ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

市SA連協役員会と西隣区小学校ダンス教室火曜日レッスン④

2013-06-25 23:22:36 | 日記
 今日はこのところのはっきりしない天候になっている。

 晴れるでもなし、雨が降るでもないという状態である。

 今日は午後分から市SA の役員会が行われるが、今年度になって今日初めて参加することになる。

 本来ならば毎月出席することになるが、日程がうまく合わずに参加できなかったのである。

 もともと前年度までは市SAのHP委員の代表ということになっていたが、月に行われた総会の席に出席できなかった私が不在のまま次期(=今年度)もHP委員ということになってしまっていたのである。

 私も色々なところに顔を出しているということもあって市SAの会議に参加出来なかったということが続いたが、役員としているについては何の相談や説明もないまま、総会で決まったということである。

 いわゆる巷間でいうところの欠席裁判である。

 ところでこのSAの組織も現在色々厄介なことになって来て今年度から大きな組織変更が行われたのである。

 今までは府内で番会員の数も多いということであった。

 すなわち私が市SAに入会した頃よりもずっと会員数も減り、今では会員の数では府内で2番目ということになってしまった。

 市の人口は断トツで一番多いにもかかわらず、そうなってしまったからにはそれなりの原因があるはずである。

 言い換えれば、それだけ市SAに魅力を感じないという人が増えて、辞めるとともに新会員の入会が非常に少なくなっているということでジリ貧状態に陥ったということははっきりしている訳である。

 人口は府内でも数番目という市が最も多い会員数を抱えることになったのには、魅力のある組織づくりや会員の積極的参加を促す前向きの何かが必ずあるはずである。

 今年度から当市SAの大きな組織変更があったと先述したが、以前は人数も多かったということもあって市内をつのブロックに分けられていた。

 それぞれのブロックにブロック長を置いて副会長を兼任して互いに競い合いながら前進していこうという考えだったようである。

 会長は自薦、他薦で選出され、総会で承認され各ブロックのブロック長と役員会を催し、そして各ブロックからは人づつの事務局員を選んで事務局会議、そして役員、事務局員,さらに各ブロックから人選んだ幹事を交えて市SA全体の議題の審議をしてきたわけである。

 しかし事務局会議、幹事会もなかなか参加しない人が多くなり昨年度から役員会、事務局会議、幹事会のつをつにした合同会議にしたのである。

 それでもなかなか集まらないということで今年度からは完全に組織を縮小してブロック制の廃止とともに各ブロックからの事務局員や幹事も人員を縮小して再出発をしようということになったのである。先ず会長、そして副会長名、会計名、事務局人、幹事4名、相談役3名の名で役員会を構成して物事を決めて行こうということになったのである。

 合計名の役員会ということになったが、私は幹事ということである。

   今日参加予定メンバー名の中で名が欠席ということで名の参加者である。

 名の欠席者は相談役名、会長、幹事名でうち会長は倒れて骨折し、幹事の人は月のグラウンドゴルフでご一緒した真面目な男性だが入院しているということである。

 男性の奥さんと会った女性副会長の話では、病名も病院名も教えて貰えなかったということだが、非常に痩せておられるということである。

 相談役は予定が合わなくて不参加という電話が入った。

 もう一人の幹事は連絡なしということである。

 こんな調子でも参加率はましな方だということだが、今日初めて参加した私が言うのは気が引けて心苦しいが、会員が魅力を感じずに去っていくのもうなずけるような気がする。

 会員になっている人も何かの役に立てばという純粋な気持ちの人もいれば、何となくやっている人もいる中で、同じやるなら生きかたの持てる、或いは楽しく出来て、自分でも満足のできるものをと期待して会員になる人もいるのである。

 それが実際に会員になってみて組織の在り方とか、その組織の中の人間関係など思っていたものと違ってギャップを感じさせてしまうとお終いである。

 いつのころからかこうした退潮状態になって組織として存続できるかさえ危ぶまれてきた昨今である。

 特に今の会長になってから加速度的に辞めて行った人が多く私が入会した時よりも会員の数も%以上少なくなっている。

私は所属している福祉IT部会とHP部会がなければとっくに辞めているはずだったが、両方の部会が存続している限りは市SAに籍を置かざるを得ないということである。

 この辺りについてはなかなか難しい問題もあるので簡単には解決できないことになる。

 夕方からは西隣区小学校ダンス火曜教室があるのでいつもの様に時前に自宅を出てバス停に向かう。

 今日のバスは定刻通りやって来たが、運転手によってあるいは曜日によって運行時間が違ってるのだろうか。

 したがって今日は分に学校の門扉の前に来たがカギがかかったままである。

 校庭には年輩の男性が入っているのが見えるがいったい誰がどこから入ったのかと思っていたが、すぐに今日の当番の男性(Y氏)がやって来てカギで開けたところ、校庭に入っていたのはダンス教室のメンバーである。

 どこから入ったのかと聞けば脇道から入ったところにある学校の北側にある表門に回ったところ女の先生がいて、ダンス教室の者であると言ったら中に入れてくれたとのことである。

 一緒にレッスン会場の教室に入り準備をする。

 やがて少しづつやって来たが昨日の月曜教室と同様に開始時刻には女性が人と少なかったが、が定刻を過ぎてから人になった。

 この教室では第週目にはブルース、マンボ、ジルバを行なうことに決めているが、これらの種目はダンスのとっかかりに行なうことはあっても継続してすることはあまりないようである。

 このことは私にとっては有難くダンスの基本がから学べるし、同様にこの教室で新しくダンスを始めた男性人にもいい結果を出すものと思われる。

 前半はブルース、そしてマンボと行ない、休憩後の後半にジルバとなる。

 ジルバは火曜教室として月の発表会での出し物となるから、今後毎週少しづつ継続していくことになる。



西隣区小学校月曜ダンス教室6月レッスン④&ダンスのキッカケ②

2013-06-24 23:41:30 | 日記
 今日は曇りで始まったが、時間と共に晴れ間も出てくるようになってきた。

 今日もいつもと同じようにメールとカレンダーをチェックしたが、夕方から西隣区小学校月曜ダンス教室があるだけでここしばらく忙しくしていたが、今日はゆっくりできることになる。

 こんな日には図書館に行きたいところだが、あいにく月曜日はお休みということで残念である。

 日ごろ出来ない部屋の整理を少しだけでもやっておこうと始めたが、写真が出てきて、日付のうってない写真については大体の感で写真の裏に書いていく。

 それとつい何でも後で必要になるかもということでしばらく置いていたものも、そのままになっていて、しばらくして整理するつもりだったものが、かなりの年数が経っていたりすることがある。

 この辺りは母親譲りをそのまま受け継いだ感じであるが、自分でも苦笑しながら出来るだけ必要ないものは処分するように心がける。

 そしてイヤになるとゲームを興じることになる。

 ところで今日も夕方のダンスまではこれということもしていないので先週の日(金)のブログにダンスを始めたきっかけを書いたが、今日はその続きを記述することにする。

 前回は北隣区の歴史の会で一緒だったMiさんが当区にある市の施設で行われた「初めてのダンス教室」に参加していたのがきっかけで話をするようになり、このレッスンが終わった後にどうするのかと聞いたら「年程前から、別のところで習っている」というので待ち合わせて、その地区の会館に見学に行くところまでで終わっていたと思う。

 会館でのダンスは午後時から始まるが、その時間ほど前に待ち合わせてから会館の近くにある喫茶店に入って予備知識として色々聞かせてもらった。

 それによると上級と初級のクラスに分かれていて上級クラスは日曜日の午後時から時までの時間で、初級は月曜日の午後時から時までの時間だということである。

 通常ダンスレッスンというと時間分か、時間ほどであるが、初級クラスだけ時間になったのは最近からで、初級のクラスの人が少なかった関係で早く覚えてもらおうと男の先生が時から行っていたのを時間繰り上げて初心者のために特別に行なうようになったということである。

 たまたまそこに私もやって来たということで、レッスン時間もそのまま同じように継続することになったようである。

 女の先生がこのダンスクラブを起ち上げたようで、レッスン料も安く、男の先生に月謝ということではなく、指導に対するお礼ということで盆や暮れの前のクラブ発表会でお礼金として渡していた。

 私がこのダンスクラブに行くようになってから「男の先生は何歳ぐらい」とMiさんに聞いたけどはっきりしなかったがその頃で「前ぐらいだと思う」ということであったし、女の先生は男の先生と合わせて歳ということを言ってたそうであるが、アシスタントという形でしかも報酬なしで務めていたということを後から聞いて知ったのである。

 その当時、上級も初級も同じ先生とアシスタントで行なっていたが、昔はどちらのクラスにも結構な人数の人たちが来ていたということだったが、私が入ったころは上級に人程の高齢の女性ばかりが来ていた。

 初級クラスにはMiさんとその年前ぐらいから来ている女性の人、そして中級の私より歳ほど年輩の男性人であった。

 私が入ったということで同じ会館の水曜日のダンスクラブ(レッスンはなくパーティ形式)に来ていた女性を女の先生が引っ張ってきたので女性が人になり、さらにしばらくしてもう人の女性がやってきて、入った当初は女性人と男性人、それに先生とアシスタントで行なっていたが、その頃が一番活発にやっていた時期である。

ということで今日はここまで。また続きは後日に記述することにして日記に戻ります。

 夕方時前になったので準備をして西に向かう最寄りのバス停に行くと若い男性が一人ベンチに座っていたが、私も反対の端に座ってバスを待っていたが段々人が増えて来た。

 そして分遅れてやって来たバスには人が乗り込む。

 目指すレッスン場となる小学校にやって来たが、門扉は開いたままになっていて、自転車が沢山置いてあるから別のグループが来て開けたままにしているようである。

 中に入ってから重い門扉を引いて締める。

 すでに当番の姉妹は来ていて準備をしている最中であったから、私も手伝う。

 そのうち人、人とメンバーがやって来たが、いつもより集まりが悪く、定刻になって体操を始めた時には、女性も人ほどである。

 時刻を過ぎてから女性は人になったが火曜教室が出来る前の頃から比べるとかなり少なくなった感じである。

 今日も前半はチャチャチャで他のレッスン場では余りやってないらしいがチャチャウォークから始まった。

 先ほど書いた北隣区の会館ではやってなかったのでいい加減なステップであったが、ここでしっかり基礎の基礎を学べるので非常に有効である。

 先生の話ではこんなことは他の生涯学習センターではなかなか教えてくれないということで、基礎が出来たらステップは色々あってもすぐに覚えられるからということである。


元副会長の勤務先OB会の案内

2013-06-23 23:46:34 | 日記
 今日も曇りで始まった。

 今日は第日曜日であるが、当区ガイドの会の元副会長が現役の頃に勤めていた同じ職場の人達で構成していた山歩きの会が退職してから毎月、奇数月は第土曜日に、偶数月は第日曜日に色んなところを歩いているということである。

 高齢になって足腰が弱ったので街歩きに変わったというOB会のメンバーを案内することになっている。

 今日は朝時迄にJRターミナル駅に集合して時に出発することになっているが、案内する当区ガイドの会のメンバーは分に集合することになっている。

 余裕を見て自宅を分ごろに出て最寄りの地下鉄駅から集合駅までは駅なのですぐに到着したが、集合場所としてはJRのターミナル駅で利用することが多い中央改札口ではなく、東口ということである。

 集合場所として東口へ行くのは初めてなので降りた地下鉄駅からどのルートで何番出口に向かえばいいのか分からないが、電車の後方に乗った方が近いだろうことは想像できるので後ろの方の車両に乗ることにした。

 目指す駅に到着して後ろの改札口を出たはいいが、はじめての改札口なので傍にいた駅員さんにJR駅の東口に行くには何番出口から出たらいいか聞いてみた。

 番出口ということで階段を上がったところが、まさに東口にドンピシャである。

 しかし未だ時ちょうどだったので時間が十分あるから地下街を歩くことにしたが、たまたまコーヒーショップがあったのでホットコーヒーを飲むことにしたが円である。

 出てきたコーヒーをトレイごと持って奥の方に入る。

 プレゼン用に持ってきたAのクリアブックを見ようと開けたら昨日文化財研究所で作った古代の都の瓦頭の拓本がないではないか。

 どうやらクリアブックを小脇に挟んで持ってくる途中で逆さまにしたのか江戸時代の瓦頭はあったものの、大事な古代の都の瓦頭の方がなくなっている。

 今更慌てたってどうしようもないが、新聞紙にくるんで持って帰って来たものを、クリアブックに入れたのがそもそもの間違いである。

 またの機会に作るしかしょうがないが、馬鹿だね、ホントにバカである。

 気を取り直してコーヒーを飲み終え、集合時刻の分の分前になったので東口に行くと当区ガイドの会のメンバー人が来ていた。

 元副会長と、現副会長のY氏、それに男性の新人さんの人である。

 予定しているガイド担当のT氏だけがまだ来ていない状態である。

 今日の参加者のうち早くも名が来ていた。

 元副会長自身が歳ほどになっているので、OB会も歳を超えた人が何人もいるようである。

 やがて当区ガイドの会のT氏もやってきたが、今日のガイドをするのは新人以外の名がそれぞれポイントを受け持つが、私は今までに北隣区を案内しているので最初の方を担当することになったが、今月の定例会のときに元副会長からの要望でどこを担当するかを予め決められていたのを追認する形になった。

 私が担当したのは北隣区のメインとなる古代の寺院推定地、そして最近出来た日本一高いmのビルのビューポイント、そしてその区の区民センターのロビーに展示している漁具の土錘や壺、食器などの出土品、それに最初に行った古代寺院推定地の北側から出土した瓦や土器なども展示しているのでそれらの説明、そして私の担当した最終ポイントとなった王子神社である。

 JR東口を出発したが参加者は名であつたが、当区ガイドの会のメンバーは名であるが、危惧した通り最初から列が延びている。

古代瓦の拓本取りに初めてチャレンジ

2013-06-22 22:05:45 | 日記
 今朝は昨日までの雨も止んで、空は曇った状態になっているが、メールやカレンダーをチェックした後に天気予報を確認したところ曇りから晴れになるようなので、しばらく出来なかった洗濯を行なうことにした。

 着替えの下着や靴下の在庫が段々少なくなってくる中で、いつ洗濯が出来るか気が気じゃなかっただけに久し振りの洗濯ができたのでヤレヤレである。

 今日は朝時から文化財研究所に行って古代瓦の拓本を取ることになっているので自宅を時には出る必要があるので、朝食を準備しながら洗濯機を回し、洗濯槽の水を流して、またキレイな水を入れて濯ぎをして行く。

 その度ごとに台所から洗濯機まで行ってスイッチを入れたり、水を入れたり流したりと行ったり来たりを繰り返す。

 以前のブログにも紹介したが、自動洗濯機を使うことは一切しないでアナログ作業をすることに徹しているから槽式の洗濯機を使って、洗い上がれば脱水機にかけ、脱水が終わればまた洗濯槽に洗濯物を移し、水を流し入れ、スイッチを入れて濯ぐということを繰り返し行うのである。

 便利な自動洗濯機があるからそれを使わないなんてバッカじゃないか、なんて思う人もいるだろう。

 しかし逆に私から言わせてもらえば、そんなことをしてるから身体や手足、指先、そして頭を使わなくなってドンドン退化し、早く老化して息子や嫁、娘、そして他人の世話にならなければならないようになるんだと言っておこう。

 中には歳を取ったら誰しも他の人の世話になるんだから、同じことだと思っている人もいるかも知れない。

 しかし、ちょっと違うんだナ。

 ずっと元気でいればある日ポックリと逝くんですヨ。

 いわゆる老衰で眠るようにあの世に逝けるようになる日が来るのだ、と言っておきましょう。

 これが本当のお迎えである。

 痛い目をしたり、辛い目に遭ってあの世に行くのとちょっと違うし、家族や他人の手を殆ど煩わせないということである。

 だからいつまでも元気にシャキーンと生きて行きましょう。

 話がまたそれてしまったが、日記を続けよう。

 洗濯物を干して、食器を洗ってコーヒーを飲んでしばらくしたら時近くになったので、出かける準備をして、着替えを済ませたら時を少し回ったのですぐに地下鉄駅に行く。

 土曜日の朝だというのに結構な人が電車に乗っていたが、路線を乗り替えて文化財研究所の作業所にやって来た。

 文化財研究所のオフィスは高大と同じビルの中にあるが作業所の方はオフィスがあるビルの南の方にある階建ての建物である。

 ここに市内各地から出土した瓦や土器などの資料を一旦保管し、土などを取り去って、割れている土器などを接合したりして出来るだけ元の状態に戻す作業をしているのである。

 今日はここで瓦の拓本作りに初めてチャレンジすることになったが、リレーウォーク実行委員会で知り合い、何度も顔を合わすようになって経験させて貰う機会を得たわけである。

 月~金曜までは通常の勤務なので業務と直接関係ないことは出来ないから、わざわざ休日である土曜日に出て貰って我々のために時間を作ってくれているのである。

 今日だけじゃなく、月の第土曜日である日もだったが、この日は当区ガイドの会の定例会があって参加できなかったのであるが、別のグループの人たちが参加していたわけである。

 また月に入ってからの土曜日でも希望者の数がある程度揃えば機会を設けるとのことで、すでに予約が入っているようである。

 今日の参加者は人だと聞いていたが、朝作業所に来たのは私を含めて男性ばかり人で、少し遅れるという連絡があった女性が後から加わった。

 時になったので作業する部屋に入って座ったがテーブルには作業道具が置いてあり、その周りには土器や瓦などが入ったコンテナボックスが何段にも積まれて部屋の回り全体に置かれているので凄い数の資料である。

 作業を始める前に若いころから教授と共に発掘に携わり、拓本作りのベテランでもあるYという高齢の女性から拓本には乾式と湿式があるという話から始まる。

 乾式とは子供の頃にやった経験もあるかと思うが資料の上に紙を置いてその上を鉛筆でなぞって行くやり方で凹んだところは白く残るし、なぞったところは鉛筆の色が付くという単純なものである。

 湿式は文字通り資料の上に水で湿らせた紙を置いて、資料の形に合わせて紙を押さえていき、出来るだけシワが出来ないように延ばして、紙を乾かせ、その上を墨を含ませたタンポンなどで凸部に墨を付けていくという方法である。

 この湿式でも美術用と文化財保存用のやり方と分かれるとのことで、美術用は誇張したり、色を鮮やかにしたりとか、いろいろ加工するが、文化財保存の場合は元の資料に忠実に、しかも書道で使う墨の材料となる煤(すす)とオリーブオイルを練って作るということである。

 市販もされているが、この作業所では書道用の墨を作っている所から煤を分けてもらい自前で作っているそうである。

 レクチャーを受けた後、午前中はトライアルということもあって何か問題が起きても余りダメージにならない江戸時代の軒丸瓦の瓦頭(がとう)で行う。

 実際にやってみるとなかなか難しいもので慎重にやったこともあって時間はかかるし、瓦の凹凸の差が大きかったということもあって途中で破れが生じてしまったし、シワが数多く入ってしまった。

 つ目は午前中に終えて一段落した後、昼食に皆と出かけたが、どこに行くかと思ったら、水曜日に来る高大の隣のビルにあるレストランにやって来たのである。

 先々週度来て食べた限定のソフトドリンク付き円ランチが円になる割安のランチがあることを教えたら全員それにすると言う。

 食べながらいろいろの話が出てきたが、私以外は同じ区の会のメンバーなので聞き役に回る。

 食事を終えてソフトドリンクを飲み終えて作業所に戻ったら分で時間オーバーである。

 早速昼から作業に入ったが、午後からは古代の都の中枢部にあった建物の瓦頭で非常に貴重なものだから絶対に傷つけたり、墨を付けたりしないようにとの注意があり神経を使う。

 注意深くやって回目の時より少し慣れたというか要領も少し掴んで時間はかかったものの、いいものが出来上がった。

 めいめい自分で作ったものを持ち帰ってくださいということで午前と午後に作ったものを新聞紙に伸ばして丸めて持ち帰る。

 いつものようにバス路線に乗り替え停留所横のスーパーで買い物をして帰ってくる。

区民センターダンス教室⑩(最終回)

2013-06-21 22:23:34 | 日記

 今朝は雨がそこそこ降っていたが時間の経過とともに、段々と小降りになって一段落した感じになってきたが地域によってはかなりの降雨量で被害が出たところもあるようだ。

 九州に台風号が上陸したものの温帯低気圧になり、西日本から東日本へと列島に沿うように伸びている梅雨前線が刺激されて、所によっては強い雨を降らしたようだ。

 幸い当地区に於いては被害も出ず、雨にも左程影響されることはなかったものの、ぐっと気温も下がり肌寒ささえ感じる。

 今日は先日から通っている歯科医に行く予約が入っているが、月、水、金は時刻の予約ではなく午前か午後かの大まかな予約で、大抵は午前の予約にして今までは開院まもない早い時刻に行くことが多い。

 しかし今日はゆっくりして分を過ぎてから出かけた。

 というのも前回のように早く行ったら待合所が一杯だったから時間をずらしてゆっくりした方が空いているのではないかと思ったからであるが、思惑通り待合所には人の男性だけだった。

 ただ図書館などに出掛けたいときにはどうしても早く行かざるを得ないが、今日のように雨が降っていて最初から行くことを諦めた時などは、ゆっくり出来るので今日のようにすればいいわけである。

 今日は歯の土台を作るとかで歯型を取るということで、上顎と下顎の順番に型取りの枠を嵌めて型取り用の溶剤が固まるまでしばらく時間がかかった。

 溶剤の臭いがまた、シンナーのようで鼻につく。

 また週間後に型が出来るので来るようにと言うことで予約日を今日と同じ金曜日に決めた。

 その足で近くの商店街にあるスーパーに行き、発泡酒と柿ピーなどを購入して自宅に戻り、昼食作りに入った。

 通院と買い物に出た時は小雨だったが帰って来る時にはやや降っている状態で安定していない天候である。

 夕方からは区民センターダンス教室のシリーズ回目となり、いよいよ今日が最終日となる。

 次回はしばらく空いて月から新たなシリーズが始まることになるが、いつもだったらレッスンをか月ほどやっては、か月ほど休むという感じで年間では回のシリーズだが、今年は今日終わると月のか月休みと言うことになり、やや変則である。

 しかし先生の都合もあるのでこういうことになったものと思われるが、そもそもこの区民センターダンス教室に通い出したのは去年の月からである。

 したがって昨年はシリーズが回あり、今日終われば今年は回終わったことになるので、今までに回のシリーズを通ったことになる。

 ずっと昔退職して未だ間もない頃、区民センターダンス教室があることを知って一度だけ来たことがある。

 もちろんその頃は全然ダンスをしたことがない時期である。

 今の区民センターダンス教室でも参加者が多いが、その頃は前の古い庁舎の時であったが、もっと多くの参加者で、しかも知り合いもなく人で参加したものである。

 ところが参加している人は殆どの人がもう何年もやっている状態の人が多く、そういう人たちは私のような新米を相手にせずに知り合いの人同士でさっさと踊っている。

 新米の人もいたが、分からない者同士で踊っていても全然サマにならないので回通ってすぐ辞めてしまった。

 料金は今と同じで割安ではあったがドブに金を捨てたようなものである。

 従ってそれ以来ダンスには縁がないと思っていたのだが、それから何年かして、以前のことなんか忘れていた頃のこと、今から年程前に今度は当区にある当市の別の施設主催で「初めてのダンス教室」という全くの初心者を対象にして回シリーズで行われるとの広報を見て申し込んだのである。

 当日行くと、全くの初心者ばかり男女それぞれ人づつぐらいが参加したが、その中になんと、今は集まることがなくなった北隣区の歴史の会のメンバーが数人来ているではないか。

 男性が人に女性人である。

 しかも当区の人間は私だけで、他のメンバーは、全員他区から来ているというアンバランスな感じだったが、多分誰かが広報で知って他のメンバーに呼びかけたものとばかり思っていたが、あとで聞くと一部の人はそうだが、他の人はたまたまそうなったようである。

 その中に今回の区民センターダンス教室シリーズから来るようになったMiさんがいたのだが、その頃は歴史の総会などで顔を合わせているので知ってはいたが話したこともない状態であった。

 「初心者ダンス教室」は新米ばかりだからステップつ覚えるのも大変な人もいたが、私はそれなりに何とか付いて行けたのを覚えている。

 そうやって簡単なステップだけであったが、毎週その教室に通うのが楽しくなってきたが回シリーズなんてすぐに終わるので何回目かの時に、この後どうするのかMiさんに聞いてみたら、何のことはない現在年程別のところでダンスを習っているとのことである。

 で、そこはいくらの月謝なのか、何曜日の何時からレッスンしているのかなどを聞いた。

 そして先生に話してみて良かったら見学に来たらというので、先生に聞いたらOKだということだった。

 ただ北隣区のレッスン会場の場所が全然わからないので待ち合わせて一緒にやって来たのがその地区の会館である。

 話せば長くなるのでこの話はここまでにして、また次の機会に続きを記述します。

 このあとは今日の日記に戻ります。

 午後分になったので区民センターダンス教室に出かけることにしたが、出かけるときには雨が止んでいたからうっかり傘を持たずに出かけるところだったが、雲行きはまだまだ安心できない状態なので折り畳み傘を持って出ることにした。

 区民センターに到着したのは分ほど前であったから既に、Sさんや、Miさんは来ているものだと思ってたら人とも来ていない。

 しかも今日はそれ以外の人も来ている数が少なく時のスタート時にはいつもの半分ぐらいの人数のようである。

 前回迄のアルガメーションをシャドウで度続けた後、組んで踊ることから始まる。

 後半はパーティ形式にするということなのでレッスンは前半だけになり、ワルツとチャチャチャの両方をするので時間的にゆとりがない。

 結局Sさんも、Miさんも来ないまま時間が過ぎてパーティ形式に変わったが、パーティにほとんど出ない私だからずっと休んで途中で帰ろうかと思ったが今土砂降りの雨が降っているとのことであった。

 仕方がないので今日のメニューであるワルツとチャチャチャの音楽の時だけ踊ったようなことである。