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ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

赤坂見附にて

2023-11-29 12:51:54 | 生活
赤坂見附にてとは、筆者が米国就労ビザ更新のために滞在した赤坂見附近辺での思い出の記録である。2023年現在、米国の就労ビザの有効期限は5年であり、更新する場合は在日米国大使館で必要書類の提出と簡単な面接を行う必要がある。そう、会社の金で日本へ帰ることができるのだ。それに“アカサカミツケ”という、響きだけで恰好よく感じる魅惑のスポットに宿泊するので、田舎者似非30代独身日本式サラリーマンは、ワクワクする。とはいえ結論から言えば、赤坂見附で足つぼマッサージをしてから酒を飲んだだけである。田舎のネズミは都会の楽しみ方を知らないのだ。でもタイトルは格好つけて志賀直哉先生よろしく“赤坂見附にて”としている。


この思い出は以下の通りだ。参考になるだろうか。



①地下鉄赤坂見附駅周辺をウロウロ
夕暮れ時に地下鉄赤坂見附駅周辺をウロウロしていると、割と似非30代独身サラリーマンフレンドリーな大衆酒場が多くて安心する。そして気が付いたのが、足つぼマッサージ店の多さだ。よく歩く東京人の足は疲れているのだ。そういえば長いこと足つぼのマッサージをしていない。米国にも同様のマッサージはあるにはあるが、行ったことがない。筆者にとってマッサージ店はあくまで“通りすがり”に入るところなので、車社会の米国ではなかなか入るきっかけがないし、そのうえ米国のマッサージ店は健全店か否かや、対象性別、サービス内容が不明瞭で入りにくいのだ。



②台湾式足裏専門店
そこで“足”とデカデカと白抜きで書かれた赤い看板が目立つ、“台湾式足裏専門店”と言う名の店へ入ってみることにした。ただし英語表記ではFOOT&BODYとの記載があり、サービス内容を見れば整体マッサージもあるので、決して足裏専門という訳ではないようだ。逆誇大広告である。ガラス戸を開けると中年の大陸系女店員が腰を掛けていて、メニューを尋ねてくる。筆者は足裏60分を注文する、初めての客には割引があった。奥行きのある部屋の両側に斜め向きにカーテンで仕切られたマッサージコーナーがいくつもあり、何だか空港のゲート口を思わせる。



③台湾式足裏専門店
マッサージ師は若い大陸男性が多いようで、全員しあつ野郎さんのようないかにもな白い服を着ている。一番手前のゲートに案内され、ズボンだけ履き替えてマッサージ開始だ。これがおそらく棒を使った足つぼマッサージで、とにかくとても痛くて、足裏が内出血しているのではないかと思うほどだ。かつてバラエティ番組であった罰ゲームで見たようなアレである。同じ痛いところをしつこくグイグイと押してくるし、『・・・痛いので少し弱めに』と言っても、ほんの少ししか弱くしてくれないのだ。だが周りの客は慣れた人が多いのか、店内には筆者の『うっ・・うハぁ』などという喘ぎ声以外には何も聞こえない。思えばBGMなどもなく、マッサージ師たちもやけにひそひそ声で話す静かな雰囲気であったから猶更である。ふくらはぎのマッサージ、熱タオルによる温めを終え、すっかり気持ち良くなった筆者は、若いマッサージ師に二千円のチップを渡しておいた。




マッサージを終え、体全体がポカポカと元気が出てきたので二軒隣の地下にある“梓川”という趣味のよさそうな居酒屋へ入ってみた。90年代懐メロが流れる店内の狭い小上がりの雰囲気はよいし、日本酒の取り揃えはたいへん豊富(鍋島と貴をいただいた)だし、おつまみも手ごろな価格の良いものばかりでたいへん満足だったが、店に入るなりに『お酒は飲みますかー!!!?』と素っ頓狂な質問をされ、店内の壁やメニューにもしつこく『お酒を飲まない人は来ないで!』という“下戸ヘイト”なメッセージが目立つお店だった。外国人観光客が増えていることも影響しているのだろうか。地代の高い赤坂エリアでこだわりの店を続けることの大変さを垣間見ることができた。田舎の似非30代独身日本式ネズミは、〆に安心の天下一品ラーメン(大盛)を食べました。

Burrell's Hair Cutting Place

2023-10-29 09:45:20 | 生活
Burrell's Hair Cutting Placeとは、サウスサンフランシスコ市にある理髪店だ。ニンゲンは古くから髪型の整い具合で人を判断する社会を築いてきた。そのため理容業界は現代社会でも大切な産業となっている。とはいえこの業界は他業種と比べて統合化が進まず、廃れた商店街や貧民層の居住区で小さな理容室が潰れずにやっている(のをよく見る)。それはたとえ頭髪と言えども、自分の体の一部を刃物でもって切断する行為は “心許せる相手に任せたい” という思いがあるためだろう。さて、米国の理髪店のサービスはコスパが非常に悪く、筆者は日本の床屋へ行くのが帰国休暇中の楽しみのひとつなのだが、このBurrell's Hair Cutting Placeは少し違ったので、今回は紹介したい。2023年10月の日本では、ついには元忍者までもがジャニーからの性被害を告白し始めている。



この理髪店の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①サウス・サンフランシスコの商店街
Burrell's Hair Cutting Placeはサウス・サンフランシスコ市の商店街にある。この商店街は、グランドアヴェニュー東端から300mほどのエリアにあって、かつてのイタリア人移民居住区の名残を見せつつも、南米や中華やフィリピン系といった新たな移民の店の勢いが盛んとなり、さらには富裕層向けの小じゃれた店も増えつつつある多国籍な雰囲気がある。古くから残る小さな店舗の外装には、カラフルなタイル張りが施され、アーチ型の扉があったりと、少しだけ向島の “鳩の街” を思い起こさせる。




②Burrell's Hair Cutting Place外観
その中でもBurrell's Hair Cutting Placeの外観は特に可愛い。入口のドアの左側の出窓部分は水色と黒のタイル張りで、窓ガラスにはレトロなトリコロールサインポールのイラストが描かれている。出窓のガラスの向こうにはアンティークショップのように雑貨が並んでいて、理髪店には見えない。コミュ障似非30代独身日本式サラリーマンの筆者は、初めての理髪店の扉をたたくのがひどく億劫なのだが、この店は何だかついつい引き込まれそうな魅力があった。実はこのBurrell's Hair Cutting Placeのすぐ隣もジェームス・ディーンのポスターが貼られた理髪店なのだが、そっちには全然入りたくない。



③床屋のおやじ
扉を開けるとそこもまたアンティークショップのような雰囲気だ。3台並ぶ水色と黒で塗られたバーバーチェアには年季が入っており、金属製の足置き台には古いメーカー名が刻印されている。そしてここの床屋のおやじが、お洒落な山高帽とシャツとスラックスで決めた背の低い白髪が混じりの黒人で、まるでジャズバンドメンバーのような風貌なのだ。そして筆者のその予想は当たっていた。よく見ると店内のレトロな置物に混じって、ルイ・アームストロング(サッチモ)やコルトレーンの写真が飾られ、そしてこのおやじ本人と思われる男が路上でサクソフォーンを持つ写真もある。




このおやじは可愛くてとても明るいし、それに散髪中には大きなスピーカーでジャズを聞かせてくれるので、とても心地がいい。散髪中にたまに目を開けると、アンティークに囲まれたおもちゃ箱のような空間に居る自分の姿が鏡に映るのもとても楽しい。仕事も悪くない(帰ってから少しだけ“すく”必要があるが・・)。普段はアジアスーパー近くの床屋等で15ドルで散髪を済ませて、15ドルでもコスパの悪さに気分が暗くなるのだが、このBurrell's Hair Cutting Placeは35ドルでも大満足である。おやじ(Mr. B)は毎週木曜日には向かいのベジタリアン・バーでサックスを吹いているのだという。散髪中にもMr.Bの友達という老人が入れ代わり立ち代わりやってくる。暖かいニンゲン同士の直のコミュニティがある。サウス・シティに住む間は、床屋代が嵩みそうだ。

洗濯機を運ぶ

2023-10-02 08:45:58 | 生活
洗濯機を運ぶとは、筆者が大学院を卒業して長屋を出る際に、洗濯機をタカハシに譲った時の思い出話である。“ランドロマット”の記事を書いている時にふとこの出来事を思い出したのだ。大した経験ではない。だが米国の駐在員用アパートメントでは洗濯機は乾燥機と共に部屋に備付になっていることが多く、自分用の洗濯機を購入することはほぼない。よって洗濯機を自力で持ち運ぶことなど滅多にないだろうから、まぁ貴重な経験ともいえる。それに人の優しさや社会の厳しさをも味わった思い出深い一日の話なので、ここに記録しておこうと思う。2023年9月の日本は円安が進み、ついには1ドル150円に到達しそうな状況にある。


この思い出の詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。


①洗濯機を運ぼう。
筆者は大学院を卒業し、就職のために上京することになり、長く暮らしたコスモビルを出ていく段取をしていた。一方タカハシは地元の企業への就職を決めたのを機に、ついに実家を出て一人暮らしを始めることにしていた。『女子を連れ込むのだ』と意気込んでいたが、いかんせんタカハシには金がない。そこで筆者の使い古した電子レンジと洗濯機を、タカハシの新居へ運んでしまう計画を立てたのだった。タカハシの新居はコスモビルからは30㎞ほどある。苦学生だった我々には『軽トラを借りる』などという発想はなく、バスと地下鉄を乗り継いで向かうことにした。“駅員や運転手に驚かれて怒られるかも知れないが、苦学生の引越しだと説明すれば分かってもらえるはずだ“ ”断られたら断られたときよ“と楽観的な気分でいた。



②バスに乗る。
タカハシがどこからともなく台車を用意してきたので、それに洗濯機を載せてタカハシがゴロゴロと押し、筆者は電子レンジを抱えて市役所前のバス停でバスを待った。やがて目的地行きのバスが来て扉が開くと、『えぇえーっと?! それ運ぶんですか!!??』と予想どおり運転手に驚かれた。筆者らは真面目な貧乏学生気取りで、しかし敢えてハキハキ口調で、『はい。引っ越ししなくてはならず、でもお金がなくて、それでどうしても載せたいのです』と答えると、『・・・一応荷物の制限はあるんですが・・ いいでしょう・・』と受け入れてくれた。実は筆者とタカハシの、“昭和ハンサム笑顔”と“純朴メガネ浪人生風貌”のコンビは、どこからどう見ても安全で、第一印象が良いのである。ちょうど車いす用のスペースが空いており、そこに洗濯機の載った台車を置かせてもらい、洗濯機の上に電子レンジを置いて、バスは走りだした。『もしも車いすの方が乗車された場合はそこで降りてもらいます』と言われた。そりゃあそうだ。



③ロープを持った男たち
町の中心部へ向かうバスは降りる客より乗る客の方が多く、だんだんと社内が混雑してきて周囲の目が気になり始める。そしてとあるバス停に止まると、ニ、三人のバス会社の係員がドカドカと乗り込んできて、周りをきょろきょろした後に筆者らを見つけて近づいてきた。『何や、洗濯機かー』と呆れたようにぼやき、『固定させてもらいます』とロープを取り出して手摺に洗濯機を縛り付け始めた。どうやらバスが混雑してきたために、安全のために運転手がバス会社に一報入れたようだ。筆者とタカハシは、とにかく『すみません、すみません』を繰り返す“低姿勢作戦”で難を乗り切った。当時のバス会社の人々は、ルールを盾にして貧民苦学生の思いを簡単に無下にするような冷たい人々は少なかったようだ。ビル群立ち並ぶ町の中心部でバスを降りたった筆者とタカハシは、ニンゲンの優しさに触れたような心地で不思議な高揚感があり、このまま地下鉄もすんなり行けるに違いないと強気になっていた。




④地下鉄の改札にて
バリアフリー化の進んだ地下鉄駅では、エレベーターを使えば洗濯機をコンコースまで運ぶことは簡単だ。切符を買って、自動改札までゴロゴロ台車を押し進める。そこには明らかに“不審者”を見咎めるような顔つきの駅員が待ち構えており、筆者は咄嗟に『まずい』と思い、電子レンジを抱えてタカハシより先に改札を突破してみた。その閻魔様のような駅員をちらりと見れば、彼の眼は、明らかに後方で洗濯機を押すタカハシに注がれていた。タカハシは駅員に捕まり、5分ほどの押し問答の末にぷりぷりと憤慨しながら洗濯機と共に改札を通過してきた。タカハシの談によれば、その駅員からは“ふざけとんのか”“えぇ訳ないやろ”などとおよそ非論理的な口撃に遭い、それに対して“ふざけてはいません”“荷物を運んでいるだけです”と毅然と対応したところ、“次は許されんからな”という意味不明な悪態の後に通過を許されたのだという。『結局ゆるすんかーい!』という突っ込みを入れずにはおれなかった。



ホームで駅員の悪口を言いながら地下鉄を待っていたらば、ふいにさっきの閻魔駅員とは別の若い駅員が、車いす利用者用の段差スロープを抱えて階段を降りてきた。3月の昼下がりのホームは閑散としていて乗客は筆者らしかおらず、車いす客は見当たらない。『タカハシ、世の中は捨てたもんじゃぁないぜ。さっきの閻魔駅員たぶん悪い人じゃない。きっとあの若い駅員に“おい、あの兄ちゃんらの乗車手伝ってやったれ”って言ったんだと思うな』とタカハシに伝え、ウキウキと彼の応対を待った。そしてついに電車がやってきて、若駅員は一番前の車両から降りてくる車いす客をいそいそとサポートしはじめ、筆者とタカハシはその隣のドアから『よっこらっしょ!』と台車を自力で車両に運び込んだ。タカハシの新居の窓からは青空と古城が見えた。世界は今ほどにはオープンではなく、SNSで何でもかんでも拡散されることのなかった時代の話だ。

ベイエリアで古本を寄付する

2023-09-23 23:45:58 | 生活
ベイエリアで古本を寄付するとは、ベイエリア周辺の駐在員や日系の人々のために古本を寄付する行為のことを言う。筆者はサンノゼを離れてサウス・サンフランシスコへ拠点を移すことになった。この機会にプラスチックケースいっぱいになっている読み終えた本やもらった臭い本(“人からもらった文庫本の臭いを消す”の記事参照のこと)のうち、不要な本を寄付したいと思ったのだ。それはただ不要な本の処分を目的としたのではなく、かつてアリゾナ州ツーソンの“Sandyi Oriental Market”で先達の古書を譲り受けたことも筆者に影響を与えている(Sandyi Oriental Marketの記事参照)。今回はそれに関する記事である。日本では線上降水帯という新たな用語が一般的になっている。


この行為の概要が以下の通りだ、参考にしてもらいたい。



①ひまわり会
“ベイエリア 古本”とグーグル神で検索すれば、すぐに出てきたのが“ひまわり会”という団体である。ひまわり会はベイエリア、特にイースト・ベイの日系人のコミュネィティを目的に1971年に設立された歴史ある団体だ。イーストベイを拠点としていることからも、駐在員よりも日系移民の人々を対象にしているように思う。この団体が月に一度の頻度で日本図書の古本市を開催しており、寄付を募っていることが判明したので、筆者はさっそくウェブサイトにのっているメールアドレスにコンタクトしてみた。何でも古本の寄付にも事前連絡が必要との記載がウェブサイトにあったためだ。



②ひまわり会とのコンタクト
古本寄付の予約メールにはすぐに返事が来た。それは伊藤いねこさんという女性からで、メールの文体から比較的年配の女性であることが想像できた。古本は、“エルセリートの八百屋さん”に持ってきてほしいとのことだ。『え? 八百屋さん?』と思ったが、どうやら“YAOYA-SAN”と言う名の日本スーパーらしい。そしておはぎの販売や包丁研ぎのサービスもやっているという内容の情報が添えられていた。イーストベイにも小さくない日本人のコミュニティがあるようだ。



③古本を持っていく
指定された日の指定時刻に“八百屋さん”へ到着すると、まだ古本市の開催前で賑わいはなく、駐車場でせっせと古本市の準備をする年配女性がいた。伊藤いねこさんであった。お忙しそうであまり会話をすることはできなかったが、『長くやってる団体で、怪しいものではないのよー』とニコニコされていたのが印象的だ。『ひまわり会とこの八百屋さんは関係あるんですか?』と聞いてみると、『あ、全然ないんですよ』とおっしゃった。八百屋さんは開店したてで慌ただしそうだったので、入るのはまた今度にすることにした。



ひまわり会は古本市の他にも『日本語を書く会』やヨガや気功などの教室もやっていたりする。ニンゲンは愚かなので、いずれまた多くの人が日本から脱出しなくてはいけない状況がやってくるだろう。そういった状況のときに世界各国にあるこういう団体が力を発揮するのではなかろうか。できる限り応援したいと思った。来月の古本市へ行ってみようかな、でも筆者の寄付した本が丸ごと売れ残っていたら、それはショックである。

ユタ旅行 その3

2023-08-13 04:48:45 | 生活
ユタ旅行とは、筆者の2023年メモリアル・デー3連休の旅行記である。パイズリケーキの記事を(パイズリだけに・・)思わず間に挟んでしまったが、旅行記その3だ。2日目は登山をしようと決めていた。とはいえ5月のユタの山々にはまだ雪が残り、素人が道具(ギア?)もなしに登るのはむつかしいものも多いので、宿場に戻り、SAGE Japan marketで買ってきた諸々の肴と共に飲酒をしつつ、AllTrailという名のサイトで簡単そうな、でも楽しそうな山を入念に調べたのだった。今は8月。もう旅行から3ヵ月も経ってしまっているので、思い出しつつのブログ記載となる。2023年の日本の夏は、海や川で溺れ死ぬ人が多いように思う。



この旅の記録は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。


①Grandeur Peak登山
Grandeurという山へ登ることにした。ミル・クリーク・ロードという谷あいの道沿いに登山口があり、ソルトレイク・シティからは車で20分ほどで着く。登山口付近はミル・クリークの清流を感じながらピクニックを楽しめる施設になっていた。この日のために安いトレッキング・シューズをも購入していた筆者は、張り切って登り始めるもすぐに息を切らし、休み休みえっちらおっちらの30代独身日本式サラリーマン登山となった。雪解け水が流れる小川沿いの谷登山を上りきると、左には地形の褶曲が丸見えの険しい雪山、正面にはソルトレイク・シティの盆地を見下ろす、景色の良い尾根登山に変わる。登山道のところどころに雪が残り、登頂時には『なかなかの山に登った』という達成感があった。とはいえゲーマーのような白人少年がろくな装備もせずに登っていたりしたので、あくまでレジャー山である。登山前にガソリンスタンドで買っておいた加工肉がぎっしり詰まったサンドウィッチを平らげて下山する。ウェブサイトにあった標準時間とちょうど同じ時間で登山を終えた。



②チャイナタウン・スーパーマーケット
早朝登山を敢行したため、下山してもまだ日が高い。そこでソルトレイク・シティのアジア人情勢視察を兼ねて、チャイナタウン・スーパーマーケットへ行ってみることにした。ソルト・レイクシティのダウンタウンから南へ数マイルいったところにあるこのチャイナタウン・スーパーマーケットは、駐車場入口に“中国城”と書かれた早大な朱色の門がシンボリックな、大掛かりなマーケットだ。規模はSAGE Japan marketと比べると桁違いだ。ユタ州にまで進出している中華系移パワーを目の当たりにし、『米は中との戦争なんて起こせない・・』と筆者は改めて思うのだった。正直登山の疲れと、記憶の薄れによりあまり店内のことを思い出せないのだが、シンハービールと豚耳の総菜、そしてカップ麺を購入した。ユタ州にやってきた中国人は、他州と同様に鉄道建設時にやってきた人々が主である。ちなみに初めてユタ州に移住してきた日本人は、その中国人苦力男性相手に稼ぎを目的とした女性たちなのだという。



③モルモン教の教会へ
チャイナタウン・スーパーマーケットから帰ったらば、その日は宿場でひたすら飲酒をして過ごした。夜はタイ料理をネットでオーダーしたのだが、ややこしいことに “Sara Thai Kitchen” と “Sala Thai Kitchen” という日本人にとっては全く同じ名前の二つの店が近くに合ったため、ピックアップ時に混乱に陥った。筆者が注文したのは、怪しいマッサージ屋やエロ下着屋が並ぶところで、カオニャオが付いた本格タイ料理で満足だった。最終日の朝はモルモン教の聖地、テンプル・スクエアを訪ねた。教会内のシンプルな装飾と、施設の係員が色素薄めの純血白人種っぽい若い女性たちばかりだったのが印象的だ。残念ながら大聖堂は改築工事中で仮囲いに覆われて見ることができなかった。



最後は飛行機の時間まで、ソルトレイクから北西部を15号、84号、66号、84号とぐるりとドライブしてみた。ロッキー山脈麓の雄大な景色、鉱業や農業といったニンゲンの根本生活に必要とするもので働く人々。ここで暮らして家族を築いたなら、世界のニュースなどに心乱されることもなく、どこかへ旅行する必要も感じなささそうだ。宗教自体が凋落傾向にある今の世界なうえに、異端扱いされているモルモン教の人々が、堂々と暮らしていけているのも、このユタの場所に好条件があるのかも知れないと思った。『ユタ州いいとこ!』