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ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

パナデリア・パントーヤのビスケット

2024-02-25 09:06:42 | 食材
パナデリア・パントーヤのビスケットとは、フィリピン産のビスケットのことである。北米の人々は、職場での昼食を簡易なスナック類や果物などで済ませている人が多く、日本の職場のように立派な社員食堂があったり、仕出し屋ががっつり弁当を届けたりする風景を見ることは多くない。筆者に言わせればそれは理に適っている。昼食後の過度な満腹感は眠気を誘い、仕事のパフォーマンスを落とすからだ。日本のがっつり昼食は残業前提の文化であり、生産性を下げる原因のひとつと言うべきである。今後、労働時間の規制が強まるにつれて薄れていくに違いない。今回はその簡易昼食に適したフィリピン産ビスケットを紹介する企画である。そういえば先月、エスパー伊東さんが63歳という若さで亡くなった。何かの前ぶれだろうか。


このビスケットの詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①パナデリア・パントーヤのビスケットとの出会い
以前も(どこかの回で)記述したとおり、フィリピン系のパシフィック・スーパーマーケットのお菓子のコーナーは他のアジア系スーパーとは風景が異なる。かの人類初の世界一周を達成したマゼラン艦隊の隊長を打ち取った勇ましい過去はあるものの、フィリピンは長くスペイン王国に支配された影響で、食文化は他の東南アジア諸国よりも欧風色が強く、紅茶の友になりそうなビスケット・クッキー(ビスケットとクッキーの違いは何?)類が見られる。パナデリア・パントーヤもその一つで、パシフィックスーパーで発見した。


②パナデリア・パントーヤを手に取る
パナデリア・パントーヤは手のひらサイズの透明な袋で、シンプルな一口大のビスケットがぎっしり入っているのがしっかり目視できるため、安心して購入できる。袋の正面の赤・黄・白のラベル紋様の中央にはタキシード姿の若い男性の肖像画が描かれている。おそらくこのハンサム男がパナデリア・パントーヤ氏であろう。SINCE1950とあるので、カルビーのポテトチップスより25年も古い伝統あるビスケットであることも分かる。商品説明は英語・中国語・フランス語、それにサンスクリット語で表記されていることからカルビーのかっぱえびせんなんかよりずっとワールドワイドな商品のようだ(ちなみにフィリピンはフィリピン語と英語が公用語で、同僚のフィリピン人ジェレルディンちゃんによれば英語話者がほとんどだという)。



③パナデリア・パントーヤの封を開けて食べる。
パナデリア・パントーヤのビスケットは四角と円形の二つのかたちがあって、それぞれ
“JACOBINA” “BABORIA”という名前で売られている。だが違うのはかたちだけのようだ。一口大のビスケットは、0.5ミリほどの薄い生地が15~20枚ほど重なった層状であり、たいていのものは真ん中あたりの層が、焼いたときの熱の所為なのかひん曲がっているのが可愛らしい。そして食べるととても美味しい。甘さ・しょっぱさ共に控えめの素朴な味が好ましいのに加え、食感がすこぶるよい。一枚一枚の薄生地がしっかりとパリパリしているサクサク感と、生地の間の空気による食感に軽さのバランスが絶妙で、和菓子のように一個一個を大事に食べたくなる。だが瞬く間に一袋を食べてしまう。そして腹持ちもよいようだ。




さて、ウェブサイトを探検していたら“パナデリア”とはスペイン語でベーカリーを意味するものだった。つまりパナデリア・パントーヤとはパントーヤ・ベーカリーという意味であった。そのパントーヤ・ベーカリーの歴史も見つけることができた。1950年にマニラの南の小さな町にアウレリオとセリンダのパントーヤ夫妻が自身の先祖の家を訪ねた際に、裏庭に古い窯を見つけたことがベーカリーを始めるきっかけとなったのだそうだ。今では規模を広げてフィリピン内にいくつも店舗があるそうだ。なのでおそらく肖像画はアウレリオ・パントーヤ氏のものだろう。しかし日本人からすると、“パントーヤ”という名字の方もベーカリーを想起させる。日本で言うところの“イナダ米穀店”や“ホンダ書店”“カミナガ理容室”のような響きを感じるのは筆者だけだろうか。

魚肉練りもの考

2024-02-19 11:45:51 | 食材
魚肉練りもの考とは、ベイエリアのアジア系スーパーで手に入る“魚肉練りもの”に関する考察である。2024年2月の似非30代独身日本式サラリーマンの夜はもっぱら鍋物である。魚肉練りもの、つまり魚のすり身を加熱によりゲル化した食品は安価であるし、保存もきくようだし、鍋でグツグツして熱々を頬張るとなかなか幸せになるので、筆者は重宝している。それにベイエリア各所のアジア系スーパーにはそれぞれ異なった練り物が売られているのが興味深く、中には残念な代物もあったりして、単調な生活にちょっとした冒険を与えてくれる。今回はその記録だ。今年はこういった単純な生活の記録に力を入れていきたい。


この考察は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①マリーナ・スーパーのフィッシュボールミックス
マリーナ・スーパーマーケットは中華系・ベトナム系のスーパーで、筆者がベイ・エリアで最も重宝している。ここの魚肉練りものは、精肉コーナーと野菜コーナーの境目のモツ肉や鮭のアラなどの安価な雑肉が置かれた一角にあって、プラスチックトレイにラップされた状態で置かれている。その中で複数の練り物団子が入った“フィッシュボールミックス”が筆者のお気に入りである。単純な白身魚の団子や茸が練り込まれたもの、それにオレンジ色に着色された表面にカニカマがこびり付いたものなどがミックスされていて嬉しい。ほどよい弾力と粘りを持ち、シンプルな塩味が優しい。シンガポール産との記載がある。そういえばタイスキでにもこういった魚団子がプカプカ浮いていていた。東南アジアの魚肉練り物は日本人に合うように感じる。




②パシフィック・スーパーのさつま揚げ風練り物
フィリピン系のスーパーのパシフィックにも魚肉練り物がある。ここでも魚肉風練りものは臓物肉のコーナーに置かれている。アジア人にとって、魚肉練り物とは臓物肉と同じカテゴリーなのか、はたまた調理用途が同じなのか、今のところ不明である。ここで売られている練り物は素揚げにされていて、ちょうど日本のさつま揚げ(西日本では天ぷら)のようなきつね色の表面をしているので手に取りやすい。かたちは丸いもの、平たいハンペン状のもの、そして棒状のものがあるが、かたち以外には違いがないようだ。言い忘れていたが、そもそもこれらの米国の魚肉練り物には内容物の詳細が記載さられておらず、単に“フィッシュ・ボール“と書かれているだけという怖さがある。このさつま揚げ風フィッシュボールも鍋でグツグツすれば、ちょうどおでんのタネのようにクタっとしつつも弾力を残し、美味ではあるのだが、ニンニクが強く効いているのが特徴で、たくさん食べていると食傷気味になる。そう、フィリピン人はニンニクが大好きなのである。



③同じくパシフィック・スーパーの冷凍台湾製魚肉団子
サウス・サンフランシスコ市に移ってきた筆者にとってはパシフィック・スーパーが最もアクセスのよいアジアンスーパーなので、自然と訪ねる頻度が多くなる。ある日冷凍コーナーを物色していると、“台湾製”と銘打った白身魚の肉団子を発見したのだ。小さな俵型の可愛らしい魚団子がパックにギッシリ入っている。 “日本からも美食ツアーがあるほどの台湾なので、きっと美味しい魚団子に違いない“と思い購入した。ウキウキで持ち帰り、さっそく鍋に放り込んで、煮立ったところで頬張ると、確かに弾力が強くて幸せな食感だ。だが、噛むと中からトロリと黄色いペースト状のものが出てきて、これが妙に甘くて気持ちが悪くがっかりした。先の大戦前までは同じ大日本帝国民であったとは思えないほどの文化の壁を感じたのだった。



④韓国系スーパー、Hマートで売られる魚練り物
サン・フランシスコ市南部にある韓国系Hマートへ行ってみると、ここにも魚肉加工物が沢山ある。どうやらこれらの加工品は店内で作られているようだ。中年女性店員が、できたてと思われるパックされた魚肉加工品をカートに載せてどんどん運んでくる。色やかたちの異なる数種類の練り製品があったが、筆者は赤く色づけされた小さなソーセージ状の練り製品が気になったので購入してみたのだった。そう、似非30代独身日本式サラリーマンはいつでもソーセージに憧れがある。しかし食べてみると、独特な香りが息苦しく、筆者には大変にむつかしい味であった。着色料なのか、薬味なのか、何の香りなのか不明で、目下調査中である。ここでもまた、先の大戦前までは同じ大日本帝国民であったとは思えないほどの文化の壁を感じるのだった。



さて、大戦といえば2024年2月現在、 “第三次世界大戦は既に始まっている”と宣う人まで見られるようになった。2022年に始まったウクライナ紛争に続いてアラビア半島近辺でも争いが始まり、大統領選を控えたアメリカは内戦状況に近いという話だ。確かに過去二回の大戦も、“はい、それでは今から世界大戦を始めます。”などと誰かが宣言したのではなく、うっすらとだんだんと始まっていったのだろうから、始まっているといえば始まっているのかも知れない。だが悲しいことに似非30代独身日本式サラリーマンは世界情勢に関しては圧倒的に無力で、ただただ世界の魚肉練り物を食べるだけである。

マリーナ・スーパーで買ってきた牡蠣の豪快鍋を食べる喜び

2024-01-07 11:28:58 | 食材
マリーナ・スーパーで買ってきた牡蠣の豪快鍋を食べる喜びとは、マリーナ・スーパーで買ってきた牡蠣を鍋に放り込んでグツグツし、その殻蓋をこじ開けて食べる行為の喜びを言う。“鍋の季節である。鍋は旨い。鍋があるから冬は好きだ。だから岩谷産業(本社は大阪)には足を向けて眠れない”そんな日本人は少なくないはずである。似非30代独身日本式サラリーマンであっても鍋は好きだ。普段は“このまま死にたい” と思うほど孤独なのに、イワタニの五徳に小ぶりな土鍋を置いてグツグツさせ、クタクタになった野菜をつついて熱燗を飲むと、 “このまま死んでもいい” と思うほど幸せになる。今回はそれに牡蠣を加えて幸福感を倍増させる企画である。


この鍋に関する情報は以下のとおりだ。参考になると嬉しい。


①アジア系スーパーにある牡蠣
北米のアジア・スーパーには生け簀があり、そこで生きた牡蠣が売られている。筆者の北米生活は10年近くになるというのに、恥ずかしながらそれを購入したことがなかった。それは何だかイロイロと怖いからである。奴らはいつでもアジア・スーパーの生け簀にいる。なので賞味期限が不明だし、天然なのか養殖なのかも不明である。それに何故こんな小さな生け簀で平気で生きていられるのかも不明で怖い。それに日本のように“生食用”“加熱用”とはっきりとした調理方法の指定がないのも怖い。しかし、普段は孤独で“このまま死にたい”と思っているのに、一体何を怖がっているのだろうと、とある土曜日に思ったのだった。そしてマリーナ・スーパーの生け簀に暮らす網袋に入った1ダースの牡蠣を買い物かごに入れたのだ。



②それは蓋つきの牡蠣
それは蓋つきの牡蠣である。手のひらサイズの大振りの牡蠣で迫力がある。米国の高めなシーフード・レストランで偶に出てくる無駄に高い小判サイズの牡蠣とは品種が異なるようだ。筆者は恥ずかしながら蓋つきの牡蠣を見るのは初めてであった。奴らはじっと蓋を閉じ、動かない。頑強に閉じられた殻と蓋からは強い意志を感じる。1ダースを一気に食べることは難しいので、とりあえず彼らを水を貯めたボールに入れ、冷蔵庫の中で保存することにした。


③蓋つきのまま鍋にぶち込む
日本のウェブサイトを見れば、日本の牡蠣は片栗粉や塩などを使って下処理をする必要があるようだ。だがせっかくの生きている牡蠣を“殺してから、洗ってから”食べるのは無粋というものだ。だいたい生で食べられる可能性が高い牡蠣なのである。であるからここでは適当に外側を水洗いしたらば、豪快に蓋つきのまま沸騰した土鍋へぶち込むことにした。残酷ではあるが、仕方がない。



④蓋つきのままの牡蠣鍋
煮えたぎった鍋に入れられた牡蠣は、ハマグリなどの二枚貝のように『グエー』とニンゲンに食べられるために大きく蓋を開くような真似はせず、粘り強く蓋を閉じている。そのため火が通ったのかどうかが判りにくい。それでも煮えるのに十分な時間が経ったと判断したら、鍋から取り出し小さな万能ナイフで蓋をこじ開けてみる(火傷に注意したい)。そうすると宝石のように光沢のある牡蠣が現れるのだ。蓋つきのために半ば蒸されたような状態になっているためだろうか、身が縮こまっておらず、“プリプリ”という擬態語はこのためにあるかのようだ。ポン酢をちょっとかけてむしゃぶりつく。まるでニンゲンに食べられるために生きてきたかのような濃厚な旨味が口中に広がり、映画タンポポの役所広司をまた思い出す。


マリーナ・スーパーで売られている牡蠣は1個1ドルなので、日本よりも安くてお買い得感がある。冷蔵庫のボールに入れた牡蠣は1週間ほど経っても様子は変わらずに、筆者は十分に牡蠣鍋を楽しむことができた。牡蠣はそのほとんどの生活で殻に閉じこもり、外の世界との間に頑強な蓋をしているようだ。筆者に食べられてしまった1ダースの網袋に入ったマリーナ・スーパーの生け簀の牡蠣共は、自身の周りに11体の仲間が居ることを知っていたのだろうか。翻って我々似非30代独身日本式サラリーマンはどうだろうか。実は似ているのかも知れない。ただしストレスにさらされるとすぐに『グエー』と諦めるところは、二枚貝の方に近い。

ナガラヤ

2023-12-14 12:26:38 | 食材
ナガラヤとは、フィリピン産の豆菓子である。デイリー・シティ市やコルマ市、そしてサウス・サンフランシスコ市などのサンフランシスコのすぐ南のエリアにはフィリピン系移民が多く、周辺にはフィリピン系のお店をよく見かける。それはかつて住んでいたサンノゼやサン・マテオ辺りにはない雰囲気なので、孤独で無趣味な似非30代独身日本式サラリーマンのよい退屈しのぎになっているというものだ。フィリピンといえば数年前に、ドゥテルテという大統領の強烈な政治が話題になっていたが、今はあまりニュースを聞かない。調べてみると彼は既に政界を引退し、今は娘さんが副大統領なのだそうだ。フィリピンの大統領任期は5年で、再選は禁止されているのだという。



この豆菓子の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①パシフィックスーパーのお菓子コーナー
ナガラヤを見つけたのはやはりフィリピン系スーパーのパシフィックスーパーである。このパシフィックスーパーマーケットは、一見したところでは他のアジア系スーパーと特に大きな違いを感じない(ピナパイタン・ミックスの回を参照のこと)。しかしお菓子のコーナーに立ち入ると少し様子が違い、『おやおや?』という気分になる。そう、フィリピンの公用語であるタガログ語の筆記様式はラテン文字(ABC)なので(もともとは違ったようだが・・)、西洋と東洋が入り混じったようなデザインの袋菓子が並ぶ。これが固有の文字を持つ他のアジア諸国のお菓子の装丁に比べて雰囲気が違うのだ。



②ナガラヤを見つかる。
フィリピン人はスナック菓子が好きなようで、お菓子コーナーにはフィリピン直輸入と思われるスナック菓子がけっこうある。そしてどれを試そうかと眺めると、日本人ならすぐに“ナガラヤ”が目に止まる。何故ならナガラヤだけが日本語表記であるからだ。袋の正面にはでかでかとカタカナで“ナガラヤ”と書いてある。手のひらサイズより少し大きいその袋を手に取ってよく見れば、それは砂糖でコーティングしたピーナツ菓子である。筆者は『またか!』と絶句した。読者諸氏は覚えておられるだろうか。同様の菓子が日系移民のヨシゲイ・ナカタニ氏によりメキシコで開発されて“ジャパニーズスタイル”のお菓子として現地で一般化している(タリーン~コーティッド・ピーナッツ の回参照のこと)。筆者はすぐさまこのナガラヤを購入した。




③ナガラヤを買って食べる
ナガラヤはたいていのフィリピン系スナック菓子と同様に、オリジナル味に加えてアドボ(フィリピンの家庭料理で酢や醤油やニンニクでマリネした肉や魚のこと)味やガーリック味、スパイシー・ガーリック味などの種類がある。どれも旨いがニンニクが強めでたくさん食べると食傷気味になるので、基本はオリジナル味をお勧めしたい(フィリピンの人はニンニクがたいそう好きなようだ)。オリジナルのナガラヤは黄色い袋だ。これが甘じょっぱいコーティングとカリカリとした食感が絶妙で、たいへんにおいしい。間食用にもよいし、酒のつまみにもなれる。最近の筆者は職場でこいつをポリポリと頬張って昼食にしている。




このナガラヤは、フィリピンではかなりメジャーなスナック菓子のようだ。フィリピンはスペイン、アメリカ、日本に立て続けに占領された苦しい歴史を持つ(国名もスペイン国王からとったもの)。そのためナガラヤは日本の植民地時代の産物なのかと調べると、そうではないようだ。売り出されたのは1968年と比較的新しい。名前の由来を根気よく調べていくと“ナガラヤという名前は、日本の技術パートナーの名前から採用した”との一文が見つかった。発売当初にはカバヤ食品が関わっていたとの記載もあった。だがカバヤ食品さんのウェブサイトからはその情報は見つからなかった。ここまでメジャーな商品ならば、『実は開発には○○が関わった!!』などのサイトがあってもいいものを、全く出てこない。2023年も終わろうとしている。だが世界にはまだまだ、調べても分からないことの方が多いのである。

鍛高譚

2023-11-30 13:56:31 | 食材
鍛高譚とはしそ焼酎である。日本酒は“SAKE(発音はサキ)”という呼称で、特に2020年代から北米に暮らす人々にいっそう普及し始めている(ように見える)、という内容は本ブログで再三述べてきた。焼酎もまた少しずつ目にするようになったが、2023年現在ではカリフォルニア州でも販売はアジア系スーパーに限られおり、白人やヒスパニックの人々にはあまり知られていない、もしくは受け入れられていないように見える。筆者はこのしそ焼酎をカリフォルニアで見つけた。実は学生時分以来飲んでいなかったので、懐かしさのあまり手に取った。2023年の11月、日本では池田大作さんがついにこの世を去ったという報道があり、アンタッチャブルなざわつきがある。


この焼酎の思い出は以下の通りだ、参考になればよいのだが。



①北米で鍛高譚を発見
筆者が鍛高譚を見つけたのはサンノゼ市の中華系スーパー、マリーナ・スーパーマーケットである。 “あ、鍛高譚だ”筆者は懐かしい気持ちになったと共に、駐在員系日本人が訪れることの少ないこの中華系スーパーで、鍛高譚が売られていることに驚きを感じたのだ(筆者の注意力不足かも知れないが、これまで日本スーパーでは見かけたことがなかった)。720ml瓶が30ドル弱と、かなり強気な価格設定である。安物買いを信条としている似非30代独身日本式サラリーマンだが、約20年ぶり(?!)の劇的な再会に感動し、ついつい手に取った。



②鍛高譚の思い出
それは筆者が大学生になったばかりの頃である。高校時代の友人C君が筆者の下宿(コスモビル)を訪ねてきたので、当時近くに住んでいたカミヤと3人で部屋で随分酔っぱらったのだ。そしてさらに酒を追加購入しようと近くのサークルKにくりだしたときに、C君が“あ、タンタカタンがある!”と騒ぎ出し、“タンタカタンは梅干し割が旨いのだ”と講釈を垂れ、タンタカタン一瓶と梅干一パックを購入した。C君はコップの中に梅干しをたくさん放り込み、割り箸でグチュグチュと梅干を下品に潰し、それにお湯とタンタカタンを注いで飲んでいた。その夜の記憶はそれ以外にない。翌日流しにグチュグチュになった梅干しが大量に残っていた不快な記憶がある。




③鍛高譚
調べてみると、実はこの酒は北海道の大雪山麓の村で、村おこしの一環で平成になってから開発された焼酎なのだそうだ。どうりでラベルのデザインには九州の男らしい焼酎瓶とは異なる、どことなく80年代シティ・ポップ(角松敏生風)な雰囲気がある。このラベルに描かれた鰈のような魚と大雪山と紫蘇は、その村の伝説がモチーフになっているそうだ。そして、この“タンタカ”とはアイヌ語で鰈のことなのだそうだ。そんな鍛高譚が海を越えて北米の中華系スーパーで売られるほどになっているのは、なんともロマンのある話である。




実はあのとき初めて飲んだ鍛高譚を、筆者は“旨い”と思えなかった。紫蘇の香りの良さを理解しなかったのだ。だが改めてサンノゼの下宿で飲んでみるとこれがたいへんに旨い。ほんのりとした紫蘇の香りが大変に心地よく、食事にとてもよく合う。お湯で割って暖かく、ロックでも飲みやすい。そのため割高なこの焼酎をちょいちょい購入していた。それは去年のことである。つい最近、日本で就労ビザ更新を終え、帰路の羽田空港内のコンビニで『鍛高譚ソーダ割』の缶を見つけたのでまたびっくりし、すぐに購入した。サンフランシスコ行の飛行機が離陸し、シートベルトのサインが消えるとほぼ同時にカバンから鍛高譚ソーダ割を取り出して、チーズ鱈をつまみに飲んだ。C君ありがとう。