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まるみのあっちこっち巡り

ー33,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

日本100名城 和歌山城

2018-07-07 00:41:43 | 日本100名城



紀伊徳川家の威光を示す巨城である和歌山城は、
和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの
虎伏山(とらふすやま)に立つ和歌山市のシンボル。

現在、城跡として現存しているのは、
最盛期の4分の1ほどの面積とか。







1935年国宝に指定されましたが、
1945年7月9日の和歌山大空襲で焼失。

戦後市民からの要望もあり、
1958年に鉄筋コンクリート造に復元され、
連立式天守群が甦りました。

紀伊を平定した羽柴秀吉に命じられ、
弟の秀長が築城を開始したのが1585年。
翌年秀長の城代桑山重晴が入城し、
関ヶ原合戦には浅野幸長が入り、城は大拡張。

1619年徳川家康の十男頼宣が入封し、
御三家の格式にかなう大城郭へと拡張します。







時代によって石の種類や石垣の積み方などが異なり、
野面積・打込接・切込接へと変化しています。
豊臣・浅野時代の石垣には刻印された
石垣石があるのも特徴です。

別名:竹垣城、虎伏城
種別:平山城
築城年:1585年、1600年、1619年
天守構造:層塔型 三重三階 鉄筋コンクリート造
築城者:羽柴(豊臣)秀長、浅野幸長、徳川頼宣

和歌山県和歌山市一番丁3

2008.4.29
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日本100名城 松前城

2017-01-16 00:23:42 | 日本100名城



幕末に築かれた日本式の最後の城が松前城、
北海道内で唯一の日本式城郭です。
1849年、幕府は海防のために
松前氏に築城を命じました。







松前氏の居館があった地に城を完成したのが1854年。
この時初めて三重の天守があげられました。
国宝であった天守ですが、昭和24年焼失、
鉄筋コンクリート造に再建されました。







天守は、松前城資料館になっています。







「松前屏風」は、松前出身の絵師、
龍円斉児玉貞良によって宝暦年間(1751~1763)に、
松前城下の秋を描いたものと言われています。







城の中心から海岸まではあまり距離がなかったので、
大規模な城郭とすることはできなかったそうです。
ここから荒れた海を眺め、にっぽん丸の
初寄港も叶わないと納得しました。

本丸脇にある櫓門は、築城時から現存する
国の重要文化財となっています。







ロシア戦の砲撃に耐えられるように、
中に硬いケヤキ板を仕込んで備えとしましたが、
戊辰戦争における攻防戦の末に落城、
石垣にはその当時の弾痕が今も残っています。

別名:福山城
種別:平山城
築城年:1850年
天守構造:層塔型3重3階(1960年RC造外観復元)
築城者:松前崇広

北海道松前郡松前町松城144

2016.5.5
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日本100名城 五稜郭

2015-07-29 20:36:44 | 日本100名城


江戸幕府が箱館奉行所の防備を固める目的で、
1857年に築造を始め、1864年に完成させた星型をした
西洋式の土塁(城郭)となっています。

蘭学を学んだ武田斐三郎氏が、フランス人から
贈られた書物を参考にしてヨーロッパの
「城郭都市」をモデルに要塞を考案したそうです。





星型の城の起源は16世紀頃のヨーロッパで、
防御側の銃の死角を少なくする構造として考案されました。

外国勢との戦いの舞台にはなりませんでしたが、
旧幕府脱走軍と新政府軍との間で繰り広げられた
「箱館戦争」の激戦の舞台となりました。





石垣の最上部には敵の侵入を防ぐため、
庇のような刎出がつくられています。

他の城では見られない景観を楽しめます。

北海道函館市五稜郭町43-9

2014.8.1
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日本100名城 川越城

2015-06-28 20:31:47 | 日本100名城


幕閣重鎮が城主となった江戸背後の拠点城郭の川越城。

江戸の「大手」は小田原城、
「搦手」は川越城といわれるほど
江戸にとっては重要な城でした。

江戸時代には徳川家の譜代大名が
代々城主となったのです。

1848年に建築された玄関は規模が大きく、
屋根は銅版葺の大唐破風、
東日本唯一の本丸御殿遺構です。





家老達が話し合う様子が再現されています。
御殿内部には広間なで6部屋が残り、
家老詰め所は移築復元されました。





大改修が行われたのは松平信綱のときで、
城域を拡大して近世城郭に変貌、城下町を整備。
遺稿は少ないですが、城下町の佇まいは今も残ります。

別名:初雁城
種別:平城
築城年代:1457年、1651年
築城者:太田道真・道灌、松平信綱

埼玉県川越市郭町2-13-1

2013.11.30
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日本100名城 岩国城

2014-07-23 19:22:31 | 日本100名城



城山山頂にそびえる桃山風南蛮造り
白亜の天守閣が印象的です。





1608年初代藩主吉川広家により岩国城は完成。
しかし、徳川幕府の一国一城の令により
わずか7年で破却の運命に。





川を渡る龍のごとくの錦帯橋。
居館と城下はこの橋で結ばれていました。





周防なる いわくに山を こえむ日は
たむけよくせよ あらきその道
(万葉集四より)

別名:横山城
種別:山城(麓に居館)
築城年代:1608年
築城者:吉川広家
構造:四重六階、鉄筋コンクリート

山口県岩国市横山3

2013.10.12
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日本100名城 二条城

2014-07-20 18:55:57 | 日本100名城


徳川幕府の開府と終焉の舞台となる二条城。

総面積約8万3400坪もの広大な敷地に本丸庭園、
二の丸庭園、清流園と3つの庭園があります。

1603年、徳川家康が、京都御所の守護と
上洛の際の宿泊所として造営し、
1626年、3代将軍家光が二条城を完成。

1867年15代将軍慶喜の大政奉還により、
朝廷のものとなり、1884年に離宮、
1939年に京都市に下賜、
1994年世界遺産にも登録されました。





特別名勝の二の丸庭園は、小堀遠州の作と伝えられています。
御殿に「蘇鉄の間」と呼ばれる部屋があるように
西洋のソテツが大胆に植栽に使われていることも象徴的。

天皇の行幸を仰いだ絢爛豪華な京の城です。

種別:平城
築城年代:1603年、1626年
築城者:徳川家康、徳川家光
構造:天守台のみ残る

京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

訪問日2010.12.18他
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日本100名城 広島城

2013-06-06 11:23:31 | 日本100名城


堀割の中にそびえる鯉城とも呼ばれる広島城。
毛利輝元氏が瀬戸内の交通の要所太田川の三角州に
城下町を含めて築城しました。

昭和33年復元の五層の天守閣がそびえています。





出撃の拠点である馬出しの機能を持ち、
本丸の正面を守る役割を果たしていた二の丸、
御門橋・表御門も平成6年までに復元されました。





水面に映える天守閣も美しいです。





関が原の戦いで毛利氏は萩へと移され、
代わって福島正則氏が入りましたが、
幕府に無断で石垣を修築したため改易、
浅野氏が十二代にわたって広島城主を勤めています。





昭和20年の原子爆弾により、
城内の建造物は全て壊滅しました。





天守閣の内部は歴史博物館になっています。
入ってみましょう。





武家屋敷の一部を再現しています。





よろいやかぶとを着用体験できるコーナーもあります。
内部の写真を撮れるのはごく一部です。





江戸時代には浅野氏45万石の城でした。





五層五階の天守からの眺望を楽しみます。





天守から広島市を一望





満々と水をたたえた内堀、再建が進んだ広島城。
往時の巨城の姿を甦らせつつあります。

別名:鯉城(りじょう)
種別:平城
築城:1589年
築城者:毛利輝元
構造:五層五階 鉄筋コンクリート

広島市中区基町21-1

2013.4.29
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日本100名城 吉野ヶ里

2012-11-11 20:45:14 | 日本100名城



吉野ヶ里遺跡は、700年間も続く弥生時代の集落の跡。

日本の城の起源ともされる吉野ヶ里は、
日本100名城の一つに数えられています。

「城」がなぜ生まれたのかを考えさせられる遺跡です。





広く稲作が行われるようになった弥生時代。
水の権利などをめぐって戦いが起きるようになり、
外敵から集落を守るために、周囲に濠を巡らした
「環濠集落」が作られるようになったそうです。

これが城のルーツと考えられているのです。





吉野ヶ里を治めていた歴代の王の墓と考えられています。

弥生時代中期、紀元前2世紀のもので
見つかった甕棺に玉や剣が一緒に収められていました。





祀堂は、先祖の霊に毎日お供え物を捧げ、
お祈りをするための施設と考えられています。





北内郭は、神聖で最も重要な場所と考えられています。

田植えや稲刈りの日取り、お祭の日を決めたり、
大きな「市」を開く日を決めるなど
儀礼的な話し合いと祖先への祀りが行われていました。





まっすぐ入ってこられないような構造をし、
周囲を囲む2重の環濠となっています。





主祭殿の2階では、吉野ヶ里のクニの重要な会議が開催中。

吉野ヶ里の王やリーダー、周辺の村々の長が、
集まっているようです。





この建物が主祭殿、
3階は祖先の霊のお告げを聞く祈りが行われ、
結果は従者により、2階で会議中の
王やリーダーに伝えられます。





東祭殿は、太陽の動きを知るための建物。
季節ごとのまつりがおこなわれていたと考えられています。


 


南内郭は、王やリーダー層の人々が住んでいた場所。

当時としては極めて貴重な鉄製品が数多く見つけられたり、
物見やぐらや竪穴住居が中心のためにそう考えられています。





竪穴住居が王の家です。

屋根は炉の煙をぬく穴があり、煙でいぶされた屋根は丈夫で長持ち、
夏は涼しく冬は暖かい半地下、まわりに溝があるので、
雨が降っても水が入りにくい工夫もされています。





弥生時代のファッション、オシャレな感じがします。

今もチュニックの流行は続いていますが、
弥生時代の王族の服装と変わらないのですよね。

城地種類:平城(環濠集落)
築城年代:弥生時代

吉野ヶ里歴史公園

佐賀県吉野ヶ里町田手1843

2012.3.3
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日本100名城 平戸城

2012-05-10 00:45:12 | 日本100名城

1599年、松浦鎮信は三方を平戸瀬戸に囲まれた
亀岡山に「日の岳城」を築きましたが
徳川家康は、豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に
疑いの目を向けたことにより自ら焼却したといいます。

平戸城の再築が開始されたのが1704年
1718年に完成しましたが、明治維新後廃城となり
1962年復元されました。





北虎口門は、1706年建造。

城内に現存する唯一の木造遺稿です。





こちらにもお雛様が仲良く並んでいます。





城のシンボルの天守閣ですが、
本来はなかったものを
天守として築造しています。





天守閣の内部では、平戸の城下の時代をしのばせる
武具や美術品を展示しています。

明治天皇の御生母は、34代藩主の孫娘ということから
明治天皇御七夜着や御行器などがあります。





平戸市内の小学校に伝わる雛人形が飾られていました。





最上閣からは平戸湾が眼下に。





平戸港や平戸オランダ商館を望むこともできます。





海城ならではの船着場なども設けられています。





模擬天守とともに築造された懐柔櫓。

小高い半島の上にそびえる平戸城
平戸瀬戸の急潮、黒子島、壱岐の島をも一望できます。

松浦党・海賊大名として勇名を馳せた松浦氏らしい
城といえるのかもしれません。

別名:亀岡城、日の岳城
種別:平山城
築城年代:1704年
築城者:松浦棟
構造:三重五階、鉄筋コンクリート

長崎県平戸市岩の上町1458

2012.3.4
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日本100名城 佐賀城

2012-03-30 00:11:07 | 日本100名城

1838年に建立された鯱の門をくぐって
本丸御殿へ向かいます。





屋根の両端に鯱が載ることからこう呼ばれています。





この鯱の門を除いて佐賀城は解体されましたが、
2004年に本丸御殿の一部が復元され、
「佐賀城本丸歴史館」として開館しました。





正面玄関は、藩主や幕府の使者などの
特別な人が利用するものでしたが、
現在は、歴史館の入り口で靴を脱いで入ります。





雅やかなお雛様が飾られています。

ここに飾られているのは真多呂人形です。

江戸時代から受け継がれた
木目込み人形の技法を引き継ぎ、
新たな創意工夫を加え独自の作風を
完成しているそうです。





「佐賀城下ひなまつり」
市内のあちこちで雛人形を展示しています。

NHKでも放映していたので、
写真を撮りたいと思いましたが、
時間が足りないようです。

それでも、子ども達にお茶に誘われたのでちょっと一服、
のどを潤したくなったところです。



佐賀藩36万石、260年もの長きにわたり、
安定した藩政が行われた鍋島氏の居城を見学しました。

今年は佐賀城築城400年です。

佐賀城本丸歴史館
佐賀市城内2-18-1

入館料は無料ですが、満足度に応じた
寄付をするようになっています。

2012.3.3
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日本100名城 徳島城跡

2010-11-21 13:47:18 | 日本100名城


阿波徳島藩25万石の徳島城跡。
豊臣秀吉から阿波国を与えられた
蜂須賀家政が築城しました。
阿波の青石の石垣に名残りを留めます。

日本100名城の一つですが、
天守閣は再建されていません。

園内にはかつて本丸が置かれた
標高61mの城山、徳島城博物館、
旧徳島城表御殿庭園があります。





桃山時代の名園の旧徳島城表御殿庭園が、
現在も当時のまま残り、国の名勝庭園に指定。
枯山水と池泉回遊式の2種の名庭が楽しめます。
吉野川特産の青石を配した美しい庭園です。

別名:ー
種別:平山城
築城者:蜂須賀家政
築城年:1586年
構造:ー

徳島県徳島市徳島町城内1-8

2010.5.2
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日本100名城 高松城

2010-11-11 00:12:42 | 日本100名城



高松城、別名玉藻城は、
日本三大水城の一つに数えられ、
天守閣を中心に周囲三方に
海水をたたえています。

瀬戸内の海に臨んで築かれた全国屈指の海城で、
水手御門は直接海に向けて開く、
海城独特の城門として全国唯一の現存例です。

枯山水式庭園も見事です。

別名:玉藻城
種別:平城(海城)
築城者:生駒親正
築城年:1588年
構造:天守台のみ残る

香川県高松市玉藻町2-1

2010.4.30
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日本100名城 丸亀城

2010-11-10 01:06:56 | 日本100名城



城の向こうに「扇の勾配」と呼ばれる
美しい曲線を描く高い石垣がそそり立ち、
3層の白亜の天守閣がそびえています。

城跡からの眺望は瀬戸内海から
讃岐平野まで360度です。

別名亀山城、国指定史跡となっています。





城の登り口から天守閣までは、
ややきつめの坂を約10分程歩きます。

天守は小ぶりですが、風格があります。

城山全体に石垣がよく残っており、
その高さは日本一!

1602年に築城され、廃城となりましたが
1642年に再建、京極氏によって完成されました。

別名:亀山城
種別:平山城
築城者:生駒親正、山崎家治
築城年:1642年
構造:展望型 三重三階 木造(現存)

香川県丸亀市一番丁

2010.5.1
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