第一部 皇帝ティベリウス(承前)
第二部 皇帝カリグラ-本名 ガイウス・カエサル
(在位、紀元37年3月18日~41年1月24日)
前書に続く、ティべリウスの後半生が紐解かれる。カプリ島への隠遁後の10年に及ぶ遠隔統治が根源にあり、その緊縮財政、冷徹な人格などから庶民には不人気だった彼について著者を含む三人の高い評価がある。まずは、同時代属州エジプトの首都アレキサンドリアの住人で「ユダヤのプラトン」と呼ばれたフィロンは次のように評価する。
「個人規模であろうと帝国規模であろうと、富でも権力でも繁栄への基盤でも、何一つ新に求める必要はない。すでにして、存在するのだ。幸福は、扉の外に待っている。やらねばならないのことは、扉を開けて中に入れることだけであった」。
もう一人は、1996年に亡くなった国際政治学者、高坂正堯(まさたか)氏。ローマ皇帝の中ではティベリウスに他の誰よりも共感をいだくと語ったといわれる。著者はこの章を高坂氏に捧げると書いている。
・27年 カプリ島に居を移す。
・31年 セイヤヌス処刑。
・33年 ローマでの金融危機に国家資金を投入する。
・33年 イエス・キリストの処刑。
・34年 アルメニアの統治問題にウィテリウスを派遣する。
・37年 ミセヌムの岬に立つ別荘地で77歳にて病没。
日本ではカリギュラでおなじみのカリグラの生涯は、映画などではその酒池肉林振りがクローズアップされ一般的には次のように語られる。
「父ゲルマニクスはゲルマニア方面軍の司令官を務めており、カリグラは幼少期をローマ帝国のライン川の防衛線で過ごした。このときカリグラは兵士と同じ軍装姿であったため、軍団兵から小さな軍靴を意味するカリグラ(カリガ:軍靴)と呼ばれ軍団のマスコットとなっていた」。
「ティベリウスの後継者候補達が次々とティベリウスより先にこの世を去ったため、ティベリウスの没時遺書によってカリグラは従弟のティベリウス・ゲメッルスと共に帝位の後継者に指名された」。
「老皇帝ティベリウス(死亡時77歳)の若き後継者(即位時24歳)として、カリグラの帝位継承はローマ市民の圧倒的な支持をもって迎えられた。ティベリウス治世の晩年の恐怖政治からティベリウスの人気はすこぶる低く、遺書でティベリウス・ゲメッルスと共同相続人として指名されていたが、元老院がそれを無視し、カリグラは単独の相続人となって、皇帝に就任した」。
「ティベリウスの緊縮財政政策を廃し、減税、剣闘士試合の復活など、市民におもねる施策を次々と行ったが、やがて財政破綻を招き、これにより急速な人心の離反を招いた。また現在ではカリグラは精神異常であったと考えられており、自らや妹を神格化させるなどその統治は狂気じみたものだった」。
「41年、近衛軍団の大隊長カッシウス・カエレアらにより殺害される。統治期間は3年間であった。暗殺後、元老院は帝政を廃し共和政を復興させることも企てたが、近衛軍団がカリグラの叔父クラウディウスに忠誠を誓うと、この既成事実を承認するほかなかった」。(ウィキペディア)
著者もカリグラについては、特に良い評価は与えていない。カエレア(本書ではケレア)がカリグラを暗殺した背景した理由について、母親のように次のように記すだけだ。
「皇帝ガイウス(カリグラ)の言動には、忠実なケレアの心も痛む一方であった。六十歳も間近になり、除隊後の淋しい一人暮らしが待っているだけのケレアが、不詳の息子を殺す父親のような想いで、『小っちゃな軍靴(カリグラ)』に剣をふるったのではないだろうか。まるで、身内の不祥事は身内でも始末をつけるとでもいうように」。
・12年8月31日 出生。
・33年 母大アグリッピナ死去。
・37年3月18日 即位。
・37年10月 大病を患う。
・38年 妹ジュリア・ドルシラ死去。
・39年 国家財政破綻。
・40年 妹の小アグリッピナとユリア・リウィアを自身の暗殺を企てたとして流刑に。
・41年1月24日 殺害される。妻カエソニアと娘(名前不詳)も同時に殺される。
第二部 皇帝カリグラ-本名 ガイウス・カエサル
(在位、紀元37年3月18日~41年1月24日)
前書に続く、ティべリウスの後半生が紐解かれる。カプリ島への隠遁後の10年に及ぶ遠隔統治が根源にあり、その緊縮財政、冷徹な人格などから庶民には不人気だった彼について著者を含む三人の高い評価がある。まずは、同時代属州エジプトの首都アレキサンドリアの住人で「ユダヤのプラトン」と呼ばれたフィロンは次のように評価する。
「個人規模であろうと帝国規模であろうと、富でも権力でも繁栄への基盤でも、何一つ新に求める必要はない。すでにして、存在するのだ。幸福は、扉の外に待っている。やらねばならないのことは、扉を開けて中に入れることだけであった」。
もう一人は、1996年に亡くなった国際政治学者、高坂正堯(まさたか)氏。ローマ皇帝の中ではティベリウスに他の誰よりも共感をいだくと語ったといわれる。著者はこの章を高坂氏に捧げると書いている。
・27年 カプリ島に居を移す。
・31年 セイヤヌス処刑。
・33年 ローマでの金融危機に国家資金を投入する。
・33年 イエス・キリストの処刑。
・34年 アルメニアの統治問題にウィテリウスを派遣する。
・37年 ミセヌムの岬に立つ別荘地で77歳にて病没。
日本ではカリギュラでおなじみのカリグラの生涯は、映画などではその酒池肉林振りがクローズアップされ一般的には次のように語られる。
「父ゲルマニクスはゲルマニア方面軍の司令官を務めており、カリグラは幼少期をローマ帝国のライン川の防衛線で過ごした。このときカリグラは兵士と同じ軍装姿であったため、軍団兵から小さな軍靴を意味するカリグラ(カリガ:軍靴)と呼ばれ軍団のマスコットとなっていた」。
「ティベリウスの後継者候補達が次々とティベリウスより先にこの世を去ったため、ティベリウスの没時遺書によってカリグラは従弟のティベリウス・ゲメッルスと共に帝位の後継者に指名された」。
「老皇帝ティベリウス(死亡時77歳)の若き後継者(即位時24歳)として、カリグラの帝位継承はローマ市民の圧倒的な支持をもって迎えられた。ティベリウス治世の晩年の恐怖政治からティベリウスの人気はすこぶる低く、遺書でティベリウス・ゲメッルスと共同相続人として指名されていたが、元老院がそれを無視し、カリグラは単独の相続人となって、皇帝に就任した」。
「ティベリウスの緊縮財政政策を廃し、減税、剣闘士試合の復活など、市民におもねる施策を次々と行ったが、やがて財政破綻を招き、これにより急速な人心の離反を招いた。また現在ではカリグラは精神異常であったと考えられており、自らや妹を神格化させるなどその統治は狂気じみたものだった」。
「41年、近衛軍団の大隊長カッシウス・カエレアらにより殺害される。統治期間は3年間であった。暗殺後、元老院は帝政を廃し共和政を復興させることも企てたが、近衛軍団がカリグラの叔父クラウディウスに忠誠を誓うと、この既成事実を承認するほかなかった」。(ウィキペディア)
著者もカリグラについては、特に良い評価は与えていない。カエレア(本書ではケレア)がカリグラを暗殺した背景した理由について、母親のように次のように記すだけだ。
「皇帝ガイウス(カリグラ)の言動には、忠実なケレアの心も痛む一方であった。六十歳も間近になり、除隊後の淋しい一人暮らしが待っているだけのケレアが、不詳の息子を殺す父親のような想いで、『小っちゃな軍靴(カリグラ)』に剣をふるったのではないだろうか。まるで、身内の不祥事は身内でも始末をつけるとでもいうように」。
・12年8月31日 出生。
・33年 母大アグリッピナ死去。
・37年3月18日 即位。
・37年10月 大病を患う。
・38年 妹ジュリア・ドルシラ死去。
・39年 国家財政破綻。
・40年 妹の小アグリッピナとユリア・リウィアを自身の暗殺を企てたとして流刑に。
・41年1月24日 殺害される。妻カエソニアと娘(名前不詳)も同時に殺される。
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