役者さんを捕まえて「演技派」という呼び方はどうかと思いますが、「演技派俳優は誰か」と問われれば、ロバート・デ・ニーロと並んでアル・パチーノと答えてしまいます。改めて彼の半生を辿ってみると、1992年のアカデミー賞受賞までデビューから苦節23年間を要したことに驚きます。
数ある好きな映画の中でベスト10に入れているのが「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」(1992年)です。このときの彼はとにかく大人の男とし憧れます。アル・パチーノ演じる盲目の退役軍人フランク・スレード“大佐”がドナ(ガブリエル・アンウォー)と華麗なタンゴを踊るシーン、ラストのチャーリー(クリス・オドネル)を護るために壇上で語った演説が印象的です。
アル・パチーノ(Alfredo James Pacino, 1940年4月25日 - )は、「ニューヨーク市ブロンクス出身。イタリア系アメリカ人。シチリア移民の子として生まれるが、2歳の頃に両親が離婚し、少年時代は非常に貧しく不憫な生活を送る。若い頃はニューヨーク市内でメッセンジャーボーイやビルの清掃稼業、映画館のアルバイトなど様々な職業を渡り歩いていた。この頃に後々名コンビとして知られるジョン・カザールと親交を結んだ」。
「26歳からリー・ストラスバーグ主宰のアクターズ・スタジオで演技を学んだが、オーディションに行くためのバス代もないほど貧しかった時もあったという。しかし次第に舞台で活躍するようになり、オビー賞などを受賞」。
「1969年の映画『ナタリーの朝』でデビュー。1971年の『哀しみの街かど』でヘロイン中毒の青年を演じて注目されるようになる。その後フランシス・フォード・コッポラ監督作品『ゴッドファーザー』で世間にその名と実力を轟かせた」。
「比較的小柄(167cm)であるというハンディキャップを抱えながらも、画面を所狭しと駆け回り、見る者を圧倒するエネルギッシュな演技と悲壮感、哀愁の漂う演技の双方を武器に、シドニー・ルメット監督の『セルピコ』と『狼たちの午後』で主演を務める傍ら『ゴッドファーザー』の続編となる『ゴッドファーザーPARTII』に主演。1972年から1975年にかけて4年連続でアカデミー賞にノミネート。名実ともに大スターとなる」。
「しかし、彼の悲願はアカデミー主演男優賞の受賞であった。どれほど名作への出演と観る者を魅了する演技を重ねようとノミネートこそされ、受賞は叶わなかった。この頃から、アカデミー賞狙いの過剰な演技が目立ち始め、業界関係者の反感を買ってしまう。現在でこそバイオレンス映画の傑作とされるブライアン・デ・パルマ監督による主演映画『スカーフェイス』も、公開当時は大失敗作と評され興行成績も振るわなかった。1970年代後半から1980年代にかけて極度の不振に陥ったパチーノは一時期活動の場を舞台へと変え、地道にチャンスを待った」。
「1989年に『シー・オブ・ラブ』で映画に復帰すると、『ディック・トレイシー』、『ゴッドファーザーPARTIII』に出演し過去の名声を取り戻そうとするが、それぞれの作品が評価されず、興行成績も振るわなかったためさらにチャンスを待つこととなった」。
「そして、1992年の『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』で盲目の退役軍人を熱演。不振の原因となっていたアクの強さも圧倒的な存在感に好転。『摩天楼を夢みて』でのアカデミー助演男優賞と共にアカデミー主演男優賞にノミネート。クリント・イーストウッド監督の『許されざる者』が作品賞を初めとした各部門の賞を独占する状況にありながらも、第65回アカデミー賞において長年の悲願であった主演男優賞を獲得。燦々とした名声を再び取り戻した」。
「55歳を超えてからも『フェイク』、『インサイダー』などの名作佳作に出演。1996年の『リチャードを探して』では監督も務めた。1994年にはヴェネチア国際映画祭の経歴賞を、還暦を迎えた2001年には、ゴールデングローブ賞において生涯功労賞に相当するセシル・B・デミル賞を受賞。共演したジョニー・デップ、ラッセル・クロウ、ジェイミー・フォックスなど、現在第一線で活躍する俳優たちに多大な影響を与えている」。
「マーロン・ブランドやジーン・ハックマンなど、パチーノのそれを上回る存在感を持つ俳優でなければ存在そのものが掻き消されてしまうため助演を務めることは少ない。しかし、2007年公開の『オーシャンズ13』ではジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、マット・デイモンなどのスター俳優たちの中で助演に徹しホテルのオーナーを演じた」。
「現代映画界の最高の演技派俳優であるロバート・デ・ニーロとは様々な焦点から比較対象にされる。体重の増減や抜毛など、自らの名を冠したアプローチ法(「デ・ニーロ アプローチ」)を生み出したデ・ニーロと比較すると演技に対する姿勢はさほど有名ではないが、『ゴッドファーザー』シリーズでは、孤独なマイケルに成り切るために、本番やリハーサル以外は他のキャストと一切会話をしなかった」。
「『セント・オブ・ウーマン』では、盲目の退役軍人の役に熱中するあまり、実際に失明寸前までいったという。なお、デ・ニーロとは第67回アカデミー賞授賞式において作品賞のプレゼンターを務めた。その際二人は『ゴッドファーザー』のメインテーマに乗って壇上に登場した」。(ウィキペディア)
こうした二人の「ヒート」も当然、最高です。
数ある好きな映画の中でベスト10に入れているのが「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」(1992年)です。このときの彼はとにかく大人の男とし憧れます。アル・パチーノ演じる盲目の退役軍人フランク・スレード“大佐”がドナ(ガブリエル・アンウォー)と華麗なタンゴを踊るシーン、ラストのチャーリー(クリス・オドネル)を護るために壇上で語った演説が印象的です。
アル・パチーノ(Alfredo James Pacino, 1940年4月25日 - )は、「ニューヨーク市ブロンクス出身。イタリア系アメリカ人。シチリア移民の子として生まれるが、2歳の頃に両親が離婚し、少年時代は非常に貧しく不憫な生活を送る。若い頃はニューヨーク市内でメッセンジャーボーイやビルの清掃稼業、映画館のアルバイトなど様々な職業を渡り歩いていた。この頃に後々名コンビとして知られるジョン・カザールと親交を結んだ」。
「26歳からリー・ストラスバーグ主宰のアクターズ・スタジオで演技を学んだが、オーディションに行くためのバス代もないほど貧しかった時もあったという。しかし次第に舞台で活躍するようになり、オビー賞などを受賞」。
「1969年の映画『ナタリーの朝』でデビュー。1971年の『哀しみの街かど』でヘロイン中毒の青年を演じて注目されるようになる。その後フランシス・フォード・コッポラ監督作品『ゴッドファーザー』で世間にその名と実力を轟かせた」。
「比較的小柄(167cm)であるというハンディキャップを抱えながらも、画面を所狭しと駆け回り、見る者を圧倒するエネルギッシュな演技と悲壮感、哀愁の漂う演技の双方を武器に、シドニー・ルメット監督の『セルピコ』と『狼たちの午後』で主演を務める傍ら『ゴッドファーザー』の続編となる『ゴッドファーザーPARTII』に主演。1972年から1975年にかけて4年連続でアカデミー賞にノミネート。名実ともに大スターとなる」。
「しかし、彼の悲願はアカデミー主演男優賞の受賞であった。どれほど名作への出演と観る者を魅了する演技を重ねようとノミネートこそされ、受賞は叶わなかった。この頃から、アカデミー賞狙いの過剰な演技が目立ち始め、業界関係者の反感を買ってしまう。現在でこそバイオレンス映画の傑作とされるブライアン・デ・パルマ監督による主演映画『スカーフェイス』も、公開当時は大失敗作と評され興行成績も振るわなかった。1970年代後半から1980年代にかけて極度の不振に陥ったパチーノは一時期活動の場を舞台へと変え、地道にチャンスを待った」。
「1989年に『シー・オブ・ラブ』で映画に復帰すると、『ディック・トレイシー』、『ゴッドファーザーPARTIII』に出演し過去の名声を取り戻そうとするが、それぞれの作品が評価されず、興行成績も振るわなかったためさらにチャンスを待つこととなった」。
「そして、1992年の『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』で盲目の退役軍人を熱演。不振の原因となっていたアクの強さも圧倒的な存在感に好転。『摩天楼を夢みて』でのアカデミー助演男優賞と共にアカデミー主演男優賞にノミネート。クリント・イーストウッド監督の『許されざる者』が作品賞を初めとした各部門の賞を独占する状況にありながらも、第65回アカデミー賞において長年の悲願であった主演男優賞を獲得。燦々とした名声を再び取り戻した」。
「55歳を超えてからも『フェイク』、『インサイダー』などの名作佳作に出演。1996年の『リチャードを探して』では監督も務めた。1994年にはヴェネチア国際映画祭の経歴賞を、還暦を迎えた2001年には、ゴールデングローブ賞において生涯功労賞に相当するセシル・B・デミル賞を受賞。共演したジョニー・デップ、ラッセル・クロウ、ジェイミー・フォックスなど、現在第一線で活躍する俳優たちに多大な影響を与えている」。
「マーロン・ブランドやジーン・ハックマンなど、パチーノのそれを上回る存在感を持つ俳優でなければ存在そのものが掻き消されてしまうため助演を務めることは少ない。しかし、2007年公開の『オーシャンズ13』ではジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、マット・デイモンなどのスター俳優たちの中で助演に徹しホテルのオーナーを演じた」。
「現代映画界の最高の演技派俳優であるロバート・デ・ニーロとは様々な焦点から比較対象にされる。体重の増減や抜毛など、自らの名を冠したアプローチ法(「デ・ニーロ アプローチ」)を生み出したデ・ニーロと比較すると演技に対する姿勢はさほど有名ではないが、『ゴッドファーザー』シリーズでは、孤独なマイケルに成り切るために、本番やリハーサル以外は他のキャストと一切会話をしなかった」。
「『セント・オブ・ウーマン』では、盲目の退役軍人の役に熱中するあまり、実際に失明寸前までいったという。なお、デ・ニーロとは第67回アカデミー賞授賞式において作品賞のプレゼンターを務めた。その際二人は『ゴッドファーザー』のメインテーマに乗って壇上に登場した」。(ウィキペディア)
こうした二人の「ヒート」も当然、最高です。
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紹介記事は
http://blog.livedoor.jp/blog002005/archives/50191832.html
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