読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

歌手で身を持ち崩した皇帝、「ローマ人の物語20 悪名高き皇帝たち(四)」(塩野七生/新潮文庫)

2007-08-05 03:04:18 | 作家;塩野七生
第四部 皇帝ネロ
(在位、紀元54年10月13日~68年6月9日)

「紀元54年、皇帝クラウディウスは妻アグリッピーナの野望の犠牲となり死亡。養子ネロがわずか16歳で皇帝となる。後に『国家の敵』と断罪される、ローマ帝国史上最も悪名高き皇帝の誕生だった。若く利発なネロを、当初は庶民のみならず元老院さえも歓迎するが、失政を重ねたネロは自滅への道を歩む。そしてアウグストゥスが創始した『ユリウス・クラウディウス朝」も終焉の時を迎える……』。(新潮社HP)

「多くの分野にわたってなかなかの才能の持ち主なのに、それらはいずれも個別に発揮され、全体として何か一つの成果に結実していかない人がいる。一昔前にはマルチ人間と呼ばれただぐいだが、言い換えれば、人間としてはいっこうに成長しないタイプでもある。人間は一つ一つ成し遂げていくことを通じて成長する生き物なのだから」。

「というわけでマルチ型に属する人々は、心の奥深くに常に不安を隠し持っている。自分は何もし遂げていない、という不安だ。この不安は、何かを行う場合には度を越すことにつながりやすい。皇帝ネロも、この種の一人ではなかったかと思っている。一私人としてみれば、不幸な男だ」。

歯に衣着せぬ著者の辛辣な意見ですが、そうは言いつつ世評どおりの「暴君」とは違う面をいくつも描いて見せてくれています。上文は一介の市井の私にさえ耳の痛い指摘でもあります。本書で印象的だったのは、仮想敵国パルティア(ヴォロゲセス王)、アルメニア(その弟、ティリダテス)との覇権争いで勝利した後と、「ピソの陰謀」の件です。

自分の殺害を事前に知ったネロが、実行犯の一人と目されていた近衛軍団の大隊長フラウスになぜ自分に剣を向ける気になったのか尋問します。フラウスは次ぎのように応えます。

「あなたを、憎悪していたからです、とはいえ、あなたが皇帝にふさわしく敬意を払われるに値する人であった頃は、わたしほどあなたに忠実な部下はいなかったでしょう。しかし、あなたが母を殺し妻を殺し、競技会に夢中になり、歌手家業に熱中し、放火まで犯すようになってからは、あなたへの感情は憎悪しかなくなったのです」。

殺害はしないにせよ、こうした経営者を時折、お見かけすることがあります。自戒も込めます。

塩野さんの著書ではいつもいくつかの箴言があります。本書では次の三つに納得させられました。

「戦争は、武器を使ってやる外交であり、外交は、武器を使わないでやる戦争である」

「有能なリーダーとは、人間と労苦と時間の節約に長じている人のことではないかと思いはじめている」

「歴史に親しむ日々を送っていて痛感するのは、勝者と敗者を決めるのはその人自体の資質の優劣ではなく、もっている資質をその人がいかに活用したかにかかっているという一時である」。


ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus, 37年12月15日 - 68年6月9日)またはネロ・クラウディウス・カエサル・ドルスス・ゲルマニクス (Nero Claudius Caesar Drusus Germanicus)は「ローマ帝国の第5代皇帝。改称前はルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (Lucius Domitius Ahenobarbus) 。暴君として悪名高い」。

「ネロの治世は家庭教師でもあった哲学者セネカや親衛隊長官セクストゥス・アフラニウス・ブッルスの補佐を受け、治世初期は名君の誉れが高かった。しかし数年後にはネロの周囲の人間−母と側近二人−との間に微妙な緊張関係が見られ、それがネロの影響力に現れてくる。例えばネロが席につくとアグリッピナは隣に座っていたが、セネカがそれを諌めている。ネロの友人もアグリッピナに不信感を抱いてネロ本人に忠告してくる。またネロは妻オクタウィアには不満で解放奴隷のアクテを寵愛していたが、アグリッピナの命でネロから離されそうになったが、セネカの助けで事なきを得た」。

「ネロが母親の干渉を疎ましく思うようになると、アグリッピナはクラウディウスの実子ブリタンニクス−かつて彼女が退けようとした−に注目するようになる。この時点でもブリタンニクスは帝位継承権を有しており、その意味ではネロと代わりうる存在であった。また彼は成人式がせまっており、大人の仲間入り−すなわち帝位継承権を行使できる立場−に近付いていた。その彼が成人の儀式目前で55年急死。タキトゥスによれば、ネロが暗殺したと言う」。

「ネロの権力は増大し、ついにはブッルス、母親の取り巻きの解放奴隷マルクス・アントニウス・パッラスを反逆罪で告発、セネカも横領で告発されたが、セネカが両名の弁護を担当、そして事なきを得た。しかしながら、カッシウス・ディオによればこの事件以降セネカもブッルスもネロから自分の保身に努めていったと言われている」。

「そしてネロが妻オクタウィアと離縁し、ポッパエア・サビナと結婚しようとする際になって母親アグリッピナと対立、59年に母アグリッピナ殺害、62年にはブッルスも死去、同年セネカが再び横領の咎で告発される。ここに至ってセネカは引退をネロに申し出る。こうしてネロは妻オクタウィアと離縁、そしてボッパエア・サビナと結婚する。ポッパエアは既に結婚していたが、夫(後の皇帝オト)は離婚させられ、ルシタニアに左遷された」。

「さらに女装しては解放奴隷のピュータゴラースやドリュプォルスと正式に結婚して彼らの花嫁となったり、美少年スボルスを去勢し女装させては、これまた正式に結婚して自らの正室=皇后に迎えたりした」。(この辺は本書には描かれていません)

「ネロの権力は元老院議員の生死まで関わる問題となり、62年にプラエトル職にあった者が宴席でネロの悪口を言った咎で死刑される事から始まり、さらに元老院議員ピソがネロの暗殺を企てたという嫌疑から懐疑心を募らせ、前述のパッラスを含む多くの元老院議員が処刑された。そして65年には前述のピソに連座してセネカ本人までが自殺を命ぜられている」。

「しかし55年のブリタンニクスの殺害に始まり、59年に実母小アグリッピナ、62年に妻オクタウィア、65年にセネカを殺害。加えて64年に発生したローマ大火の犯人としてキリスト教徒を迫害したことから、後世からは暴君として知られる様になる」。

「新約聖書のヨハネの黙示録に見られる獣の数である666はネロの別名であるネロ・ケーザル(カエサル)を意味するとも言われる。これは、ネロ・ケーザルはヘブライ文字ではNRWN QSRと表記し、それぞれ50、200、6、50、100、60、200の数を意味し合計すると666になるためである」。

「68年、タラコンネシス属州総督ガルバらによる反乱が勃発。各地の属州総督がこれに同調し、ついには、元老院から「国家の敵」としての宣告を受ける。68年6月8日自殺」。(ウィキペディア)


・37年12月15日 アンティウム(現在のアンツィオ)にて出生。
・50年 ドミティウス、クラウディウスの養子となりネロ・クラウディウスと改名
・51年 成人式を挙げる。
・54年10月13日 クラウディウス帝の死により、皇帝就任。
・57年 元老院属州と皇帝属州を合わせ国庫を一本化する。
・59年3月21日 母を殺害。
・64年 ローマ大火。その跡地に黄金宮殿(*ドムス・アウレア)を建設。
・65年 ピソの陰謀。
・67年 コリントス運河の開削を試みる。
・68年6月8日 自殺。四帝乱立の1年へ。遺灰はマルス広場に葬られた。

*ドムス・アウレア;
「15世紀末に地中に埋もれていた宮殿の一部が発掘された。1506年にはトラヤヌス浴場付近の地中からラオコオン像が発見され、ミケランジェロに大きな感銘を与えた。また、壁面のフレスコ画は、人や動物、植物などが連続する奇妙な装飾であり、ラファエロがバチカン宮殿回廊の内装に取り入れた」。

「『地中=洞窟(グロッタ grotto)で発見された古代美術』という意味で『グロテスク』装飾と呼ばれるようになった。ドムス・アウレアは第二次世界大戦後の長期間をかけた修復工事のあと、1999年から一般に公開されるようになったが、大雨による被害があり2005年12月に再び閉鎖された」。
(同上)


著者は本書の中で何度か「クォ・ヴァディス」(Quo Vadis)という1951年のアメリカ映画を取り上げています。64年のローマの大火をテーマしたもので、当時多神教であったローマの視点ではなく、この事件で迫害されたキリスト教の立場から描かれていることが、歴史を多元的に見る上で参考になるということでした。

ローマヘンリク・シェンキェヴィチの同名小説『クォ・ヴァディス』を壮大なスケールのスペクタルとして映画化したもので、監督はマーヴィン・ルロイ、出演はロバート・テイラー、デボラ・カー、ピーター・ユスティノフ、レオ・ゲン。他にもエリザベス・テイラーがカメオ出演しており、無名時代のソフィア・ローレンが奴隷役としてエキストラ出演しているそうです。


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