読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

「ローマ人の物語11」(塩野七生著/新潮文庫)

2006-08-20 11:00:00 | 作家;塩野七生
~ユリウス・カエサル/ルビコン以後(上)

第六章 壮年後期 Virilitas(ヴィリリタス)
紀元前49年1月~前44年3月(カエサル五十歳~五十五歳)

「十二年前の紀元前六十年、当時四十六歳だったポンペイウスと四十歳だったカエサルの二人は、『三頭政治』を結成した朋友同志であった。翌・前五十九年、ポンペイウスはカエサルの娘ユリアを妻に迎えている。そしてその次の年、首都ローマをポンペイウスに託して、カエサルはガリアに発った。ガリアに発つ前に書かれたにちがいないカエサルの遺言状の相続人は、血縁では婿になるポンペイウスになっていたのである」。

「そのポンペイウスも、朋友関係が七年におよぶ頃からはカエサルを離れ、ついには強硬な反カエサル派にかつがれて、かつての朋友とは敵対する仲になる。カエサルのルビコン渡河、ポンペイウスのイタリア脱出、そして、ファルサルスの会戦とエジプトに逃げての死。これが、六歳しか年のちがわなかったローマきっての武将の二人の、最後の二年間の運命であった」。これが本書のストーリーだ。

カエサルの追撃から敗走するポンペイウスは、北アフリカへの選択を促す舅のメテルス・スピキオ、前執政官の二人の意見を振り切って北アフリカ行きを決める。そして、エジプト王国からの迎えの船のなかで殺される。

このポンペイウスを後世のイギリスの研究者は次のように評したという。
「ポンペイウスは、戦場でならば、カエサルが敵にまわすに値したただ一人の武将であった。だが、ドゥラキウムでのカエサルが、敗北を喫した軍では最後に戦場を捨てた戦士であったのに対し、ファルサイスでのポンペイウスは、最初に戦場を捨てた戦士だったのである。そして、天才と単に才能のある者を分けるのは知性と情熱の合一だが、ポンペイウスにはそれがかけていた」。

キケロは次の言葉を残している。
「ポンペイウスがあのような最期を迎えるであろうとは、わたしには充分に予想できたことだった。ファルサルス後の彼の置かれた立場の危うさは、ローマ世界のすべての王侯と民衆にはっきりと見えてしまったからだった。その中ではどこに彼が逃げようと、所詮はあのように終わるしかなかったのである。とはいえ、彼の運命には、哀れをもようおさずにはいられない。わたしの知っていたポンペイウスは、まっすぐで羽目をはずさない」。

そして、追撃の張本人のカエサルはポンペイウスの死を知ってその「内乱記」の中で次のように記したという。
「アレクサンドリアで、ポンペイウスの死を知った」。

著者はこの一行に「カエサル自身の気質を正直に映しながらも、政治的にも配慮を忘れない一行であった。制約があろうとも文章力さえ充分ならば、大理石に刻みこまれた文字にも似た重量感をも伝えうるという好例である」と評価を与えた。


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