相変らず齋藤孝さん校訂の『坊っちゃん』を読んでいます。実はわたし、新潮社から出ている朗読CD(4枚組)も持っていて、ときどき、齋藤さんの本で文章を追いながら、新潮のCDを聞きます。朗読しているのは風間杜夫。朗読の底本は明記してないです。とりあえず新潮文庫の本文とは一致するようです。
『坊っちゃん』八。坊っちゃんが赤シャツに「話があるからうち迄来てくれ」と言われて、赤シャツの家に出向く。ここで坊っちゃんはうらなり君の延岡への転勤を知らされることになりますが、それはともかく、赤シャツの弟が応対に出る。齋藤さんの本では「この弟は学校の生徒で、おれに代数と算術を教わる至って出来のわるい子だ。」とある。しかるに、朗読CDではアンダーラインの箇所が抜けていた。そこでまづ新潮文庫をみると、「この弟は学校で、」とあり、やはり「の生徒」を欠いている。
これが、新潮文庫のミスで「の生徒」を落としているんだったら面白いんだけど、残念ながらそうではない。いまちょうど、齋藤さんの本が依拠した『漱石全集』第二巻を図書館から借り出しているのですよ。それによると、自筆原稿に基づく本文は「此弟は学校の生徒で、」とあって、「の生徒」が入っている。しかし、この箇所の校異を見ると、単行本『鶉籠』所収の本文では、ここが「(此弟は)学校で、」となっているらしい。つまり、「の生徒」を落とす異文の元は『鶉箱』だった。
『坊っちゃん』八。坊っちゃんが赤シャツに「話があるからうち迄来てくれ」と言われて、赤シャツの家に出向く。ここで坊っちゃんはうらなり君の延岡への転勤を知らされることになりますが、それはともかく、赤シャツの弟が応対に出る。齋藤さんの本では「この弟は学校の生徒で、おれに代数と算術を教わる至って出来のわるい子だ。」とある。しかるに、朗読CDではアンダーラインの箇所が抜けていた。そこでまづ新潮文庫をみると、「この弟は学校で、」とあり、やはり「の生徒」を欠いている。
これが、新潮文庫のミスで「の生徒」を落としているんだったら面白いんだけど、残念ながらそうではない。いまちょうど、齋藤さんの本が依拠した『漱石全集』第二巻を図書館から借り出しているのですよ。それによると、自筆原稿に基づく本文は「此弟は学校の生徒で、」とあって、「の生徒」が入っている。しかし、この箇所の校異を見ると、単行本『鶉籠』所収の本文では、ここが「(此弟は)学校で、」となっているらしい。つまり、「の生徒」を落とす異文の元は『鶉箱』だった。
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