列車はゆっくりとアラスカの大自然の中を進んで行きます。
3.9%もの急勾配の坂をのぼります。
急カーブが多いため、ホワイトパスは必然的に
狭軌鉄道として建設されました。
幅10mの路盤の上に敷かれた二本のレールの間隔は91.4cm。
(鉄道の標準は143.5cm)
そのために建設費は安く抑えることができたそうです。
工事が着工されたのは1898年5月、
ホワイトパス&ユーコンルートは当時西半球で最北の鉄道でした。
上の写真は、修理工場です。
機関車その他の全車両を復元、修理、整備をします。
全行程178㎞の建設工事には、数知れない難問が
待ち受けていたに違いありません。
16度の狭角で曲がる崖っぷち、数多くの橋や木製橋脚の建設、
厳しい気候と困難な地形に100年以上前に工事に着手。
ビュキャナン・ロック
「ビュキャナンとアラスカへ」といううたい文句は、
70年以上も使われたそうです。
岩壁に書かれたサインは、1920年~1930年頃に
毎年デトロイトから訪れた「
ビュキャナンボーイズ観光団」が書いたものとか。
ブラック・クロス・ロック
1898年8月、爆破作業中の事故で100トンの花崗岩の
下敷きとなった二人の犠牲者を追悼する黒い十字架です。
(この工事全体で爆薬は450トンも使用されました)
カーブが多いので、乗車した列車の写真も撮れるのがうれしいです。
列車からも氷河を見ることができます。
可憐に花咲く高原植物も目を楽しませてくれるでしょう。
真冬ともなれば、マイナス50℃にもなるこの地で、
春の訪れを待ちわびる植物もあるのです。
夏の観光シーズンは、クルーズ船が入港すれば、
満員となる列車が何本も走っているようで、
遠くに車両を確認できました。
このルートには2つのトンネルがあります。
真冬の深雪の中で工事が進められ、
1899年2月20日873mのホワイトパス頂点に到達、
翌年の7月29日に開通しました。
(走り去る時間は短いものですが…)
重い荷物の積み過ぎの犠牲になった
3000頭もの馬たちが捨てられた場所もあるようです。
合わせて3万5千人もの人々がこの鉄道工事に携わり、
苦難と夢を分かち合ったのです。
英国からの資本、アメリカのエンジニアリング、
カナダの施工とが力を合わせて
可能になったものでした。
厳しい気候と困難な地形を克服したのです。
2013.7.31