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まるみのあっちこっち巡り

ー33,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

バルト三国 アレクソタスの展望台・カウナス城

2017-05-23 14:04:53 | 2016 バルト三国



リトアニア第二の都市カウナスは、
ソビエト連邦併合以前のリトアニアの首都であり、
リトアニアで唯一のハンザ同盟の古都で、
600年以上もの歴史がある街です。







リトアニアのほぼ中央に位置し、
ネムナス川とニャリス川の合流点にある
市の中心部は歴史的な町並で有名です。

このアレクソタスの展望台からも複雑な地形、
沢山の緑地があることがわかります。







学園都市でもあり、24の高等教育機関があり、
毎年4万人以上の学生が学ぶ、若さに満ちた街です。
バスケットボールの首都と言われるほどで、
有名な選手を生んでいるのだそうです。







急な丘の斜面に作られたケーブルカーは、
ヨーロッパで最も古いケーブルカーの
内の一つとされています。







ケーブルカーの速度は秒速2メートル、
一度に36人の乗客を運ぶことができるそうです。

このケーブルカーでカウナスの旧市街を一望できる
展望台に上ることができるわけですが、
残念なことに私達はバスで上って
来たので乗車してはいません。







カウナス城は、リトアニアで一番古い石で作られた城で、
13世紀にドイツ騎士団の侵攻に備えるために建造。
昔話では、ポナ女王の軍隊はカウナス城の
地下で消えてしまったと伝えられます。

ポーランド王、リトアニア大公であった
ジグムント1世の2番目の妃であるボナ女王は、
現在のポーランド料理の母といわれているとか。







さらに、16世紀にはカウナス城に刑務所があり、
城は未だに成仏できない囚人の霊に
取り憑かれているとの話もあるようです。







ワオ~!!
怖くて動けなくなっちゃったのかも

リトアニア・カウナス

2016.9.22
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バルト三国 杉原記念館(旧日本領事館)

2017-05-19 13:56:59 | 2016 バルト三国



1939年9月第二次世界大戦が勃発、
ドイツと旧ソ連はポーランドを占領し、
約12000人のポーランド系ユダヤ人は当時まだ
独立国であったリトアニアに避難しました。

その年の11月23日、杉原千畝領事代理は、
カウナスに日本領事館を開設しました。

ここが、のちに何千という第二次世界大戦の
亡命者にとって新しい人生の門となる場所です。
(パンフレットより)







1999年にリトアニアとベルギーの知識人と実業家により、
設立された「杉原ー命の外交官基金」は、
何千ものユダヤ人を救い、市民社会と寛容さという
観念を広めた杉原千畝氏とヤン・ツバルテンディク氏の記憶を
不朽にする目的で設立されました。







杉原千畝氏の紹介映像を先に見ることになりますが、
日本の杉原千畝記念館が制作したもので、既に承知している内容、
この時間を利用して展示物などを鑑賞したかったと思います。
(ツアーの不便さを感じました







展示物をゆっくりと読む時間はありませんでした。
日本の旅行会社のツアーがこの狭い記念館に集中し、
長蛇の列の化粧室に並んだり、お土産を購入したためです。

前年の12月に唐沢寿明主演の映画「杉原千畝」の公開もあって
バルト三国のツアーは人気を博したようです。
ちなみにロケは全てポーランドで行われており、
こちらで撮影があったわけではありません。







杉原千畝氏の執務室です。

ナチスの迫害を恐れ、日本を通過するビザを求め、
ユダヤ難民が1940年7月領事館を訪れるようになりました。

当時日独伊防共協定を結んでいたため、
日本政府が許可するはずもなく、杉原氏は
「命のビザ」を発行することを決断するのです。
それは苦渋に満ちたものでした。







ソ連のポーランド侵攻でソ連領になっていたヴィリニュス。
それを一旦リトアニアに戻した時期に
多くのポーランド系ユダヤ人がヴィリニュスに移動、
各国の大使館が集まるカウナスを目指しました。

ナチスやソ連に捕まる前にどこかの国のビザを取得し、
安全なところへ逃れる、それが彼らが生き延びる
唯一の手段だったのです。







ペンが折れても、出発の汽車でも書き続けた貴重なビザ。
その日本通過ビザを手に受け入れ国を目指したユダヤ難民は、
モスクワ、ウラジボストークを経て海路、敦賀へと逃避行。

最終的には多くの難民が新天地へ渡航できたのですが、
杉原氏の意志を繋ぎ、強い絆でリレーした
日本人がいたからできたことなのです。







ここまで来たからには記念品を購入。
スタッフの日本語の美しいことといったら感激です。
リトアニアでは、中学校から日本語を選択できるとか。
(目的は日本のサブカルチャーのようですが・・・)







ご家族と共にこの領事館で過ごされた杉原氏。
「私達はどんな危険なところでもパパについていきます」
幸子夫人の支えも大きかったことでしょう。







杉原千畝氏のことを初めて知ったのは、
テレビ「知っているつもり」で放送された1991年。

杉原氏の功績は讃えられるべきものが多いのですが、
その功績を日本政府が長い間封印し続けたため、
私達は知ることさえできなかったのです。

彼らは人間で、助けが必要だった。
喜ばしいことは、自分のなかにその助けを与える
決定する力を見出したことである。

(パンフレットより)

リトアニア・カウナス

2016.9.22
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バルト三国 2日目の食事(ヴィルニュス)

2017-05-18 12:10:02 | 2016 バルト三国



バルト三国の料理の基本は、肉とじゃが芋とライ麦パン。
季節の野菜や乳製品、キノコなどが加わり、
素朴なヨーロッパの料理が出来上がり。

朝食はホテルのビュッフェ。
オートミールは、美味しいものではないので、
盛り付けて持ってきたことを後悔した一品。
誰も盛らないものは避けるべきでした。







ランチは、ヴィルニュスの旧市街の観光に便利な
ネリンガホテルでピアノ演奏を
聴きながらいただきます。







一品目は、スープ。







メインは、コルドゥナイ(リトアニア風水餃子)
食べても食べても減っていかないという印象。
醤油ベースのタレかポン酢があれば、
もう少し食べられたかも。







デザートは、甘いものが苦手な私にとっては、
残酷すぎるものでした。

美食の船である「にっぽん丸」のクルーズが、
続いていたこともあって、その落差に愕然。
(1泊当たりの料金が違いますが…)







ディナーもホテルのビュッフェ。
日程とコース内容で決めてしまったツアーに
不安を覚えた夜でした。







料金の高いツアーを選べば、有名店での食事になったり、
食べきれないほどの美味しい料理が並んだりします。
リーズナブルなので期待はしていませんでしたが、
ここまでとは・・・。

リトアニア・ヴィルニュス

2016.9.21
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バルト三国 ヴィルニュス杉原桜公園

2017-05-14 12:57:21 | 2016 バルト三国



ホテルに戻ったのは午後5時頃、
ディナーまで2時間程あり、
近くを散策することにしました。







ホテルに近いスーパーでショッピングだけでは
もったいないロケーションなのです。







ここには杉原千畝氏の記念碑があります。

2007年5月26日に天皇皇后両陛下は、
歓迎式典ののち、大統領の案内でここを訪れ、
大統領の説明に耳を傾けられたそうです。







記念碑に埋め込まれたビザのプレートや
日本語で書かれた説明文を
熱心に見入っていられたとか。







6千人の命を救ったともいわれる杉原千畝氏。
大統領の挨拶の中でも千畝氏に触れられ、
「人道的な功績を残したことで、常にリトアニア国民の
尊敬を集めています」と語られたのだそうです。







春になる小さいながらも桜並木となるとか。
母校である早稲田大学によって
杉原氏の生誕100周年を
記念して植樹されました。







こちらにも記念碑があります。







広島の被爆敷石の碑は、戦争の無い世界の実現、
平和の意義を再考するものでした。







杉原氏が『命のビザ』を発行したのは、
リトアニア第二の都市カウナスで、
記念館を訪れることが
この旅の一番の目的でした。







ヴィリニュスの中心を流れるネリス川沿いの
通称『杉原桜公園』と呼ばれているようですが、
ヴィリニュスを訪れる機会があれば、
足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

リトアニア・ヴィルニュス

2016.9.21
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バルト三国 トラカイ(リトアニア)

2017-05-12 00:40:25 | 2016 バルト三国



トラカイは、ヴィリニュスに移る前に
リトアニアの首都がおかれていた
美しい観光地です。







30以上の湖と森に囲まれ、自然公園として
景観も保護されているようです。







ヴィリニュスからの距離も約30㎞、
バスで約50分程です。







こうしたお土産もヴィリニュスよりも安いので、
こちらでも追加で購入してしまいました。







こちらも1€
迷わず購入すれば良かったと思います。







このトラカイは、少数民族のカライメの故郷。

彼らは15世紀初めにヴィタウタス大公によって
クリミアから傭兵として連れてこられた
トルコ語系の人々で、トラカイを中心に200人程が
民俗性を守りながら暮らしているのだそうです。







通りに面して3つの窓が並ぶカライメの
伝統的住居が今もいくつも
見られるのだそうですが、
探してみる時間はありませんでした。







そして、カライメにはキビナイという
釜で焼いたパイの民族料理があり、
そのキビナイを食べさせる
カフェもたくさんあるようです。







自由時間がほとんどないツアーでは、
残念ながら食べることはできませんでした。







言葉に不自由することなく、有名な観光地へ
直行してくれるツアーは楽ですが、
思い通りにはいかないことも多々あります。

リトアニア・トラカイ

2016.9.21
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バルト三国 トラカイ城

2017-05-10 14:15:12 | 2016 バルト三国



ガリベ湖畔に建つ赤レンガの要塞トラカイ城。
まるで絵本のページにあるような城ですが、
14世紀後半にチュートン騎士団の侵略を防ぎ、
また祭事などを行うために建設されたものです。







橋を渡ってトラカイ城へ







銃眼などを見ると戦争のために
造られた城だとわかります。







トラカイ城の本丸は、
博物館として利用されています。







中世リトアニアの君主ケストゥティス公と
息子のヴィタウタス大公によって建設されたトラカイ城は、
ヴィタウタス大公の死後、権力がポーランド側に移ると
城は荒れて廃墟となってしまいました。







1961年から復元が始められ、1987年に
15世紀当時の姿を取り戻したのだそうです。







公爵宮殿中庭にある、木製の回廊







ケストゥティス公は自身の住居と宝物庫を、
このトラカイ城へ移動させましたが、
1377年に行われたドイツ騎士団による攻撃で、
城は大きな損傷に見舞われてしまいます。







礼拝所も作られています。







博物館となっている内部の展示を見ても
複雑な歴史を物語っていました。







ケストゥティス公は暗殺の後、リトアニア大公の地位をめぐり、
権力闘争が始まるなど血生臭い争いが起こったのも城。
こうして捕らえられた騎士もいたことでしょう。

リトアニア・トラカイ

2016.9.21
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バルト三国 ヴィルニュスの旧市街を歩いて

2017-05-09 00:11:43 | 2016 バルト三国



15世紀末に建てられた後期ゴシック様式の聖アンナ教会。
33種類もの異なった形のレンガが使われ、
その曲線的美しさはフランボワイアン(火焔式)
ゴシック建築の傑作と言われているそうです。

ナポレオンがこの教会を見て
「わが手に収めてフランスに持ち帰りたい」
と語った有名な話も残っています。







15世紀半ばにヴィルニュスに来たフランシスコ会により
創設されたベルナルティン教会と修道院。
内部はソ連時代に崩壊され、
現在は修復作業が進められています。

ヴィルニュスの旧市街は、
東ヨーロッパでは最も広い旧市街の一つですが、
旧市街を走る公共交通もほとんどなく
自分の足が頼りのようです。







石畳の道を歩くので、
歩きやすい靴であることが鉄則。







カラフルな家並みが続きます。







伝統的な職人の工房と若手クリエイターの店が、
同じ通りに軒を連ねています。

バルト三国は北へいくほど物価が高くなると聞いており、
リトアニアでお土産を物色したのですが、
残念ながら好みとはちょっと違うようです。







日本はまだまだ暑かった9月でしたが、
朝晩は冷え込むリトアニア、
冬物のコートを羽織ってます。







子ども達の服装は、カラフルなものでした。







緑が多く温和な雰囲気を漂わせているヴィルニュスの街。
教会の多さにも驚きました。
街を歩いて感じる穏やかな雰囲気は、
誠実な信仰心が反映されているからなのでしょう。

「人間の鎖」で見せた武力にも屈しない強さも
リトアニアの人々は持っているのです。

リトアニア・ヴィルニュス

2016.9.21
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バルト三国 大聖堂(ヴィルニュス)

2017-05-07 07:35:14 | 2016 バルト三国



高い鐘楼を従えたギリシャ神殿を思わせる大聖堂は、
ヴィルニュスの中心に建つ、ヴィルニュスの
シンボルともされる主教座教会です。

鐘楼の高さは53m、基礎の部分は13世紀の
城壁の塔が使われているそうです。







様々な歴史の変遷を経て今日に至る大聖堂。

屋根の上の3体の聖人の像は、
聖スタニスラウス、
聖ヘレン、聖カジミエルです。







この場所にかつては神殿があったといわれますが、
最初の教会は、13世紀に十字軍騎士団の
圧力から逃れるためキリスト教を受け入れた
ミンダウガス王により建てらたのが起源。







その後、何度も立て直されてきた教会ですが、
現在のクラッシック様式の建築は、
18世紀の大改築のよるものです。







大聖堂の鐘楼近くにある「奇蹟」と書かれた敷石。
1989年の「人間の鎖」のメモリアル。

ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国で、
独立運動の一環としておよそ200万人が参加して手をつなぎ、
リトアニア、エストニア、ラトヴィアの3つの共和国を結び、
約600km以上の人間の鎖を形成したのです。







このメモリアルの上で時計回りに3回、
回りながら願い事をすると叶うと言われているとか。
まるみも順番を待ってトライしてみました。

今年、埼玉西武ライオンズが優勝したら
こちらでトライした価値があったというもの。

リトアニア・ヴィルニュス

2016.9.21
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バルト三国 夜明けの門(ヴィルニュス)

2017-05-06 07:37:49 | 2016 バルト三国



3つの十字架の丘からヴィルニュスの街を一望し、
夜明けの門へとやってきました。

1503年から1522年にかけて建造された
リトアニア大公国の城壁の一部です。







「夜明けの門」と呼ばれるようになったのは20世紀。
街に9つあった城門のうちこの門のみ現存し、
他の門はすべて18世紀末に
当局の指示によって壊されました。







16世紀、攻撃から街を守り旅行者を祝福することを目的に、
宗教的なモニュメントが門の内部に作られることとなり、
門の中のチャペルには聖マリアの肖像があります。







奇跡を起こすと言われていたマリア像。
数世紀にわたってこの肖像は街のシンボルの1つ、
カトリック教徒と正教徒の双方から
崇敬されてきました。

人々が治癒や幸福を願って捧げた銀細工が、
壁一面に並んでいるようです。







17世紀には、外敵から街を守り、
旅人を守護するためカルメン会の修道士が
城門の上に礼拝堂を建立しました。








夜明けの門の旧市街外側のファサードには、
リトアニアの紋章である白い騎馬像を中央に、
ギリシャ神話に登場するグリフィンをモチーフとした
ルネサンス様式の装飾が施されていますが、
こちらも夜明けの門の見どころです。

城門らしく防衛に使われた丸い銃眼も残っています。

リトアニア・ヴィルニュス

2016.9.21
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バルト三国 世界遺産の街ヴィルニュス市街地を一望

2017-05-05 09:29:25 | 2016 バルト三国



世界遺産ヴィルニュスの街並みを
一望できる場所です。
バスを下車し、坂を上っていくと
この風景が広がりました。







ヴィルニュスは、13世紀半ばに創建され、
18世紀に新古典主義様式で再建された
大聖堂が建つカテドゥロス広場を
中心に広がっていきました。







カトリック、ロシア正教、プロテスタント、
ユダヤ教、イスラム教など、
多彩な宗教施設を見ることができます。







16世紀には繁栄の頂点を迎えたリトアニア。

多彩な宗教施設が残るのは、
18世紀にロシアに併合されて以降、
1990年に独立するまで大国の思惑に翻弄され続けた
複雑な歴史を物語っているといえます。







「3つの十字架の丘」と呼ばれる場所。
ゲディミナス城の裏手にあり、
展望台ともなっています。







16世紀にこの丘で布教に来た
フランチェスコ修道士達が殺され、
そのうちの3人がここで磔にされたのだとか。

その後ここに十字架が建てられたのですが、
ソ連時代に破壊され、独立後に再建されました。

リトアニア・ヴィルニュス

2016.9.21
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バルト三国 聖ペテロ・パウロ教会(リトアニア)

2017-05-04 09:30:10 | 2016 バルト三国



ロシアからの解放を記念して建造された
聖ペテロ・パウロ教会は、1668年から
外観に7年、内装には30年もの
歳月が費やされたそうです。







当時の将軍パツァスが教会建設の資金を出しており、
教会入口右側の壁には彼の墓石があります。
見事な教会を自身の廟として残すことが、
当時最も名誉なこととされていたのだそうです。







建物内部に入ってみると壁から天井まで覆い尽くす
2000以上と言われる圧巻の漆喰彫刻。
聖人、天使、想像上の獣、植物など多彩で、
なかにはリトアニアの戦史を描いたものもあります。







太陽から差し込む光の加減によって彫刻の
女性たちの表情が変化して見えます。
職人がすべて計算し製作にあたった結果とか。







一つとして同じ彫刻がないといわれていますが、
イタリアから職人を招いたり、地元の職人も加わり、
すべての職人達の技術が集約されているからこそ
このような美しい教会ができたのでしょう。

リトアニア・ヴィルニュス

2016.9.21
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バルト三国 ラディソンBLUリエトゥバホテル(リトアニア)

2017-05-03 09:07:16 | 2016 バルト三国



ホテルに到着したのは、茜色に空が染まる頃、
ヴィリニュスの中心部、ネリス川のほとりに位置する
4つ星ホテル、周辺はビジネス街のようです。

ヴィリニュス国際空港からもおよそ9km、
主要な観光先からも1~2㎞程です。







温かみのある色調で装飾が施された部屋
旅の疲れを癒すのには十分な
空間と言えるでしょうか。







マルチチャンネル液晶テレビ、無料Wi-Fi付。







セーフティボックス、ミニバー、冷蔵庫の完備。
すぐ近くに大型スーパーもあります。







アイロンとアイロン台も用意されていました。







バスルームも清潔で問題はなさそうです。

ツアーなのでチェックインの際に予め封筒に
カードキーなど必要なものが用意されていましたが、
キーが1枚しか用意されておらず、
追加してもらいました。

部屋に入ったら電気はつくか、お湯は出るか、
バスアメニティなどもまず点検、
それからスーツケースを開けます。







291室のゲストルーム、レストラン、バー、
フィットネスセンター、カジノ、
24時間対応のフロントデスクなどが
備わっています。







リトアニアの9月、日本より1カ月半~2カ月近く
季節が早く進んでいる印象でした。

リトアニア・ヴィリニュス

2016.9.20
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バルト三国 リトアニアの首都ヴィルニュスへ

2017-05-02 09:01:27 | 2016 バルト三国



リトアニア共和国の首都ヴィリニュスに到着。

バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も南の国、
面積は九州本島と四国に山口県と島根県を合わせた面積に
ほぼ相当するのだそうですが、バルト三国の中で
一番面積が大きく素朴な国がリトアニアです。







こちらが首都の空港ですが、地方空港のようです。
リトアニアの人口はおよそ325万人。







リトアニア国内全ての路線の
運行を行うのが国有のリトアニア鉄道。

2006年のリトアニア鉄道の乗客数は620万人、
貨物輸送量は5000万トンで主要な貨物は石油。
電化されている路線は少ないようです。
Wikipedeiaより







1918年、リトアニア共和国としてロシア帝国より独立。
1940年にソビエト連邦、
1941年にナチス・ドイツからも侵略され、
ソ連の構成共和国の一つとなりましたが1990年独立。

言語はリトアニア語ですが、
ロシア語を理解できる人は多いです。







このバルト三国のツアーは、世界遺産3都市を
各2連泊しながら南から北へと向かい、
タリン~ヘルシンキまでの
バルト海クルーズも楽しみます。







車窓を楽しみながらホテルへと向かいました。

リトアニア・ヴィルニュス市

2016.9.20
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成田国際空港~ヘルシンキ~ヴィリニュスへ

2017-05-01 08:00:00 | 2016 バルト三国



ホテルの送迎バスに乗車して成田国際空港へ。
温泉に浸かり、朝食もしっかりいただき、
朝にしては元気に到着しました。







フライトは11時のフィンランド航空ですが、
団体ツアーなのでうんざりするほど集合時間は早めです。
個人でチェックインを済ませてその後に再集合、
ラウンジを利用する時間もありませんでした。







手荷物検査、税関、出国審査を済ませて、
無事にフィンランド航空74便に乗りました。







離陸約2時間後には食事、魚料理を選択しました。
日本で作られているのですから味は







こちらは肉料理です。







ドリンクのカップはマリメッコのデザイン。

見逃していた映画を楽しむのが機内での過ごし方。
「Ⅹ-MENアポカリプス」などを見て、
ゲームに音楽と楽しむまるみでした。







スーパーカップも配布されました。
まるみはノーサンキュー。







飛行時間は約10時間20分。
着陸2時間前に2度目の食事。







ちなみにナプキンもマリメッコ。
何だかハッピーな気分にさせてくれます。

フィンランドを代表するテキスタイルブランドの
マリメッコは、洋服、バッグ、インテリアなど
トータルブランドとして世界中で愛されています。







ヘルシンキに到着後に乗り継ぎ便でリトアニアへ。
乗り継ぎ時間があまりなく少々慌しいものの
効率良く次の便へと乗り換えました。







飛行予定時間は約1時間15分。
ドリンクのサービスはありますが、
機内食は有料です。







やっとリトアニアに行けると
嬉しかった旅の空です。

2016.9.20
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バルト三国の旅から戻りました!!

2016-09-28 16:00:03 | 2016 バルト三国



バルト海に連なる3つの世界遺産都市を訪ねる旅から戻りました。
成田からヘルシンキ、乗り継ぎ便でヴィリニュス、
陸路でリガ、タリン、タリンからヘルシンキまでは、
2時間のバルト海クルーズでほっと一息。

ヨーロッパはどこを切り取っても絵になる風景が広がりますが、
約2カ月近くは季節が先に進んだような国々では、
木々も黄色く色づいて趣がありました。







日本のシンドラーとも言われた外交官杉原千畝氏が
働いていた旧日本領事館を訪ねることが
今回の一番の目的でした。

1991年放送のテレビ「知っているつもり」で、
杉原千畝氏を知った時から
訪れたいと思っていたのです。







映画やドラマのシーンとは違い、塀などは残されていませんが、
ここに「命のビザ」を求めて多くのユダヤ難民が押し寄せたのです。

日本政府からの了承が取れないまま独断で日本通過ビザの発給、
自らの危険も顧りみない決断をして
6,000人にのぼる人々を救いました。

映画はポーランドで撮影されているので、
この場所が登場しているのではありません。

しかし、映画の公開から1年未満ですから
日本人の観光客が大挙して押し寄せていたので
ゆっくり展示物を見る時間もなくて残念。







ラトビアではベルサイユ宮殿を参考にして
設計されたという豪華絢爛なルンダーレ宮殿を訪れたり、
大聖堂のオルガンコンサートを楽しんだり…
(外野席みたいな席でしたが…)







エストニアのタリンでは、城壁都市を堪能。

中世の香り漂うバルト三国ですが、
無料のWifiがホテルやレストランなどでも使えるので、
ライオンズの動画もバッチリでした。

最終戦を現地観戦するためにも体力温存に努めたのですが、
のんびりゆったり気ままな旅に慣れてしまっているので、
制限の多い旅行に疲れ切ってしまいました。







私達が乗船したのはフェリーですが、
客船でバルト海クルーズをするのが新たな目標です。
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