ディック・フランシス/菊池光訳『騎乗』(ハヤカワ文庫)読了。わたしは面白く読んだけれど、やはり後半はサスペンスに欠ける。もう一ひねり必要だろうし、かたき役の書きこみがもうひとつ。
謝辞に「十八歳の孫、マシュウ・フランシスに感謝すると同時に、/ウェザビイ社とダウニング街十番地、首相官邸に御礼申し上げる。」とある。この小説にはふだんのDF作品とは趣きのことなる点があります。まづ主人公のベネディクト(ベン)・ジュリアードが、語り出しのころは17歳、作品後半でも22歳。ハイティーンが主役というのはシリーズ最年少でしょ。そして今回の作品の背景となるのは政治、選挙の世界で、ベンの父親ジョージ・ジュリアードが国政選挙に立候補して選挙戦をたたかう。そして後半では、主人公がダウニング街の首相官邸に招かれ、首相が出てきて主人公と会話のやりとりがあったりする。
首相官邸が出てくるのはもの珍しいけれど、せっかくの道具立てがそんなには生きてない。もったいない。ディック・フランシスは何かの折りに官邸に招かれて、さらには特別に許可を出してもらって取材させてもらったのかもね。取材させてもらった以上、そういうシーンを書かないわけにはいかなかったんでしょ。
競馬シリーズにおいては、主人公がすなわち物語の語り手で、ほぼ物語の進行する時間に密着した視点で語っていた。でもこの『騎乗』においては、前半の、主人公がまだ17歳であったときの出来事を語るにしても、語り手のほうはすでに22歳過ぎになっていて、十代のころの出来事を回想して語ってるようにみえる。菊池光の訳文のせいもあるのか知らん、十代と思えない落ち着きと判断力で、日本人のわたしにとっては「こんな大人な十代がおるんかいな」と思わせられる。ベネディクト・ジュリアードは17歳にしてすでにじゅうぶん、まぶしいほど大人である。少年が青年へと成長していく物語、みたいな気配はこの小説にはほとんどないです。
謎解き要素はほとんどなくて、かたき役がだれであるかは作中ほどほどのところで明らかになってしまう。最後のヤマ場も、ほぼ何が起ってどうなるか、そこを読む前に分かっちゃう。いや、分かっていてもハラハラするんですけどね。
謝辞に「十八歳の孫、マシュウ・フランシスに感謝すると同時に、/ウェザビイ社とダウニング街十番地、首相官邸に御礼申し上げる。」とある。この小説にはふだんのDF作品とは趣きのことなる点があります。まづ主人公のベネディクト(ベン)・ジュリアードが、語り出しのころは17歳、作品後半でも22歳。ハイティーンが主役というのはシリーズ最年少でしょ。そして今回の作品の背景となるのは政治、選挙の世界で、ベンの父親ジョージ・ジュリアードが国政選挙に立候補して選挙戦をたたかう。そして後半では、主人公がダウニング街の首相官邸に招かれ、首相が出てきて主人公と会話のやりとりがあったりする。
首相官邸が出てくるのはもの珍しいけれど、せっかくの道具立てがそんなには生きてない。もったいない。ディック・フランシスは何かの折りに官邸に招かれて、さらには特別に許可を出してもらって取材させてもらったのかもね。取材させてもらった以上、そういうシーンを書かないわけにはいかなかったんでしょ。
競馬シリーズにおいては、主人公がすなわち物語の語り手で、ほぼ物語の進行する時間に密着した視点で語っていた。でもこの『騎乗』においては、前半の、主人公がまだ17歳であったときの出来事を語るにしても、語り手のほうはすでに22歳過ぎになっていて、十代のころの出来事を回想して語ってるようにみえる。菊池光の訳文のせいもあるのか知らん、十代と思えない落ち着きと判断力で、日本人のわたしにとっては「こんな大人な十代がおるんかいな」と思わせられる。ベネディクト・ジュリアードは17歳にしてすでにじゅうぶん、まぶしいほど大人である。少年が青年へと成長していく物語、みたいな気配はこの小説にはほとんどないです。
謎解き要素はほとんどなくて、かたき役がだれであるかは作中ほどほどのところで明らかになってしまう。最後のヤマ場も、ほぼ何が起ってどうなるか、そこを読む前に分かっちゃう。いや、分かっていてもハラハラするんですけどね。
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