![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/32/ffbe4da23fe0162c6ec42298a7d72def.jpg)
あったあった、道路工事の痕が、
ススキの向こうの小さなふくらみ
斜めに立派な道がついている。
トラロープが張ってある様子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/b4/ea7994793ec4ad7bb4c52f79b85634bf.jpg)
確かにここは踏み跡に水が流れて掘れたような溝があった、
同じ場所に足を着くからそこが崩れたのか
ま、それも自然かと深くは考えなかったが、
歩きにくい場所と言われればそうかもしれない。
でも、そんな所は他にもまだあるんだが…
わからん、
小山を削って火山灰を下に除けて
「高山植物の根を切って、高山植物の上に火山灰をかけて」
という記事の場所は、ここであろう。
シラタマノキが火山灰に埋もれているから、
以前はトラロープの向こう側が道であった。
バレーボール、ハンドボール大の塊が積んであった。
レンジャーの呼びかけで自然保護団体会員などが復旧作業をした、
という。
すべて、手作業でかぶさった土を取り除いたという。
工事した人が任意で現場検証に立会い、書類送検されるという。
何の目的で為したものか分からずじまいである。
実は、私、登山とか登攀とかに無縁な人間で、時たま小学生の息子とハイキングコースを歩くのが関の山です。
しかし、山が好きな方々、登山愛好家の方々におかれては「最低限、暗黙の了解」事項・マナーとして「ルートというものは、両足の足の裏で踏みしめられて出来上がってゆくもの」というようなコトがあるのではないでしょうか。
スコップを持ってパッと入り込んで、野の花や本来そこにあるべき石や岩の位置が置き換わるようなものを 「ルート」と呼べぬ、呼ばさない、強烈な違和感のようなものが存在しているような気がします。
その地点に入り込む多数の登山家たちが、「ココは左に折れるのが最善だろう」という同じ選択をし、数多くの足の裏がそこを踏み、結果として「道」のようになって、「ルート」という形で姿を現してくる。それが、自然なものであり、自然に作用した多数決である、ように受け止められているのではないですか?
そうであれば、今回の一件、山を愛する方々に違和感やちぐはぐさ というものを強く感じさせても仕方ないでしょうね。「登山家の皆さんのためにやった」というのは、詭弁以下の詭弁であり、犯人の「山を愛する」感性が疑われるばかりでしょう。
全く山を知らぬ(に等しい)者の戯言でございますが、野次馬としてはそんな感じがしてなりません。
「社会のために役に立たなくちゃ」と思って活動する人、おります。
各種慈善事業団体なども「奉仕活動しませんか」のような呼びかけがある。
私は、もういい、今まで家族を省みずいっぱい働いてきた。
少し休ませてって思っています。
この人の「奉仕をしよう」という気持ちは否定しないが、その手段方向がどうなのか、
「人もいろいろ」…