ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

パクチー

2024-09-16 12:50:37 | 食材

パクチーとは、主にタイなどの東南アジアの料理に用いられる香草である。そのカメムシのような香りから、日本では好き嫌いが分かれる食材代表の一角に入るであろう。しかしパクチーが好きであれば、北米では豊かな食生活が送れる。だからここで紹介したい。本ブログは、本来このような日常の些細な内容を題材にすることで、ベイエリア30代独身日本式サラリーマンの生活を支えることが目的だったのだが、ついつい筆者の自己顕示欲や承認欲求がポロリ(ポロリどころか剥きだしにも・・)することが多くなり、読み返すと恥ずかしいものが多い。だが誰も読んでいないブログを、あたかも誰かが読んでいるかのように思い、自分で読み返して“恥ずかしい”と感じることもまた何とも恥ずかしいのである。

 

 

この食材の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいちゃい。

 

 

①パクチーは英語ではシラントロ

タイトルをパクチーとしたものの、この言葉はタイ語なので米国では通じない。ベトナム料理屋などで『プリーズ・ドント・プット・“パクチー”』などと言っても、店員には怪訝な顔をされる。英語では“シラントロ”と言う名で呼ばれ、売られている。だが植物名は“コリアンダー”で、シラントロとはあくまでコリアンダーの“ハーブ”のことを言うのだそうだ。とかくネーミングに関して大雑把な印象のある米国(魚なら何でも“フィッシュ”だったり、鶏も鶏肉も“チキン”だったり・・)だが、パクチーのネーミングは日本よりも複雑で、こだわりを感じる。

 

 

 

②パクチーはとても一般的な野菜

筆者は、様々なスーパー・マーケットを徘徊することを週末の生業としているため、米国に住む人々の食文化に詳しい。パクチーは、セイフウェイやウォルマートといった一般的米国人用のスーパーでも、ホール・フーズやトレイダー・ジョーズといった富裕層向けのスーパーでも、インドスーパーでも韓国・中国・べトナム・フィリピンスーパーでも、ニジヤでも、はたまたムスリム系のスーパーでも売られている。つまりパクチーは、トマトやジャガイモ並みに一般的な食材なのだ。 

 

 

③だが、レシピはよく分らない。

とはいえ、筆者は孤独なエセ30代独身日本式サラリーマンであるからして、皆がパクチーをどのように利用しているのかまでは知ることができない。筆者はもっぱらざく切りにしてそのまま食べたり(ゆかりフリカケをほんの少しだけかけてもいい)、冷奴に添えたりする。そして時にはうどんやソーメンに入れたりして、エスニックな麺を楽しんだりもする。加熱調理がなくても十分に旨いパクチーは、エセ30代独身日本式サラリーマンの味方だ。そのうえ栄養もすこぶる高く、免疫力アップやデトックス効果、疲労回復効果もあるというのだから、嬉しい。

 

それにこの国ではパクチーは安い。1束が80セント程度で手に入り、それでざく切りサラダ4回分にはなる。温暖化が進む地球である。筆者は老後に日本で暮らすのであれば、パクチーを育てようと計画している。おおよそ雑草の類であろうから、適当な管理で育つのではないかという期待があるのだ。鶴岡八幡宮で、祭事のための流鏑馬のけいこ中の若者が落馬し、意識不明の重体なのだと言う。地球にいる限りニンゲンに安全な場所は永遠にない。流鏑馬中でもパクチーを食べている最中でも、死と隣り合わせだ。


ヤマヤ・シーフード

2024-09-16 01:46:35 | 食事

ヤマヤ・シーフードとは、アラスカ州アンカレッジにある日本料理レストランである。アラスカ旅行の4日目は、早朝にはアンカレッジから30分ほどで行けるチュガチ州立公園内のリトル・オマリー山に登ってみた。氷河が山を大きく削り取ってできた谷間は広くて平たい。雪はゆっくりと解けてその平たい谷へ集まるので、川の流れには穏やかさがある。緑もとても豊かで、アラスカの冬の厳しさが想像できない。その谷を横切って始まる登山道はやや単調だが、眼下にトナカイやクマが見えないか探しながら登れば楽しい。そして尾根に到達すると、逆側の谷にも素晴らしい景色が広がっている。尾根に残る8月の残雪に触れて、筆者は引き返した。

 

 

この旅の記録(のつづき)は以下のとおりだ。参考にしもらいたい。

 

 

①デナリの山を拝みに行く。

登山を終えてもまだ朝の10時であったので、思い切って北へ向かってみることにした。アンカレッジから2~3時間走ればデナリ国立公園付近までは行けるだろう。そしてマッキンリーを遠目に拝んで戻っても、夕飯時には十分間に合うという計算だ。レンタカーを走らせた。1号線から3号線へ分岐すれば、すぐに針葉樹ばかりの景色になって、人が住む形跡があるのは材木業者や除雪関連資材のヤードと、ポツポツと土産物屋やキャンプサイトがあるばかりになる。 “マッキンリーは見えないものか”と遠くを見るが、生憎の曇り空で、なかなか見つからない。

 

 

 

②マウンテン・マッキンリー・プリンセス・ワイルドネス・ロッジ

当てのないドライブに疲労を感じ始めたその時、前を走る大きな観光バスが突然右折した。その通りの名が“マッキンリーロード”だったので、筆者もすかさずハンドルを切り尾行すると、ほどなく“マウンテン・マッキンリー・プリンセス・ワイルドネス・ロッジ”という、ブルジョア臭の強い大型リゾートへ到着した。リゾート・ファッションの白人老夫婦がワラワラ涌いている。拍子抜けしたものの、場違いなアジア人エセ30代独身日本式サラリーマンは、いそいそとロビーへ入ってみる。その奥には大きく開けた展望ロッジがあって、リゾート・ファッションの白人老夫婦がウヨウヨ涌いている。場違いなアジア人エセ30代独身日本式サラリーマンは、いそいそとテラスへ出てみたが、残念ながら山々は雲に隠れていた。筆者はこの地をゴールとし、引き返すことにした。ヤマヤ・シーフードの開店時間に間に合うようにアンカレッジへ戻らねばならない。

 

 

 

③ヤマヤ・シーフードに到着する。

往復5時間を超えるドライブでアンカレッジへ戻ったときは、さすがの筆者も疲労困憊だったが、何とかヤマヤ・シーフードへたどり着いた。ヤマヤ・シーフードは、筆者が今回の旅で是非訪ねようと思っていた日本料理屋である。タウンタウンから少しだけ外れた場所にあるこの店は、普通の錆びれた家屋のような建屋に小さなカニの看板があるばかりの簡素な外観だ。一見、開いているかどうかよく分らない。店の裏の小さな通りに面した駐車場がある。そこには鎖でつながれた老犬がいて、なんだか日本の田舎の景色がある。筆者が店に着いたのは、開店20分後の5時20分であった。だが、門扉の上のOPENの文字に光がない。不安が走った。

 

 

④ヤマヤ・シーフードを訪ねる。

しかし門扉は開き、中に入れた。カウンター席に腰掛ける数人の客が振り返り、こちらを見て、皆が小さく苦笑いを見せる。カウンター席の向こうでは、主人と思しき白い調理服のアジア人老父がひとり、モクモクと作業をしていて、こちらには全く気が付かない。店の内装はまるで日本で、メニューも日本語は併記される。それに純度の高い演歌BGMがうっすらと流れていて、根室の酒場のような雰囲気すらある。期待が高まったが、とにかく主人が全くこちらに気が付かないので、カウンター客に“空いているのか?”と尋ねると、左隅の中華風の若い男性客が薄ら笑いを浮かべながら、“空いてるよ、でも彼は忙しいんだ”と答える。右端の常連くさい白人男がおちょこを片手に笑う。仕方がなく勝手にテーブル席に腰掛けて、飾られたメニューを眺めていれば、ついに主人が筆者に気が付き、“あーあー無理無理!最低一時間は作れないよ!”と叱られてしまった。根室の酒場のようである。

 

 

登山~ドライブで疲労が限界に近かった筆者には、さすがに1時間の待機はしんどい。店裏に繋がれた老犬をしばらく撫でまわし、泣く泣くヤマヤ・シーフードを跡にした。そしてやけくそで“スシヤ”という名の店に入って悲しい思いをした。これが2024年のアラスカ最後の夜である。アンカレッジで旨いシーフードを食べるなら、ヤマヤ・シーフードを予約しておくか、調理具付きの宿を取り、ニュー・サガヤで魚介を買うのがよいように思います。