ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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「問いから始まる仏教」を読んだ

2016-02-28 17:55:00 | 本を読んで
南直哉さんというお坊さんの名を知って、アマゾンで本を買った。

「問いから始まる仏教」

理屈っぽかったけど、伝えたいことが伝わって来たように感じた。

自分が存在する・・そのことを自分に問えと書かれてた。

「仏教は自己を問うものに示す道を持つ」

「仏教は教え自体が『問い』でもある」


自分というものが在る、なんて言えないこと。

『自分』というものは常に関係性の中にある。

個としての自分なんて無い。事実として有り得ない。

他(ひと。もの)と離れて自分はない・・・ 

時を離れて自分はない・・・ 

さっき昼ごはん食べたけど、アレを食べてなかったら、

物理的な身体は今の身体(自分)と違う・・どの私が本当の自分なのか???

まぁ、そういうことだ。

人間ではなく、物も、

そういった形をしている或る物にご飯をよそって食べるという行為をして、

それにご飯茶碗という言葉をつけてみんなで茶碗と呼ぼうということになった。

その物はご飯との関係が出来たからこそ「ごはん茶碗」になる…そういうようなことも書かれてあった。


たくさんの他人、物、出来事と関係して今の自分という流動体が在る。

すべて在るものは関係性の中にある。

在る、とは、なって来た ということだからね。

自分が自分が、という自我なんて何の根拠もないよ・・

そういったことが書かれてあったよ。

その通りだね。

この世は“私”という自我があるから、そこに欲望が生じ、所有が生じる・・

自我がナンセンスだということがわかれば、所有もナンセンス、ということになる。

自分が存在するとはどういうことか・・という問いを持ち、考えることをしないから・・・

この世はいつまで経っても変わらない・・のか・・



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