑤大田亀吉氏とその家族の墓
霊園の左奥には日系人の墓を数体見つけることができた。西洋風の墓石にしっかりと日本人の苗字がアルファベットで記され、中には家紋が彫られたものもある。眠る人の生まれた日や亡くなった日を確認すると、概ね20世紀前半に生まれた人々であることから、所謂二世の人かと思われる。そしてOTA Kamekichiさんとその妻Haruさん・娘Matsuyoさんの墓石の裏面には彼らの本名と故郷が漢字とカナで記されており、これが筆者の故郷と非常に近いものであったために少し縁を感じたのだ。ハルさんとマツヨさんはまだ若い時分に同じ年(1927年)に亡くなっており、亀吉さんは1879年生まれで二つの大戦を生き抜き、1952年に亡くなっている。



 ニンゲンは墓に死者の『魂』みたいなものが残っていると考えるために、筆者はやや心を動かされた。長屋へ戻り、大田家の故郷の町のホームページに一応情報を送ってみることにした。『遠く離れたアメリカでそちらの町の方のお墓を見つけました。私も近い出身地であることから縁を感じ、“万一誰かがお探しの人がいたなら・・”と思い連絡したまでです』と書き添えた。今のところ返事はない。日本はコロナウィルスデルタ株の感染者が急増していて、今年も里帰りできない人々が多くいるそうだ。筆者もずいぶんと長く地元の墓参りができずにいる。“帰らないのが普通になる前に、一度帰っておきたいものだ”大田家の人々のお陰でそう思ったのだった。

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