10月26日(土)
道の駅・禅の里での真夜中。目が覚めた。
なかなか、再度寝付けない。
家にいる時もそうだが、ボクは無理して寝ようとはしないし、必要ない。そんなとき枕元のラジオで、NHKラジオ深夜便を聴く。そのうちに寝入るのだ。
この夜、たまたま聴いた4時5分から5時までのいつものインタビュー番組だったが、今朝は山田太一が「老い」について語るというのだ。聴いたあと、もう寝入れなかった。
山田太一
山田太一といえば、ひところ倉本聰、向田邦子と「シナリオライター御三家」と呼ばれたTV脚本家だ。ボクもよく観たし、文庫本を読んだ、なつかしい作家だ。
やはり彼の脚本で一番有名なのは
「岸辺のアルバム」(1977)だろう。
普通の中流家庭の、両親二人と子供二人には隠している秘密があって、それが徐々に露呈、平和な家族が崩壊していくドラマだ。洪水で家が流され崩壊するがごとく、思ってもいなかった家族が崩れていく。洪水のあと残った家族のアルバム・・が、家族の大切さ?再結束?それとも単なる過去史に?視聴者各自が考えるといったドラマ。従来のサザエさん的な和やかなホームドラマとは対照的な「辛口ホームドラマ」と呼ばれ、放送史に残る名作とされている。
▲ 妻役を演じたのが、あの八千草薫。夫役は杉浦直樹。ああ、どちらも他界されたな。このイケメン不倫相手が竹脇無我。彼は?知らん(笑)。
ドラマの洪水シーンは、実際あった多摩川の氾濫の映像を使っていたのも、なんともかんとも意味深くて。
ボクらは20代、大阪で新婚ホヤホヤでして、豊中の狭い「文化住宅」でこのドラマを観ていたことをよく覚えている。
そのあとの山田太一のヒットドラマは、やはり「ふぞろいの林檎たち」(1983)だろう。
一言で言えば、落ちこぼれと感じる若者たちの青春群像を描いた。これは大ヒットで1997年の第4部まで断続的に作られた。主題曲がサザンの「いとしのエリー」で、記憶に残っているかたは多いだろう。
現在の、歳をとったリンゴたち。中井貴一、時任三郎。
女性アナウンサーは、こうした過去のドラマを振り返りながら、山田太一は41歳の時に「男たちの旅路」では、高齢者にバスジャックをさせて忘れられた存在になりがちの高齢者の反乱を描いたドラマも紹介、山田の若いときからの「老い」への関心を紹介した。今となっては、高齢者は忘れさられる存在どころか交通事故をあちこちで引き起こして無視できない存在だが(笑)
山田太一は、現在85歳。3年前に脳出血を患い現在も療養中だと。これはこの番組で初めて知った。ああ、山田太一もか・・。
インタビューの中心は、現在の山田太一が過去の作品を今どう考えるか、そして今現在のご自身をどう考えるかだった。要約すると
・全部自分の中にもあるものを描いた。特殊な人を描こうと思ったわけではない
・大多数の普通の人は、声にならない声を持っている。それを代弁したいと思った
・周りの人がバタバタ死んでいく。しかしみんな一様ではなくてバラバラの死にようで、バラバラに死んでいく。それぞれの思い、寂しさはバラバラ、自分で思うようにはならない。細かな感じ方は自分がならないと分からなかった。
・自分がいつ死ぬかもわからないのが一番の悩みだ。明日死ぬかもしれないし、長く続くのも困ってしまう。変なところへ自分が追い込まれたなあ。生き方を変えないといけないとも思うが、変えても明日死んでしまうかもしれない・・。
山田太一は、脳梗塞で死んだボクの父のような、やはり聞き取りにくい口調で話した。
インタビュアーの女性は、「いつまで生きるか分からないとおっしゃるその宙ぶらりんの気持ちを包み隠さず率直に言ってくれた山田さん。ご自身を含めて人間の心の底を見つめ続けた山田さんの重い言葉だった。」と締めくくった。
「死とは何か、生とは何か」を先達から学びたいと思う者にとっては、その質問をダイレクトに向けてみたい、そこまで抽象的な質問ができなければ、「人生を振り返って一番良かったこと、やり残したと感じることは何ですか」とかのより踏み込んだ質問をしてみたいだろう。しかし、それはすごく個人的な領域であり、公開ラジオでは聞くべきではないだろうと思う。
問題をもっと簡単にしよう。
自分なら・・ 死ぬ間際になって思うことは何か、いやもっと簡単にしよう、死ぬときに満足して死ねるか。そのためには、満足に近づけるためには今余生を何をしたら良いかを常に考えて生きようと思う。
最後に音楽を(笑)。
Will You Dance?【訳詞付】- ジャニス・イアン
「岸辺のアルバム」の主題歌で覚えがある人も多いだろう。明るそうで、それでいてけだるそうなメロディー。訳詞を見ても、ちと黙示的な内容。
あなたは人生で踊ってますか。