ムカデとことこ

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「自業自得」 (法句経165)

2014-04-10 13:46:17 | 本を読んで
『「自分」というバケモノは、自分自身が心の中で思い描いた、

欲望・怒り・迷いの思考によって、少しずつけがされてゆく。

「自分」というバケモノは、心の中で

欲望・怒り・迷いの思考を思い描かないことによって、少しずつきれいになってゆく。

こうやってけがれるのもきれいになるのも、すべては各自、一人ひとりの自業自得。

他人が他人の心をきれいにするなどできやしないのだから、

よけいな口出しはしないこと。』

・・・これも同じくブッダの言葉の超訳。

おっ、バケモノと来たね。そう、バケモノかもしれないね。

自業自得という言葉はよく聞く。けど、

こんなふうなニュアンスではないように使われているように思う。


欲望、怒り、迷いは仏教で三毒といわれるものらしい。

“欲望”というのは何も途方もない愚かしい欲望に限らず、

子供が元気に怪我も病気もせず育ってほしいだとか、

家内安全とか、美しくなりたいとか、平和な世の中にしたいとか、

人の役に立ちたいとか、そういったものも含むようだ。

まぁ、そういう欲望がなかったら、苦しみなんかはないだろうし。

子供は元気に育ちたいとか欲望してないけど、

そんなこと自分でいちいち思わなくても、元気に育ってしまう。

赤ちゃんは元気に育ちたい、なんてないから悩まない、苦しまない。

そういうことではあるけれど、

おとなは子供のように行かない。

親は子供のことを幸せであるようにと思ってしまう。

親という存在自体にその欲望は備わっている。

そういうものかと思う。

で、そのような欲望は元々あるものだけど、

その欲望すらその瞬間、捨てる。手放す。どこかに置いておく。

預かっているものなので、所有しない。

そういうことを云ってるのかなと思った。


『こうやってけがれるのもきれいになるのも、すべては各自、一人ひとりの自業自得。

他人が他人の心をきれいにするなどできやしないのだから、

よけいな口出しはしないこと。』

本当にそうだなと思う。

それなのについついやってしまう、余計な口出し。

この人の心をきれいにするためにこう言いましょう、なんて

意識して言う人はかなり少ないと思う。

そんなこと意識したことない。思ったことない。

けど、こういう余計な口出し、ついついやってしまう。

だからブッダの言葉を読んでも聞いても、自分にはあてはまらない、となっている。

そうしていること自体に自覚がないから。

そんなことしてるつもりがないから。






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