ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

当区ガイドの会定例会・勉強会、そして「あそ歩」会議

2013-06-08 23:23:00 | 日記
 今日も午前中の早い時間帯はまだ涼しさが残るものの、時間の経過とともに少しづつ暑く感じるようになって来た。

 今日は第土曜日ということで当区ガイドの会の月例会と勉強会が行われることになっている。

 勉強会が行われる日は分から定例会が行われることが多く、今日もその時刻から定例会の開始ということになった。

 いつものように会長の挨拶に始まり、その後、各セクションの世話人から先月の定例会以降昨日までに行なわれた各々の行事についての報告がなされた。

 その後、本日以降の行事予定に参加するガイドやサポーターの希望者を募っていったが、あらかた参加者は先月の定例会で決まっていた日の水曜日について問題が発生したという報告がなされた。

 というのも人程のツアー参加者に対しガイドが人で、サポーターは人だけだったことが報告されたのである。

当初のガイド及びサポーターとして参加予定だった人の中で急に家族が具合悪くなったので休ませてくれと言う連絡が事前にあった。その他に当日ガイドする予定だった元副会長のN氏が当日行くのを忘れていたということである。

 本人は日の研修旅行の時にも集合時刻を間違えて遅れたし、今回も忘れていたということで年齢が歳を過ぎたということもあり、本人曰くボケて来たようで記憶力が落ちてきたのを実感するので、この際世話人をリタイアさせて欲しいとの要望が出された。

 事前に会長の方にはこのことを申し出ていたので、会長からもコメントがあったが、本人に対し慰留したということだったが本人の気持ちは固いようである。

 日(水)と言えば私は高大の行事で、社会見学のためにITステーションに行った日で、見学の後もクラスのメンバーと近くの大きな寺の境内やその周辺をガイドしてもらっていた日である。

 高大の行事が最初から入っていたので先月の当区ガイドの会の定例会ではガイドとして参加しなかったのである。

 人の参加者に対しガイドとサポーターが人しか参加できなかったというこことで、特に新会員の人にもっと積極的に参加してほしいと呼び掛けていた。

 今回、新会員は多くの人が入会してくれたものの、一部の人だけは比較的積極的に出てくれるようになったものの多くの新会員がただ定例会や勉強会に出て来るだけでサポーターをしたり、ガイドまでやってみようという積極的な人は少ないのが現状である。

 今後の予定としては、まだ大分先の話だが月に年目となるリレーウォークの第回目が当区ガイドの会が主体になって先導したりサポートすることになる。

 その時には当然ながら当区ガイドの会を挙げて対処しなければならないから新入会員も総動員ということになるので、今のうちから積極的に参加するようにしてほしいということである。

 一旦休憩を分挟んだ時に近くの自販機に行って缶コーヒーを取出し今日初めてのコーヒーを飲んだ。

 というのも昨日はどうやら疲れていたらしくぐっすりとお休みなさって目が覚めたのは分前で慌てて着替え簡単に食べるものも冷蔵庫にないのでコンビニに行ってパンを買い食べながら歩いて定例会の会場までやって来て、開始時刻に少し間に合わなかったのである。

 後半の勉強会が始まる前に当区の「〇〇博」実行委員会の広報担当の女性(弁護士)がやって来て、実行委員会のメンバーも、区役所の担当の課長なども代ったが、「〇〇博」の冊子を万部ほど毎年作っているが、中身の内容があまり変わり映えしないのと、新たに加筆したり削除しなければならない個所もあるので早急に手直しするか、新しく作り直したらという意見が出てきているので歴史に関して詳しい当区ガイドの会で検討してほしいという依頼である。

 そこで出てきた意見として今この場ですぐに手を挙げるのには躊躇するが、別途、委員会を設けてそこに参加してきた人で協議して意見を出してもらって何回も集まらないといけないならそこで決めていけばということで集まる日だけを決めた。

 もちろんその日には予定がないので私も出る予定にしてカレンダーに組み入れることにした。

 その後、勉強会に移ったが、今日の講師は外部の人でなく当区ガイドの会の主なメンバーが行なうということで副会長のY氏が担当することになっている。

 当区は昔から油の産地として知られていたが、最近は実際に菜種油を栽培して油を搾っていた地区の人さえ知らない状態になっているということである。

 古代からは真榛(まはり)の実から絞っていたが、中世には荏胡麻(えごま)、そして江戸から明治時代には菜の花を広く栽培していた。

 特に菜種油については当区の特産品で全国シェアの%位を占めていたということであるが、それには搾油の技術革新があって効率よく絞る機械を発明したという功労者がいて、その子孫も住んでおられるが、道具類はほとんど散逸したとのことである。

 約分の勉強会の後、解散となり自宅に戻り昼食づくりに取り掛かりご飯を炊いてサンマも焼いて長芋擦って大根おろしに加え、トマトにレタスで済ませる。

 時から「あそ歩」の会議があるので地下鉄に乗り会場まで小時間かけてYMCAのビルにやって来た。

 当区ガイドの会の主なメンバーもか所に固まっていて私を呼んだのでその中に私も入る。

 会議の内容は今までは市の方から補助金が出ていたが、だんだん先細りになって来たのでコンパクトな組織に変えて少数精鋭に持っていきたいということである。

 そのこと自体はいいとして、いろんな意見が参加者から出たが、私もたまたま春には新コースをつ作ったが、その際に数が多くなるので申告しなかった旧来のコースを勝手に代表理事が他の人に振っていることを問題にしたが、「これはあなたのコースではなくあそ歩のコースで、協議会で決めたことである」と勝手な理屈をつけて取り合おうとしないのである。

 しかもその協議会とやらは代表理事のT氏が他の理事や監事を任じていわゆるイエスマンばかりを揃えて協議会と称しているに過ぎない。

 馬鹿らしくなってそれ以上は何も言えなかったが、こんないい加減な組織は先細りになるのは目に見えている。

 ここで私も一所懸命新コースなども考えて貢献してきたつもりだったが、これでハッキリ愛想が尽きたので今後は一切「あそ歩」に参加しないことを決意した。

 以前は代表理事はチーフプロデューサーと言っていたが、昨年の暮れにその右腕だったアシスタントプロデューサーのM氏が辞めて高大の「街歩き」の講師をしているのである。

 M氏が辞めた理由が父親の介護のためと代表理事は以前変わった事務所を訪ねた時に言っていたが、介護のためにわざわざ「あそ歩」を辞めて高大の講師なんかする筈がないわけで人の間に色んな問題が生じたことは間違いがないであろう。

 おまけに女性事務員までこの月に辞めることになったとは尚更おかしなことである。

 口では皆さんのお蔭で「あそ歩」も発展してきたと言いながら、することといえば自分の都合のいいことばかりでそれに乗っている太鼓持ち(理事)がはやし立てるさまを見ていて馬鹿らしくなったのである。