うっかりしていた。ヤン家のお祖父さんの愛人の件。ひとりめの愛人が「二号」さんなのだから、五人めの愛人は、「五号」ではなくて「六号」さん、なのであった…。あ、念のためですが、これ、もちろん冗談で言ってます。「六号」を辞書で引いても当然ながら色っぽいことはなにも書いてありません。物好きなので、ここで念のためJapanknowledgeのサイトを開いて『日国』を引いてみました。すると、「二号」には、語義の(2)として「(本妻を一号と見立てたのに対して)めかけをいう。」とあり、徳田秋声『縮図』(1941)、井上友一郎『湘南電車』(1953)、庄野潤三『道』(1962)の各用例が載ってます。ほほー。「二号さん」て、そんなに古いことばぢゃないのね。昭和のことばなのか…。以下、「三号」「四号」「五号」「六号」と見出しは立っているけれども、いづれも活字の話がほとんどで、愛人の話は一切ナシ。当たり前だけどね。
ていうか、愛人が何人いても本妻以外はぜんぶ「二号」さんなのかも。なにしろてんで実感のない話なのでよく分からない。
この語義(2)の「二号」ももはや死語でしょうね。1954年には、飯沢匡が、戯曲『二号』を書いて岸田戯曲賞を受けています。そのころの流行語だったのかな。わたしはこのことばを大叔母から教えられた。この人は女学校の英語の先生でしたが、オールドミスで、満州育ちらしくちょっとふわっとしたところのある人だった。だれだったかたしかに憶えていないけれど、ある女優さんがテレビに出ているのを一緒に見てたら、横で、大叔母が「この人はだれそれの二号さん」て言ったのですよ。だれのことだったのかなあ。
ていうか、愛人が何人いても本妻以外はぜんぶ「二号」さんなのかも。なにしろてんで実感のない話なのでよく分からない。
この語義(2)の「二号」ももはや死語でしょうね。1954年には、飯沢匡が、戯曲『二号』を書いて岸田戯曲賞を受けています。そのころの流行語だったのかな。わたしはこのことばを大叔母から教えられた。この人は女学校の英語の先生でしたが、オールドミスで、満州育ちらしくちょっとふわっとしたところのある人だった。だれだったかたしかに憶えていないけれど、ある女優さんがテレビに出ているのを一緒に見てたら、横で、大叔母が「この人はだれそれの二号さん」て言ったのですよ。だれのことだったのかなあ。
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