少し前のことだけど、
自民党の副総理の麻生さんの発言にいろいろな批判があるようだ。
動機が正しくても結果が悪ければダメだと言ったとか、
きちがい云々とか、言ったとかいう・・・
そういうのを読んでも、そうだ!そうだ!というふうにならないんだよ~
その言葉の奥にあるものを読み取ろうとする力があんまりないように思うなぁ。
とにかく、非難したくて、批判したくて、たまらなくて、
そういうのに飛びついている、感じする。
まぁ、ヒットラーを出さなくてもよかったんだろうとは思うけど、
ヒットラーだって、当時のドイツ国民に選挙で選ばれた。
多くの人がハイル、ヒットラーと叫んで彼を持ち上げた。
持ち上げた人のことは無しにしてヒットラー個人を「害」にするのは
この世をいい方向にもっていかない気がするし。
昔、野坂昭如さんのエッセイで、
「じゃあ、『めくら滅法』というのを視覚障害者滅法と
書けっていうのか!」と書いてた記憶があるけど、
「めくら」や「きちがい」という言葉自体が悪いわけじゃない。
最近では「障害者」も「障がい者」などと表現されていることもある。
「害」という文字に何か恨みでもあるのか・・・
「害」という言葉は存在しちゃいけないのか・・・
まとまってない文章だねぇ・・・