ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

いつまでも健康に過ごすために…

2013-12-21 23:11:48 | 日記

 今日も朝から雨模様の状態が続いているから洗濯出来ない日が続いている。

 今日は特に予定もないから昨夜もゆっくりしていて今朝起きるのも遅めで分を過ぎていた。

 昨夕にまたハマチ本を捌いて刺身とアラに分けておいたので今朝の朝食もハマチの刺身で杯とリラックスしながら飲んでいる。

 庄助さんじゃあるまいし朝から飲んでていいんですかという声が聞こえてくるけどたまにはいいんじゃないですかという別の声も聞こえたりして勝手に自己弁護に励んでおります。

 しかし考えてみるとハマチ本で枚に下ろして刺身にすると結構なアラが出てくることになるが、スーパーなんかでは刺身以外にアラが出てくるのは限られた魚種だけでしかも頭や骨などが付いた部分が出てくるのは鍋に使うアンコウやタラなどの限られたものだけである。

 消費者もそれに馴らされているからなのか、それとも昔と違って魚を本買って自宅に持ち帰るということが出来ないからなのか一般的には切り身でパックに入って売られるようになり子供たちも魚の種類について知ることが出来るのは魚市場がある限られた地域だけである。

 一部の子供が図鑑に興味があって色々勉強しているぐらいしかないのが淋しい限りである。

 何でもかんでも効率を求めて消費者も買い易い状態でないと買わないという循環になってしまったのはいつ頃からだろうか。

 少なくとも私の年代が子供だった頃の昭和年代ごろは魚屋さんで見かけたのはアジ、サバ、イワシ、サンマなどの大衆魚が多く、エビ、タコ、カニ、ナマコなどそこそこ大きいものは匹づつ、小魚などは小さい平カゴに盛って売られていたからあれはサンマとかイワシというように魚体で名前を覚えることが出来た。

 しかし今は魚屋さんで買う家庭は非常に少なく殆んどがスーパーの魚コーナーになっているのではないだろうか。

 我々の母親たちは出刃包丁でサバなどを枚や枚に下ろして調理していたものだが、今時の母親は魚臭いからとか、出刃包丁を持つことすら怖いとか、魚の目が怖いとか、爪を伸ばしてマニキュアをしているからとか、一切魚を触ろうとはしない。

 そんな状態だから子供たちは魚を食べる習慣がなくなって食べるのは既に大根のツマの上に載って刺身にしてパックしてある状態になっているものしか食べないことになる。

 つい最近「和食」が世界遺産に認定されたが、一般家庭に於いては遠の昔に和食とは殆んど縁がない状態で母親たちが作るものといえば肉類がメインディッシュとなりサラダやシチュー、カレー、ポトフなど何処に和食の文化があるのと言いたくなるようなお寒い状態である。

 せめて朝食ぐらいはご飯とみそ汁、焼き魚と煮付けの惣菜に納豆や、ノリに生卵という一昔前の定番の朝食にしてほしいものであるが、そんな家庭がどれだけあるだろうか。

 和食が誇らしく世界遺産になったのだから、普段はトーストとミルク、卵焼きor目玉焼きとハムなどのサラダで済ませている家庭では、せめて日曜日の朝食ぐらいは各家庭で和食にするとかいった各家庭の定番メニューを作って欲しいものである。

 私は臨海の町で生まれ育った関係もあって魚を捌くけれども同じ町の出身であっても殆んどの男は捌けない。

 やはり自分で興味を持たないと何もしないまま老後を迎えてしまうことになるが幸か不幸かずっと永年の人暮らしであるが外食で済ますのは昼から予定がある時など、その場所へ行く前に食堂やレストランに行くぐらいでそれもリーズナブルにやっている店に限っている。

 つまり殆んどは手間がかかろうと自宅で自分が作って食べることをずっと続けている訳である。

 それも殆んどが魚中心で、それも青魚中心だからDHAにより血液サラサラで健康そのものである。

 それだけじゃなく自分で今冷蔵庫に何があるからこれを買ってこんな料理を作ろうという風に頭を動かして、更には調理のために手を動かす、こんなことがいつまでも健康に過ごしているつの原因になっていると自分では思っている。

 女性達も旦那をあの世に送り出して自分人で生活するようになると外食したり、出来合いの惣菜屋で買ってコメだけ炊くというような人が多くなったが米さえ炊かずにパック飯を買うなんざもっての外で矢張り人だろうと自分で作っていつまでも健康に過ごして欲しいものである。