わたしの友達は煙草と水
隣人は猫
暗闇がベッド
箱から出ない生活は
あと何年続くのだろう
カクッと死ねないものだろうか
今から寝て
そのまま目が覚めなければいいのに
寝てる間に死ねたら
それは
この上もなくしあわせなことだ
たまに降る雨は
慰めだろうか
遮光カーテンで心をガードして
眠ろう
人に触れれば触れるほど
神経裸な心は閉じ込めないとけないから
わたしは
黙って
寝る
寝てしまおう
神経裸な心は
押さえないと
心を
感染させてはいけないから
自分からだって
逃げなきゃ
いつまでも
寝ていよう
無理を押しても
寝ていよう。
2008 5 25 am5:20
カクッと死にたいっていうのは人類共通の願いかもね。
だって、散々苦しんで痛みの中で断末の叫びと共に死にたくないもんね。
やっぱり、静かに、眠るように、っていうのがいいよね。
自分でもね、時々自分の書いたものを読み返してみて、ビックリするよ。
これ、同じ一人の人が書いたものなの?って。
あまりに対極に位置する人間像が同時にあって。
こんな複雑な脳みその持ち主ならその心の中は無事に済むわけがないって、客観的に思うよ。
うっひゃっひゃ~!とか言ってるわたしもホントなら、重い詩書いてるわたしもホントだし。
折り合いつけて統合できればいいんだけどね。
まだ修行が足りないらしい。トホホ。
わたしはたいてい、いつも元気で、
明るいところが大好きなんだけど、
時々、暗闇にひとりでいたいと思うことがあるよ。
そんなときの、わたしの友達は、何だろう。
物思いかな。
そんな心の状態のとき、
aoさんの詩を読むとね、
カクッっと死にたいなんてね、
どこか共感してしまうんだ。
たぶんそれも、本心ではないと
自分でわかっているらしいのに、
一人、悲壮になったりする。
aoさんの人を寄せ付けないほどの孤独は、
わたしみたいなセンチメンタルじゃないね。
それなのに詩を離れて、交信すると、
すっごいおもろいやつで。
だから、すごく気になる。
心底辛いんだろうって。