台山寧陽墓園とは、コルマ市にある墓地である。サンフランシスコ市のすぐ南にあるコルマ市は、土地の多くが墓地として利用されいて、“生きている人よりも死んでいる人の方が多い町”として少し有名である。かつて本ブログで紹介した“日本人墓地”もこのコルマ市にある。その回でも述べたが、ここの墓地は人種や宗教で区別されているものが多いので、世界の人々の宗教観・家族観・死生観などを見学できるというものだ。このところ血糖値や血圧が高めの筆者は、有酸素運動をする必要がある。長屋のサウス・シティからコルマへの散歩は、距離がちょうどよく、緩やかな丘を上るので運動によい。その散歩がてら立ち寄った墓が、この台山寧陽墓園だった。
この墓地の特長は以下のとおりだ、参考にしたもらいたい。
①台山寧陽墓園
サウス・シティからサンブルーノ・マウンテン公園の麓の道をつらつらと東進し、丘陵を越えて下り道になった辺りからコルマ墓群が見え始める。そうすれば右手に台山寧陽墓園の入り口がすぐに見える。門扉柱の上に立つポップなパンダのオブジェや重厚な漢字フォントが並ぶ様子から、ここが中華系の墓苑だということがすぐに判る。 早速見学してみることにし、門をくぐった。丁寧に手入れされた芝生の苑には、将棋の駒の縦横比を少し変えたようなかたち(いわゆるイエ型)のシンプルな墓石が整然と無数に並んでいて、色は茶色がメインだ。墓石は押しなべてひざ丈よりも少し高いくらいの背丈のため、遠くまで見通しがきき開放的な空間になっている。日本の墓地のように墓石の陰から急に何かが現れて、“ヒエ!”とびっくりする恐怖感がないので、肝を試せない。それにこの日は快晴で気持ちが良く、死者どもに快く迎え入れられた気分になった。
②台山寧陽墓園の墓のかたちと仕組み
さっそく墓石見学を行う。時折ハート型などの変わり種墓石があるものの、99%は同型・同サイズのもので、“死”に関しては個人主張の少ない民族性(のようなもの)を感じる。“中の人”はほとんどが夫婦であり、墓石にはちょうど相合傘の落書きのように二人の名前が縦書きで書かれている(夫が向かって右、妻が向かって左)。日本の墓システムのように〇〇家代々で入るような墓はなく、しかも夫婦二人で入るという点や、夫婦別姓である点(墓石にある名前の名字が夫婦で異なる)などから進歩的な印象を受けるものの、墓石の頂部に描かれる山門紋様のど真ん中には夫サイドの家名(王、鄭、陳などの一文字)が大きく彫り込まれてあることから、妻は夫の“イエ”には入れず(名字は変えられない)、あくまで実父の“イエ”のニンゲンという、いわゆる今流行の“男系(Y型染色体)”思考とも捉えられる。ちなみに独身者と思しき人の墓もあって、それはやはりハーフサイズだ。
③台山寧陽墓園の墓のかたちと仕組み
墓石の背面には丸く白抜きされ、その中に夫の名字(陳、雷、王、趙など)が大きく書かれた模様がある。よって墓群を後ろから見ると、漢字一文字だけ書かれた石がずらり並んでいる様子が珍妙で愛らしい。それに漢字の下には英字でも家名が書いてある(余 yee、曽 Tsang など)ので、中国発音の勉強にもなる。同じ苗字でも発音に違い(呉さん→NGOさんやWuさん)、(方さん→フォンさんやファンさん)を見つけたりと、中国にも“ワタベワタナベ問題、コウノカワノ問題”があるのかも知れないと思いを馳せたりする。書き忘れていたが、苑内に宗教色(仏像、寺院風の建物等)は一切ない。
さて、墓石には中の人の出身地も書かれている。驚いたことにほとんどの人が広東省出身であった。そしてたいていの人が“広東省台山県出身”とある。“さては・・・”と思い調べると、この台山寧陽墓園の“台山”とは広東省台山県のことのようで、つまりこの墓苑は中国の中でも広東人のための墓苑なのだった。よくよく調べると19世紀にゴールドラッシュの噂を聞きつけてサン・フランシスコへやってき中国人は、ほとんどが広東省出身だったのだという。やはり墓には歴史がある。死ぬ前にできるだけ多く行きたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます