
日本女子大学泉山館
所在地:文京区目白台2-8
建設年:戦後
構造・階数:RC・4+R
備考 :2005年に解体
Photo 1998.5.9
戦後の建物だったそうだが、正門の正面に堂々と建つ姿が印象的だった。
4階部分は増築だったのだろうか。よく見ると屋階には瓦屋根が掛けられている。
この建物の右側に新しく高層の校舎が完成し、2005年にこの泉山館は解体された。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区 #大学
日本女子大学泉山館
所在地:文京区目白台2-8
建設年:戦後
構造・階数:RC・4+R
備考 :2005年に解体
Photo 1998.5.9
戦後の建物だったそうだが、正門の正面に堂々と建つ姿が印象的だった。
4階部分は増築だったのだろうか。よく見ると屋階には瓦屋根が掛けられている。
この建物の右側に新しく高層の校舎が完成し、2005年にこの泉山館は解体された。
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#失われた建物 文京区 #大学
旧亀井伯爵邸
所在地:文京区千石3-37
構造・階数:木・2F
建設年:1884(明治17)
解体年:2003(平成15)
Photo 1994.12.4
千石の住宅地にあった洋館。撮影時には葉山商店として利用されていた。屋根中央のギャンブレル状の窓や、2Fのアーチ型の窓が印象的。小路の突き当たりにあったのだが、建物の正面に建つ電柱が邪魔。
大切に使われていたようだったので、安心かと思っていたが、持ち主が替わったのか、その後、あっさり無くなってしまった。残念。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区 #近代建築 #住宅系 #洋館・洋風住宅
佐藤探偵事務局
所在地:文京区大塚5-2-10
建設年:1936(昭和11)
構造・階数:木・2F
備考 :解体・マンション化
Photo 1994.12.18
洋館で探偵事務所というのは珍しかった。春日通りに面して瀟洒な外観を見せていたが、春日通りの拡幅に伴い通り沿いの建物が建て替えになる中で、この建物も失われた。
廃景録 > 佐藤探偵事務局
佐藤探偵事務局、君塚接骨院/大塚5丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 文京区 #近代建築 #商業系
文京区立窪町小学校
所在地:文京区大塚3-2
建設年:1926(大正15)
構造・階数:RC・3F
設計 :中村與資平
2006(平成18)に解体・建て替え
Photo 2000.6.3
大塚のこの小学校も、いわゆる震災復興小学校のひとつ。屋上の装飾が目立つが、基本的にモダニズムに近い感じ。春日通りに面して建つコの字型をした平面型の建物だった。数年前から敷地北側のスペースに新校舎が建設され、2007年春に工事完了した模様。
Photo 2006.3.24
2006年春の時点では旧校舎がまだ残っていたが、その後取り壊されたらしい。写真の時点で既に後方に新校舎が建設されていたようだが、全然気が付かなかった。
Photo 2006.3.24
中央上部の学校名レリーフ。戦前のものらしく、右から書いてある。壁面が少し桃色がかった建物だった。
関連・参考サイト記事:ぼくの近代建築コレクション > 窪町小学校
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区 #近代建築 #震災復興 #学校 #中村與資平
同潤会大塚女子アパートメント
所在地:文京区大塚3-1
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・5F
備考 :2003(平成15)解体
Photo 1995.1.25
同潤会唯一の女子専用アパート。女子専用だったので、残念ながら内部を見る機会は無かった。女子教育の発展を知る上でも貴重な文化遺産と言われていたが、老朽化のため、東京都の方針で解体されることに。保存運動もぎりぎりまで続けられたが、解体方針は変わらなかった。
玄関付近。地下にウォーキングクラブなるものがあったが、どんなものかは知らず。
Photo 2000.6.3
最期の頃は、タイルの剥落が多かったのか、ネットが懸けられていた。
包帯を巻かれてしまったみたいで無惨。
Photo 2000.6.3
現在、跡地には図書館流通センターのTRCビル(12F・B1F、2013竣工)が建っている。
Wikipedia > 大塚女子アパート
大塚女子アパート/文京区大塚3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 文京区 #近代建築 #住宅系 #集合住宅 #同潤会
国宝社
所在地:文京区 小石川3-36
建設年:1956(昭和31)
構造/階数:RC/4F
備考 :2008.3〜2009.11に解体
Photo 1998.6.8
国宝社は1919(大正8)年に創業した製本会社。この建物は1956(昭和31)年に小石川工場として建てられたものだったようだ。しかしGoogle Street Viewでみると、2009年11月時点で既に解体されており、現在、同所は村中医療器東京支店となっている。
窓が横に連続(横連窓)して外光を多く取り入れていたり、コーナー部分が丸められているあたり、モダニズムの工場デザインをかなり意識した建物だったのではないかと思う。戦後の建物でもあり、あまり話題にはなっていなかったのだろうが、ちょっと印象的な工場建築だった。
いつも参考にしている「ぼくの近代建築コレクション」内の記事、「国宝社小石川工場」には2007年2月の写真があるが、この写真では「株式会社ヤマシタ第二工場」という看板が見て取れる。
この株式会社ヤマシタは近くの小石川3-36-6に本社がある印刷会社のようで、現在は第二工場が小石川3-38-12にある。同社のサイトでは「2008年3月に第二工場移転」とあるので、写真の工場建物は2008〜09年に解体されたようだ。
ところで、現在のヤマシタ第二工場の場所は、現在の国宝社の本社の所在地でもあり、Google Mapでも「(株)國寶社ビル」と記されている。両者のサイトには相互の関係は書かれていないようだが、印刷と製本という同種の事業でもあるので、昔から相互にかなり関係のある会社だったのではないかと思われる。
国宝社小石川工場/小石川3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 文京区 #オフィス #工場
東京都交通局 大塚営業所
所在地:文京区大塚1-4
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2F
備考 :2016〜17に解体
Photo 2006.3.24
もともと東京市電の車庫として1925年に開設されたものだったそうだ。
1928(昭和3)年に市バスの営業所になり、その後、都バスの大塚営業所になった。
2008年に大塚営業所から巣鴨自動車営業所大塚支所となり、更に2015年に巣鴨営業所に統合され、閉鎖されたそうだ。
Photo 2011.9.27
道路に近い場所の2階建ては事務所。装飾がほとんど無いモダンデザインのオフィスだが、一番手前の1階部分だけ、張り出した小部屋が付いている。案内所か守衛室だったのだろうか。
Photo 2011.9.27
敷地の奥の方にはRC造平屋の車庫建物が建っていた。
Photo 2016.4.20
2016年4月時点で建物は存在していたが、既に工事用囲いで囲われていた。
2017年10月時点のGoogle S.V.では既に解体されており、現在は更地の模様。
Photo 2016.4.20
東側に隣接するアトラスタワー茗荷谷の低層部2階からは閉鎖後も敷地内を覗き見ることができていた。バスがいなくなった駐車場はがらんとしていた。
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#失われた建物 文京区 #近代建築 #自動車 #オフィス #公共施設
リード
所在地:文京区小石川2-17
建設年: ?
構造・階数:木・2F
備考 :1998〜2000に解体
Photo 1998.6.8
看板には「プロセス製版一般 株式会社リード」とあったが、ネットで検索しても現在はそのような会社はないようだ。小石川界隈には印刷製本関連の中小企業が多く集積しているが、この会社もその関連会社だったらしい。
六角坂という坂道に沿った建物で、通り沿いの間口が長い工場だった。一段高い場所に引き戸の扉があるが、これはトラックを横付けして、荷物を載せたり下ろすのに便利なようにしていたのだろう。
この建物はこの後、2000年頃までに解体されたようで、2001年版の住宅地図で既に駐車場になっている。跡地には「ブルーガーデン小石川」というマンションが2003年1月に完成している。
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#失われた建物 文京区 #オフィス #工場
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鈴木工業写真社・玉木屋食料品店・音羽自動車内装シート製作所ほか
所在地:文京区 大塚5−21
構造・階数:木造・2F
Photo 1996.10.12
最近のようすをGoogle S.V.で確認したところ、手前の2軒長屋、出桁造りの仕舞屋とモルタル看板建築の鈴木工業写真社は解体されて、現在はコインパーキングと4階建てのビルになっている。
その奥のモルタル看板建築商店(玉木屋食料品店)、音羽自動車内装シート製作所、仕舞屋2軒は、昔の航空写真などから判断したところでは、もともと4軒長屋だったようだが、手前から3軒目は建て替えられたか大幅に改装されている。玉木屋食料品店は変わらず。2軒目の音羽自動車内装シート製作所と4軒目はファサードが今風の看板建築状に改装されている。
左端の電柱そばに写っている3軒はもとは構造が一続きだったようで、ファサードは改変されたが、構造は現在も一体のままのようだ。
というわけで、完全に解体されたのは手前の2軒部分だけのようなのだが、出桁造りやモルタル看板建築の街並みではなくなったため、現地を歩いて見た時の印象はかなり異るものになっている。
長栄商店、音羽自動車内装シート製作所/文京区大塚5丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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#街並み 文京区 #失われた建物 文京区 #古い建物 文京区 #看板建築
大正湯
所在地:文京区 大塚5−25
建設年:?
構造・階数:木造・2F
備考 :2006(平成18)7月廃業、その後解体。
Photo 1996.10.12
宮造り型の有名な銭湯の多くは妻入りの入母屋の建物で、玄関部分に千鳥破風や唐破風を付けていたりすることが多い。しかしこの銭湯は平入り建物で、間口は大きいが大型の入母屋ではなく、玄関もモルタル塗りの比較的簡素なものだった。
また、90年代時点では玄関の左右にコインランドリーなどが設置されていた。
Photo 2006.3.24
創業年や建物の建設年代は不明。銭湯については、ファンの方が体験記を多くネット上に掲載しており、主人へのインタビューなどもあって、建設年が分かることもあるが、この大正湯に関してはネットで調べた限りでは把握できなかった。
2006年3月時点ではまだ営業していたが、2009年11月のGoogle S.V.では既にコインパーキングになっている。ネット上の廃業情報によれば、2006年7月2日に廃業したというので、その後、解体されたようだ。
銭湯目次 - 文京区銭湯2a
風呂屋の煙突 ~銭湯探訪記・赤線跡紀行 - 大正湯(文京区大塚)
銭湯・温泉・サウナ王国 - 大正湯
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#失われた建物 文京区 #銭湯 #街並み 文京区