読書と映画をめぐるプロムナード

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龍馬亡き後の日本を背負った男達、そして、「円を創った男~小説・大隈重信~」(渡辺房男著)

2009-07-22 08:37:50 | 本;ノンフィクション一般
大隈重信は、西郷、大久保、木戸、井上ら、薩摩・長州の大物志士たちに比べ、戊辰の戦に出遅れた佐賀藩の出身であり、年も若かった。しかし彼は持ち前の現実主義的性向を生かし、明治政府の中枢に躍り出て大蔵省を率い、旧幕時代の「両」「分」「貫」「文」という複雑な貨幣制度を、「円」「銭」「厘」という十進法による近代的な貨幣制度に改革していった。黎明期日本の「改革」の痛みを大隈という人物を通して描いた「小説・円の誕生」です。歴史好きのビジネスマン必読の一冊!(MI)~

<目次>
第一章 慶応四年一月、長崎に大隈あり
第二章 国法はゆるがらぬものなり
第三章 借金は恥にあらず
第四章 太政官札危うし
第五章 会計官御用掛を拝命せり
第六章 円と命名せり
第七章 贋金は根絶すべし
第八章 新貨幣いまだ成らず
第九章 新紙幣も発行すべし
第十章 新貨条例成る
第十一章 その後の大隈重信

著者が本作を描こうと思った着想について、「あとがき」で次のように述べています。

~以前から、わたしの脳裏に浮かんでいたのは、大隈重信が果敢に生きた慶応四年(1868年)正月から明治四年(1871年)五月にかけての三年余の時であった。かれの満二十九歳から三十三歳のその時期こそ、日本という国の土台が幣制と財政面でようやくでき上がり、先進欧米諸国から明治新政府が認知された時だ。

重信は、その時まで蘭学と英学に親しんだ佐賀藩の尊皇派の一藩士に過ぎなかったが、開港地長崎で維新の激動を浴びたという、場所と時を生かした。そして、わずか三年あまりの間に、明治政府の中枢に躍り出て大蔵省を率い、「円」を基本とする統一幣制を創りあげたのである。

慶応四年一月の鳥羽伏見の戦いの時、維新の立役者というべき男達の年齢はどうであったか。西郷隆盛40歳、大久保利通37歳、木戸孝允34歳、井上馨32歳など、すべて29歳の重信より年上であり、早くから尊皇攘夷運動に身を挺して薩摩長州という雄藩を率いていた人物である。

重信は、戊辰の戦に出遅れた佐賀藩の出身でありながら、そうした大物志士たちとのせめぎあいの中で持前の現実主義的性向を行動に移して必死に生き抜こうとした、好運だったのは、かれの最も得意とした働きの場が、幣制と財政を一刻も早く確立せねばならないという黎明日本の課題と見事に一致したことであろう。~

この大隈重信が、明治政府中枢へのきっかけをつかむのは、キリスト教禁令についてのイギリス公使パークスとの交渉などで外交手腕を発揮したことでした。重信の人となりについては次のように描かれています。

~五代友厚は、重信の才気と辣腕を認めながらも、いくつかの性格、行動上の欠点を指摘している。心許せる友だからこその忠告と受け取って、重信は何度も読み返した。

他人の意見を聞かず自説を押し通すこと、無能な下僚とみると徹底的に糾弾し慈悲の心を持たないということから始まって、しゃべる時の口調が大声で時には他人に不快の念を起こさせ、特に怒る時はそばにいる人間までが耳を覆いたくなるほどひどいまで言ってきている。これらの点を直していけば、必ずやその手腕を誰もが率直に認めて宥和が醸しだされるだろうと、重信に行動の上での自重を求めていた。~

本書の物語は、坂本龍馬が31歳で亡くなった慶応三年(1867年)の翌年から始まります。坂本龍馬が幕藩体制を壊した張本人だとすれば、本書の物語は新生明治維新政府を構築した人々の奮戦記であり、幕末期の「雄藩」である薩長土肥の中で傍流にあった佐賀藩の尊皇派の一藩士に過ぎなかった男が維新政府の中枢に登り詰めるサクセスストーリーであります。

大隈重信についてはこれまで早稲田大学の創立者であること以外知識がありませんでしたが、「円」の創設者であったことや、第8代 (1898年6月30日 - 1898年11月8日)、第17代内閣総理大臣(1914年4月16日 ‐ 1916年10月9日)と二度にわたって内閣総理大臣を務めていたことも知りませんでした。まさに龍馬亡き後の新生明治日本を背負った男の1人なんですね。

本書の主な登場人物は以下の通りです。

大隈重信(1838年3月11日 - 1922年1月10日)

<大隈重信 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9A%88%E9%87%8D%E4%BF%A1


木戸孝允(1833年8月11日 - 1877年5月26日)

<木戸孝允 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%88%B8%E5%AD%9D%E5%85%81


大久保利通(1830年9月26日 - 1878年)5月14日)

<大久保利通 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%80%9A

五代友厚(1836年2月12日 - 1885年9月25日)

<五代友厚 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BB%A3%E5%8F%8B%E5%8E%9A


伊藤博文(1841年10月16日 - 1909年10月26日)

<伊藤博文 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87


鍋島直正(1815年1月16日 - 1871年3月8日)

<鍋島直正(閑叟かんそう)- Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%8B%E5%B3%B6%E7%9B%B4%E6%AD%A3


由利公正(三岡八郎;1829年12月6日 - 1909年4月28日)

<由利公正 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B1%E5%88%A9%E5%85%AC%E6%AD%A3


ハリー・パークス(Sir Harry Smith Parkes,1828年2月24日 - 1885年3月22日)

<ハリー・パークス- Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9



渡辺房男;1944年山梨県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。(株)NHKエンタープライズ・プロデューサー。「桜田門外十万坪」で歴史文学賞、「ゲルマン紙幣一億円」で中村星湖文学賞を受賞。

<渡辺房男 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%88%BF%E7%94%B7

<渡辺房男様からのメッセージ(2006.1.26)>
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kf1-tokyo/watanabe20060128.html

<円 (通貨) - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86_(%E9%80%9A%E8%B2%A8)

<備忘録>
「海援隊 佐々木高行」「長州 楊井謙蔵」「薩摩 松方正義」「土佐商会 岩崎弥太郎」(P6)、「山内容堂」(P8)、「副島種臣」(P10)、「義祭同盟」(P13)、「沢宣嘉~井上馨」(P32)、「鍋島正直(閑曳)」(P33)、「葉隠れの武士道」(P34)、「江藤新平」(P34)、「フルベッキ」(P43)、「重信の地歩」(P48) 「ハリー・パークスとの交渉」(P53)、「木戸孝允(桂小五郎)」(P57)、「大村益次郎」(P60)、「交換貨幣」(P75)、「統一された日本の金」(P79)、「五代友厚」(P88)、「小出千之助」(P101)、「小松帯刀」(P111)、「伊藤博文と版籍奉還論」(P114)、「新政府の台所事情」(P118)、「三条実美」(P121)、「横井小楠の暗殺と三岡八郎」(P126)、「中御門紀之」(P194)、「久世治作」(P156)、「四進法の由来」(P165)、「『円』の誕生」(P173)、「贋二分金」(P209)、「重信の出自」(P213)、「渋沢栄一」(P228)、「大久保利通と三岡八郎へのライバル心」(P267)、「新貨条例と廃藩置県」(P273)


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