歌わない時間

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『木枯しの庭』在庫限り!

2010年04月20日 | 本とか雑誌とか
1979年に出た〈新潮現代文学〉第52巻が『曽野綾子』で、bk1によると、入っているのは「木枯しの庭」「わが恋の墓標」「落葉の声」「無為」「エトラルカ岬」だそうです。「木枯しの庭」が入ったのは直近の長編小説だったからかな。「わが恋の墓標」は以前新潮文庫の百冊にも入ってたような気がする。新潮社イチ押しの短編てことか。そうだよだって、「わが恋」はもともと古くから新潮文庫に入っていて、さらに二十一世紀になっていちど復刊になったんだもん。新潮社にこの小説のよほどのファンでもいるのかしら。いやもうその復刊になったほうも現在は品切れですけどね。「落葉の声」は〈現代の文学〉〈昭和文学全集〉にも入ってました。

Amazonに曾野綾子『木枯しの庭』の在庫が残っていたので注文しました。学生時代に一回読んだことはあるんですけどねー。楽天ブックスではもう品切れになっているんですが、たまたまAmazonで見つけちゃったので買いました。新潮社ももう在庫を持ってないようです。Amazonやbk1とかが持っている在庫や、本屋さんの本棚に並んでる現品限りだと思います。

『木枯しの庭』はその数年前に書かれた『幸福という名の不幸』と対になる小説だと思いますわ。もちろんぴったり左右対称みたいになるわけではないけれども、対にして置くとおもしろい。『木枯しの庭』は四十代にさしかかってまだ独身の大学教授の嫁探し小説。『幸福という名の不幸』は父を亡くして働きはじめた若い娘の婿探し小説。そして、事情はそれぞれ違うんですがどちらの婚活もうまくいかんのですわ。『木枯しの庭』のほうは子離れできない初老の母親が出てくる。その息子の大学教授である主人公が母親を断ち切れるかどうかが読みどころ。この、子離れのテーマは、曾野さんの小説には何度も出てくる。短編で「お家がだんだん遠くなる」とか、おもむきは異にするけれど『太郎物語』もこの系列。作者自身の、「子離れしなきゃ!」って思いがウラに透けて見える。『幸福という名の不幸』のほうは主人公の榎並黎子がかしこすぎるせいで、つきつぎ現れる男たちの本質が見えてしまう。あれだけ男を振りつづけるのに、にもかかわらず榎並黎子が嫌味な女にはみえないように書いてある。むしろ物の見えすぎる不幸な女性。作者のこの筆力はたいしたもんです。

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