歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

心に移りゆく/心に映りゆく

2014年03月05日 | 古典をぶらぶら
『徒然草』序段の「心にうつりゆくよしなし事を」のくだりですが、「うつりゆく」は、「移りゆく」?「映りゆく」?

きのう、わたしが自分で入力した岩波文庫『新訂徒然草』のテキストファイルから、この箇所をコピー、ペーストして、はじめてあれッと思いました。岩波文庫の本文は「心に移りゆくよしなし事を」となっていて、この部分の注に「心の中を移動してゆく、とりとめもないこと。」とある。これちょっとおかしくないですか? 「心の中を移動してゆく」ってどういうことだろう。すんなりとは意味が分からんです。

ジャパンナレッジ版『新編日本古典文学全集』の『徒然草』では、この箇所、本文「心にうつりゆくよしなし事を」としています。訳文では「心に浮んでは消えてゆく、とりとめもないことを」。そして「うつりゆく」の頭注には「映っては消えてゆく」とあります。

頭注に「映っては」というからには、古典全集においては、当該箇所を第一義的には「心に映りゆく」と捉えているんでしょうね。しかし「浮んでは消えてゆく」とか「映っては消えてゆく」とかの表現から臆測するに、古典全集も「移る」の意を完全には捨て去れずにいるのかもしれない。だからこそ本文では漢字を宛てずに「うつりゆく」と仮名書きにしたのではないか。

この箇所は高校でも教えていると思うけど、教科書ではどうなっているんだろう、とか、久保田淳さんが『國文學』に載せていた評釈ではどう書いてあったろうとか。そのほか、「心にうつる」という言い回しがほかではどういうふうに使われているか、とか、興味は尽きませんが、きょうはタネ蒔くだけで終わり。