ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

サン・ルイス・オビスポ周辺探訪 その4

2021-10-02 12:49:13 | 生活
サン・ルイス・オビスポ周辺探訪とは、筆者が2021年のレイバーデイ連休に、カリフォルニア州のやや南に位置するサン・ルイス・オビスポ周辺を探訪した記録である。3日目の朝は、サン・ルイス・オビスポを見てみることにした。だいたい今回の旅にサン・ルイス・オビスポの町を選んだのはまず町の名前だ。そのいかにも古い町の名前に「ぴん」ときたのだ。調べるとやはり小さくてかたちのいい山のそばにある風光明媚な都市で、文化的にも楽しいようだし、何かの資料によれば『アメリカで最も幸福な都市』なのだという。そこでここを旅の拠点にしたのだ。筆者は悲しき30代独身日本式サラリーマンではあるが、生まれてこの方“なんとなく”で選んだものにはずれがない(少しあるが・・)ので、今回もそれに頼っている。



この探訪の詳細(のつづき)は以下の通りだ参考にしてもらいたい。



①サン・ルイス・オビスポのジャパンタウン
実は宿探しをしているときに、サン・ルイス・オビスポ中心部のやや南西部に“ジャパンタウン”というエリアがあるのを見つけていた。だがグーグルマップ上には日本の面影はなにひとつ残っていない。不思議に思いインターネットで調べてみると、そこにはかつて立派な日系人街があったのだという。それを作り上げたのが、“江藤為治”という熊本県山鹿市出身の男で、彼がこの地の日系人の地位の確立に非常な努力し、地域の裁判陪審員にも推薦されるほどの人格者であったという。残念ながら太平洋戦争によってその地位を追われ、強制収容され、その後サン・ルイス・オビスポに戻ることはなかったようだ。筆者は朝、そのかつての日系人街付近を散歩してみると、そこにはエトー・パークという小さな小さな公園があったのだ。



②エトー・パーク
エトー・パークは中心街へとつながるヒグエラ通りから1本入ったブルック・ストリートという細い路地の行き止まりにあった。資料によればこの辺りがかつての日系人街で、旅館や商店などもあって賑わいを見せていたのだという。さらにこのブルック・ストリートはもともとは江藤為治の名前から“エトー通り”と名付けられていたのを、太平洋戦争を機に変えられたのだという。その小さな公園はかつての日系人街を偲んで2002年に作られた。日本庭園のようなオブジェが置かれ、石碑には子孫の方の思いが綴られていたりと、子供が遊ぶような公園ではなく、あくまで記念碑的な意味合いの強い広場になっている。だが訪ねる人は少ないようで、植え込みの奥まったところは乞食の寝床になっているようだった。その他に周辺に日本人街を偲ばせるようなものは何一つ残っていなかったが、ただひとつブルック・ストリートの小さな一軒家の玄関手すりに“ETO‐BROOK”と、かつての通りの標識が掲げられていだ。もしかしたら子孫の方だろうか、と思った。が、
思っただけでそこを後にして、繁華街へ行ってみた。



③繁華街の雰囲気
穏やかで、かつ賑やかなサン・ルイス・オビスポのメインストリートは、乾いた南欧の雰囲気があるお洒落な通りになっていて、ブティックやレストランが並び、主に白人たちが飲み食いを楽しんでいる。イタリア料理屋が多いようだ。幹が太く力強い広葉樹が通りに陰を作るのが印象的だ。きっといわれのある樹々に違いないと思って調べるも、特段めぼしい情報はなかった。通りの北側の店舗裏に並行して小さなサン・ルイス・オビスポ川が流れ、その脇が遊歩道として整備され、市民の憩いの場所として活用されているのも面白い。だがベンチにはたいてい乞食が佇んでいる。



④ミッション・サン・ルイス・オビスポ・デ・トロサ
繁華街の東端にはMission San Luis Obispo de Tolosaがある。この町ももともとはミッション・カリフォルニアのために建てられた町なのだった。建屋には趣があるし、中のL字型の聖堂も興味深いものの、基本的にはソルバングの教会と似たようなものなので書く内容にはネタ切れ感がある。とはいえ賑やかでハイソな街並みにこういった古い建物が残ると、門前町のような雰囲気が出て街の魅力を引き立てているのは確実だ。




 その後はモロロックを見に行ってシーフードを食べたり、ラッコなどを見たりして過ごしたが、もう長く書きすぎているので割愛する。夜はサン・ルイス・オビスポの“Mistura”という名の高級感のあるペルー料理屋で食べた。一人で入るには難しい店だったが、久々に勇気を振り絞ったのだ。店の名前からも、そしてなかなか繊細な味付けからも、『もしかしたらシェフは日系の人かな』と思わせるような結構な料理で満足し、ワインをガブガブ飲んでしまった。隣の席の40代くらいと思われる女性が突然泣き始めたのでびっくりしたら、どうやら指を蜂に刺されたのだそうだ。だがニンゲンは強い。大皿のパエリヤが運ばれてくると、女性は何事もなかったようにモリモリと食べ始めた。旅は続く、腹が減る限り。

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